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余韻

 鋭く速い剣戟は一体いつまで続いたのか。鉄のように重くなっていく腕と、はち切れそうな心臓の鼓動、今にも折れてしまいそうな自身の足を限界だと思わないように如月は繰り出される血鬼からの猛攻を防いでいた。自分が折れてしまえば、逃げ切れていない生徒に被害が及ぶ。それだけはなんとしても阻止しなければならなかった。

 しかし、如月自身、考えずともわかってしまう限界に焦りを感じないわけではない。体力が持たない。汗が止まらないほどに鼓動が速い。自分の立場以上に、人々を守るという使命を果たせないのではないかという思いが、如月を苦しめる。

 ストレスからわずかに遅れた行動は、如月に致命傷とも呼べるほどの攻撃を防がせなかった。如月が握る獅子王が捉えきれなかった攻撃は、真っ直ぐに如月に飛んでくる。これと言った防具も、守護もない如月に血鬼の一撃は死の一撃と同義である。


 死を覚悟した如月は、それでも心の中で呪った。一歩及ばなかった己の不甲斐なさと、九死に一生を得させた憎たらしい吸血王を。


「ぉら、ああああ!!」


 雄叫びと一緒に放たれた御劔の右拳は難なく血鬼の横っ面を殴り飛ばし、五メートルほどまで吹き飛ばす。緊張と恐怖で尻もちを着いてしまった如月は激しい鼓動を整えるように心臓に手を当てて大きく深呼吸を繰り返す。その間でも横目で助けてくれた御劔の方を見つめる。

 如月を守るように血鬼の前に出た御劔の背は、とても貧相に見えた。決してガタイがいいとは言えない。筋力が人並み以上あるのかと言えばそうでもない。ただ、御劔には人間にはない吸血者特有の怪力がある。


 そう、御劔は人間ではない。人間ではないのだ。そう言い聞かせるように如月は己の中で思う。

 決して、御劔は人類の味方などではない。吸血者という別種である以上、そして、人類が吸血者を恐れている以上、御劔が真に人類の味方になるはずはない。


 では、なぜ。


 どうして、御劔は今この場で如月の前に立ったのだろうか。

 如月の疑問は結局のところそこに集約した。人類の敵であるはずの吸血者が、自分を殺そうとしたはずの人間をどうして助けるのだろうか。それだけがどうしてもわからなかったのだ。


「大丈夫か、如月?」

「…………」

「如月?」

「どう、して……先輩は、私を……」

「ああ、すまん。話は後だ。無事なら、体力が戻り次第、あの血鬼の主人である吸血者を気絶させてくれないか?」


 御劔にどうして自分を助けたのかを問いただそうとすると、御劔は少しだけ焦ったような顔をしてそう言った。見れば、殴り飛ばされた血鬼が怒りで興奮したように唸り声を上げていたのだ。

 いけない。あのままにすれば、ほぼ確実に犠牲者が出る。早くあの血鬼を止めなければ、と。如月が立ち上がろうとするが、想像以上に体が悲鳴を上げていて上手く立ち上がれなかった。このままでは今度こそ本当に犠牲者が出てしまう。

 情けない自分の体にムチを打とうとしたその時、御劔の一言で如月は驚かされた。


「あの血鬼は俺が足止めする」

「……はい?」

「だから、俺があの血鬼を足止めするから、早く如月はあの吸血者を気絶なりさせてくれ。言っとくけどな。俺の強さなんてたかが知れてるんだから、さっさとしてくれよ?」

「ま、待ってください! どうして先輩がそこまでするんですか!? そもそも、隠れるかみなさんと一緒に逃げていればいいだけのはずなのに、なんでここにいるんですか!」


 当然の質問だった。如月が問うたのは誰もが思う疑問である。当の本人である御劔ですらその疑問を持たざるを得ない状況であった。

 当初の予定では御劔はこの場に立つことは考えていなかった。如月が言うように、最初はクラスメイトたちと逃げ出すつもりであった。しかし、御劔がこの場に来てしまったのには理由が存在する。それは、血鬼と戦う如月が心もとなかったからではない。決して、血鬼の弱点に気がついたからでも、吸血者を気絶させればいいという策を思いついたからでもない。

 それは至極単純な理由であり、それでも御劔を動かすのに十分すぎる理由でもあった。


 御劔がここに来てしまった理由。それは、そこに知り合いが立ち会っていたからに相違ない。如月が血反吐を吐きそうなくらい戦っているのに、自分は逃げ果せるなど考えられなかった。

 もちろん、血鬼が自分を相手にしないことがわかっている分、御劔にとっては戦いやすい相手であるのと血鬼を消滅させる妙案が思いついたからというのも関係している。けれど、この場にもしも如月がいなければ、御劔は間違ってもここへは来なかっただろう。

 そう、全ては如月のせいなのである。


「……えのせいだろ」

「はい?」

「お前のせいだろ。俺がここにいるのは」


 後ろを振り返らずふてくされたように言うその言葉は、如月を困惑させた。

 一体自分が何を強要したというのだろうか。いや、それ以前に自分の脅迫程度で御劔(このおとこ)がわざわざ死地に赴くというのだろうか。思い当たる節がないせいで、上手く言葉の意図が酌めない。

 実際、御劔も上手く言葉にできなかったのだ。このもやもやした気持ちを言葉にするのに、御劔は自分の気持ちを知らなすぎた。


「あ、あの、ちょっと意味が……」

「るっせぇ。俺も混乱中なんだ。とにかく、吸血者の方は頼んだぜ?」

「は、はい」


 言うや否や、御劔は駆け出した。元々、血鬼が自分を相手にしたくないのはわかっている。スキを見せれば逃げるか、あるいは一人でも多くの一般人を手に掛けるかに決まっている。それをされる前に、一気に距離を詰めて逃さないようにするのが目的だった。

 無論、その意図を汲み取った如月は自分の心臓に手を当てて、速い鼓動が収まるのを待つ。


《オオオォォォォォォォォォォッッッッンンン!!!!》


 空気を震撼させるほどの雄叫び。血鬼が怒りの咆哮を上げて、迫り来る御劔(きょうい)に対して臨戦態勢を取ったのだ。牛型の血鬼は頭を沈ませ、雄々しい角を御劔へと狙いを定めると一気に走り出す。その速度は通常の牛のそれではない。辛うじて目で追えるというくらいにしか表現できない速さで血鬼は寸分違わず御劔の心臓を狙いに来た。

 そして、その攻撃を御劔はあろうことか素手で、しかもありえないことであるが鋭い角を掴んで止めたのだ。並大抵の人間が……いや、普通の吸血者ですら無理な芸当を御劔はしてみせた。これが吸血王の力なのかと言えば、そうではない。これは偏に御劔の戦闘センスの高さが出した結果である。

 昔から幼馴染である御坂七海に追い掛け回され、挙げ句の果てには改造エアガンで攻撃されるという生活を繰り返していたせいで、目に見える攻撃であれば避けられる、掴めるものなら止められる。などと言った――例えば校舎二階から飛び降りると言った奇行も含まれる――、人間離れしたことができるようになったわけである。

 だが、そんなものが今この場で優位に発揮するとは思っていなかった御劔は人生で初めて幼馴染の暴力に感謝した――けれどこれからもよろしくとは言い難い――。

 何はともあれ、血鬼の速さは計算外だったとしてもこうやって相手の一部を掴むことに成功した。後はこの角を離さないようにしつつ、自分も振り回されないようにしているだけ。


――そう思っていた。


「なッッッッ!?」

《オオオォォォォォォォォォォッッッッンンン!!!!》


 完全に動きを止めたはずなのに、血鬼のが前進をやめようとしない。それどころか、ずっしりと重い感覚が腕に伝わってくる。


(こいつ、さっきのが全力じゃなかったのか!?)


 そう思った御劔にこの計算外は大きすぎた。予想以上の血鬼の強さに吸血王の全力を注いだ御劔でも押し負けそうになる。まだ足は地面についている。けれど、それも時間の問題だ。そう長くは持ちそうにない。このまま血鬼の角を離して他の案を考えるのも一つの手ではあるが、そんな悠長なことをしている場合でもない。


 ならばどうするか。決まっている、問答無用にどうしようもない。


 死を覚悟した御劔に、心臓が鼓動を昂ぶらせる。それは死への緊張などではない。リスクを愉しむイカれた感覚では決して無い。その鼓動は死を――あるいは敗北を――悟り、そして受け入れようとする御劔の心を否めるように大きく脈打つ。


 その敗北に満足することなかれ。その死に際に希望を見出すことなかれ。


 そんな風に告げるかの如く、御劔の体が訴えたのだ。いいや、それはもはや生存本能などという御劔自身の意志であると断言することができない。なぜなら、その直後に御劔の体は意識をそのままに全てを置いていったのだから。


「お、ぉぉぉぉ!!」


 血鬼の全力の前進に耐えられなかったはずの御劔の体が急に巻き返した。吸血者とは言え、血鬼の全力の行進を阻み、さらに押し返すなど前代未聞――そもそも試そうとする吸血者がいなかったというのも関係あるが――である。そうして、血鬼との力比べは御劔の勝利に終わり、体力を回復させた如月によって吸血者の沈黙に成功して、御劔の前から血鬼は消え去った。

 全ては丸く収まった。結果的に校庭はぐちゃぐちゃにはなったものの、死傷者はおらず、怪我人も一人も出ることはなかった。


「終わりましたね、先輩。…………先輩?」


 勝利の余韻で駆け寄る如月。けれど、事態はそこでは終わりを迎えられなかった。

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