観察する目
遅刻して授業に参加した御劔は不真面目にも机に突っ伏して居眠りをしていた。というのも、学生には眠るなという方が難しい古典なる授業で呪文のごとくわけの分からないことを教師が呟いているのだから無理もないが。当然、居眠りまでは行かずとも、よそ見や集中力の欠如など、生徒たちは授業に向かってはいなかった。
そんな授業を八割方終えた頃。一人の男子生徒が前後左右の友人に声をかけて外へと目を向けさせる。どうやら珍しいものでも見つけたらしく、声をかけられた生徒たちもそれに目をやったままどこも見向きもしない。
初めは好奇心から来る注目であったが、だんだんそれが歪んでいき、最終的には恐怖となって注目する。少数の男子生徒諸君が目を向けていたのは、一人の男性だった。
心ここにあらずのような歩き方で校内を歩く男性に、体育教師他体力に自信のある教師三人が近寄り事情を聞くとともに追い出そうとしていた。その光景を面白そうに見ていたのだが、その男性が血鬼を召喚し、近寄ってきた教師たちを殺害してからは悲鳴を上げるように男子生徒諸君は席を立った。
「せ、先生! 外に吸血者が!!」
「何……? み、みんな逃げるんだ! 早くしろ!」
生徒の言葉を疑うように窓から外を見た古典教師が慌ててクラス全員に逃げるように指示する。この島において吸血者はあまりにも日常化しているが、それは吸血者が暴走したときも同じである。全員は慌てずに指示通りに教室から逃げ出す。ただ一人、居眠りをしていた御劔だけを除いては。
御劔が目覚めた時、校内放送で吸血者が校内で暴走しているというアナウンスをしていた。寝ぼけた頭では何を言っているのかわからなかったが、ふと窓の外を見ると牛のような容姿をした血鬼が校内を走り回っているのを目にして飛び上がった。
「あれは……こないだの!?」
見た目がそのままこの前の血鬼暴走事件で大暴れした牛型の血鬼を見て、どうしてこんなところで暴れているのだろうと考えるよりも先に、その血鬼に走っていく一人の少女に目を疑った。もちろん、飛び込んでいったのは如月である。
アナウンスがされている以上、生徒が逃げ遅れているというのは考えにくい。この島ではこういうことがしょっちゅうあるので案外全員冷静に対処することができるのだ。だからと言って、一学生を装っているはずの如月が安易に血鬼の殲滅に向かえるのかと言えば、否定せざるを得ないだろう。では、それをわかっているはずの如月はどうして現れた血鬼に対して闘いに向かっているのか。
その答えは、単にそういう使命だと如月が思っているからである。自分は吸血王を殲滅する前に、巫女として暴走した血鬼から一般人を守らなければならないという使命を優先させた結果がこの行動である。
暴走している血鬼に如月の刃が届き、激しい火花を散らしながら血鬼の動きを止めたところを見て、御劔は息を呑んだ。如月と直に戦い、如月の体がそこまで屈強ではないことを知っている御劔にしてみれば、血鬼の力に負けない今の如月がおかしく見えたのだ。
「あれが如月の本気の力ってことなのか……? いや、あれは……」
如月が血鬼と戦っているのを冷静に観察して、御劔は一つの結論に至る。
それは、如月が使う武具の仕組みであった。最初、御劔は如月の力で血鬼を止めたのだと思っていたが、よくよく観察すると九割方は武器の性能のおかげであることがわかったのだ。きっと、如月が使う武具には血鬼の動きを抑制する呪いか祝福が施されているのだろう。それに如月が魔力を注入して強化させた結果が、人類が血鬼と互角に戦うことができるという証明の結果だ。
無論、それだけではない。残りの一割は如月の戦闘技術によって成されている。血鬼の突進を真っ向から受けるのではなく、多方向に力を分散して刀身へのダメージを減らすとともに、次の一手を最速で打つために体の体重移動が最短で行われている。一歩間違えれば致命傷を受ける戦闘ではあるものの、実に効率的な戦い方である。
自分がそんなやつと戦っていたことを知って身震いする御劔であるが、血鬼を倒すために研鑽された戦い方に見とれてしまうのも本当であった。本当に美しく、華麗な戦闘はまるで巫女が演舞を見せるかのようなもので。見入る自分を自制するために御劔は何度か瞬きをする。
剣戟の音が教室まで届く。音だけでも激しい戦いが繰り広げられているのがわかる。けれど、それとは裏腹に如月の行動速度が落ちていくのが見て取れた。
戦闘が始まってから既に十分が経過したかという頃。如月の体力は限界を迎えようとしていた。筋力はもちろんとして、体力までが限界になるのは一様に戦闘というストレスのせいであった。戦い方にも問題がある。一歩間違えば死ぬかもしれないという精神的負担が体力に自信がある如月をここまで追い詰めているのだ。
しかし、限界が近づいてきているとしても手を止めることは出来ない。それは死を意味するというのもあるが、姿形や行動パターンまで同じ血鬼がこないだの戦闘の最中に何をしたかを忘れた如月ではない。こないだの血鬼は、如月との戦闘を避けて一般市民を攻撃することを優先させた。今回だって例外ではないだろう。きっと、如月が剣戟の手を止めれば、血鬼は一目散に如月から逃げ出して市民の殺害を行うに違いない。だから、如月は手を休めることは出来ないのだ。
「……ジリ貧だな」
これと言って決定打を打つことが出来ておらず、体力の限界が垣間見える如月を観て、御劔は静かにそう言った。だが、何かをするわけではない。ただ傍観するという立ち姿で窓から離れずに御劔はそこにいた。
薄情と罵られても、御劔は絶対にそこを動かないだろう。そもそも、御劔の考えは自分があの場に行ったところで血鬼の注意すら引くことは出来ないというものだった。もしも、姿形が同じなだけの血鬼であれば話は別であるが、今回に至っては全く同じであることは見るからにわかる。であるならば、尚更自分では注意を引くことは不可能だと思える。
何故か。それは、血鬼が自分を倒した男を忘れるはずがないだろうからだ。
そう、御劔は一度あの血鬼を倒しているのだ。しかも、たった一撃で。
そんな相手にもう一度戦いを挑んで勝てると自信を持って言える者がいるだろうか。少なくとも、知能ある生命体であればそれはあり得ない。
故に、自分があの場に行けば無駄に血鬼が逃走を図って如月の邪魔にしかならないという結論に至ったわけだ。
「ならどうする……?」
けれど、こうやって如月を助けるために頭を働かせるのは、御劔のお人好しが故か、それとも御劔が因果に巻き込まれているからだろうか。どちらにしても、御劔はそのために観察をしたと言っても過言ではない。ただ助けるためではなく、ただ手伝うためだけに御劔は見ていたのだ。
そうして、一つの前提条件に至った。
「……そうか! 吸血者を狙えば……!」
血鬼を操るのは誰か。今も校庭で棒立ちになっている男性だ。くだらない授業で血鬼は吸血者の意識喪失によって消えるようなことを聞いた覚えがあった。そのことを思い出すやいなや御劔の行動目的は定まる。第一目標は血鬼を操っているであろう男性。第二目標は如月の回収だ。
そうと決まれば、と。御劔は教室を全力疾走で飛び出していった。
廊下を駆ける御劔の鼻に微かに香る甘いような酸っぱいような匂いが、御劔の進行を遮った。この匂いは何だと視線を左右に振ると、如月が戦っている校庭側とは反対の校門側の方に見える青い花を手にした男性が目に写った。
どうして、避難を言い渡された校内にまだあんな男性が、と。不思議に思う御劔であったが、校庭のほうから聞こえた爆発音に似た音にびっくりするとともに、急がねばと体が急かす。お陰で一瞬目を離した内に校門の辺りにいたはずの男性を見失ってしまった。
「なんだったんだ……今の」
そう口にして、御劔は再び走り出す。
この時、御劔は重大なことを見逃してしまったとは知らずに。




