第六話 『入学試験』
「あら、喜ばしいことです。ここで学ぼうという者が訪れるのは、いつぶりでしょうか……」
人工的な白い光に満たされた部屋の中、一つの人影が大きな机から立ち上がった。
健康的な艶のある黒髪は肩の高さに合わせ几帳面に切り揃えられ、纏った灰色のスーツはかっちりと整っている。スカートは膝上までと少々短いが気品を損なうようなものではなく、むしろ大人の女性として相応しい服装として馴染んでいる。
椅子と組になった机の群れの中を縫って歩き周り、彼女は嬉しそうに口角を上げた。
「こうしてはいられません、授業の準備をしなくては。わざわざこんな場所まで学びに来てくれたのですから……そうですね、まずは彼らにどんな教育が必要かを見定めなくてはいけません」
にこにこと笑いながら、彼女は“授業”の準備を進めるのだった。
「すごいすごい! 見て見てハルちゃん、これ全部木だよ!」
袖から手を出し、そこら中の床や壁をべたべたと触りながらはしゃぐ六花。
「ああ、すごいな……建物全体が木で出来てるのか。今はダンジョンになってるから強度に問題はないだろうが、よくダンジョンになるまでもってたな……」
六花に比べれば控えめだが興味深そうに目と手で建物の材質を確認するハル。
今まで様々なダンジョン――ひいては古代の遺跡を見てきたが、全てが木製の建造物というのは初めてだった。
どんな建造物でも、それこそ元が民家でも要塞でもダンジョンにはなり得るが、その殆どは石や金属で出来たいかにも頑丈なものだ。木材という脆い素材で出来た建物がダンジョンになるというのは珍しく、少なくとも六花とハルの経験にはないものだった。
ハルが興味本位で目の前の壁にナイフを振り下ろしてみると、さくっと軽い音を立てて突き刺さった。いかにも普通の木材、といった感じの軽い手応えだった。
「……いや、衝撃には強いんだろう……」
目を細めてナイフを引き抜き、ホルスターに収めるハル。
まあ床が抜ける罠などダンジョンにはありふれているし、いつも通り警戒するだけだ。
「で、どうする?」
「んー? あー、じゃあ」
六花が答えようとした、その時。
『初めまして、新入生たち。私はエルマ、この学校の教師です』
どこからともなく、女性の声が響いた。
即座に六花の元へ跳び寄り、辺りを警戒するハル。六花も「あれ? どこ?」などと言いながらきょろきょろと辺りを見回しているが、緊張感は全く感じられない。
「……近くに気配はないな。音も不自然な気がするし、おそらくスピーカーだろう」
「なるほど! ハルちゃんえらい! ご褒美のちゅー!」
しゃがんでいたハルの首元に勢い良く抱きつき、頬にキスをする六花。ハルの方もわずかに頬を緩め、警戒態勢を解く。謎の声にも敵意はなく、すぐに攻撃してくるような雰囲気ではない。
二人の様子には構わず、謎の声はどこか嬉しそうな声でそのまま言葉を続ける。
『本来なら転校生ということで幾つかの手続きが必要なのですが、今は他の生徒も他の教師もいません。何より、私も久々に授業を出来るということで大変楽しみなのです。そういう訳で、今回に限り面倒な手続きの類は免除です。よかったですね。ですが、残念な事に私はあなた達に必要な教育のレベルがわかりません。なので――』
そこで謎の声の主――エルマは、一旦言葉を切る。
『実力テストです』
その言葉と同時に、入り口の反対側――上り階段からがしゃんがしゃんと機械音が聞こえてくる。
何事かと振り向いた二人の目の前に並んでいたのは、
『本来はこういう用途の品物ではないのですが……校庭での所業を見る限り、少なくともこの程度の教育は必要だと判断しましたから』
数十体の人形だった。服こそ着ていないが形は人間そっくりで、動きもまるで生きているかのように滑らかだ。聞こえてくる音から察するに機械じかけではあるのだろうが、外からは見えないように完全に隠されていた。とはいえある一点の違いにより、本物と見間違うことはないだろう。
「うええ……また気持ち悪いのが出てきたあ……」
「ああ、これは酷いな……」
今回ばかりは同意するハル。
その人形達は肌の一部が透けて、いや――欠けており、内部が丸見えになっている。ある個体は胴体の臓物が晒され、ある個体は全身の筋肉が晒され、ある個体は右半身の骨格が晒されていた。
いわゆる、人体模型というやつだ。
『破壊は要求しません……というか、出来れば壊さないでもらえるとありがたいです。テストの内容ですが、最上階である四階まで登ることができれば合格です。制限時間は特に設けませんが、三時間以内に達成できないようであれば厳しいと思いますので参考にしてください。その間の様子はずっとモニターしてチェックしていますので、節度ある行動を期待しています。それでは――』
今までと同じく、嬉しそうな声で。
『テストを開始します』
大量の人体模型が、一斉に襲い掛かってきた。
「ハルちゃん逃げて~」
「よしきた!」
気の抜けた声に応え、ハルは六花を抱えて走り出す。やはりお姫様だっこだ。
ハルに抱えられた六花は、後ろの人体模型の群れを見ながら口を開く。
「うーん、やっぱりそんなに追いかけてこないね……」
彼女の言う通り、人体模型の群れが追いついてくる気配はなかった。遅いという程ではないのだが、ハル達を追いかけるには速度が足りていない。
「私達を歓迎していたようだし、あくまで移動させるのが目的で殺そうというわけじゃないのか……?」
返しながらわずかに速度を落とすハル。どうせ逃げ切れるならペースを落としたほうがいい。
「四階って言ってたっけ?」
「ああ、外見も四階建てのようだったし、中の構造も……いや、まさか」
外見通りのようだ、と言おうとしたハルは何かに気付いたように言葉を切った。
そう。この速さで走れば端から端まで数秒でたどり着けるはずなのに、向こう側への距離が縮まる気配がない。これは――
『はい、よく気付きました。この廊下は本来よりも長いです。というより、無限です。いくら走っても反対側にたどり着くことは出来ません』
長い長い廊下に、エルマの嬉しそうな声が響き渡る。
「卑怯だぞ! 解けない問題をテストと言い張るのか!?」
「そうだそうだ~」
走りながら、抱えられながら叫ぶ二人。既に人体模型の群れは遥か後方だが、ハルの体力も無限ではない。いずれ追いつかれるだろう。
『解けない問題だなんて人聞きの悪い。勿論答えは用意してありますよ。さあ、左を見てください。入り口が並んでいますね?』
言われた通り、たしかに左側には一定の間隔で引き戸が設置されている。上のほうがガラス張りになっているようだが、ただでさえ今は走っている上にすりガラスなのか向こうの様子はわからない。念のため右も確認するが、こちらには窓が並んでいるだけだった。やはりすりガラスで外の様子はわからない。
『答えはその中です。好きな扉に入ってください』
六花が頷くのを確認するが早いか、ハルは引き戸を蹴破り中に飛び込んだ。扉の上に付いていたプレートが衝撃に耐えられず、からんと音を立てて廊下に落ちる。
『うーん、足で扉を開けるのはお行儀が悪いですね。減点です……と、本来なら言うところですが。一回目ですからね、注意だけに留めておきましょう。生徒を無闇に叱るのは正しい教育ではありませんからね。勿論次からは減点です、気を付けるように』
「はーい、気を付けまーす」
ハルの腕から降り、部屋の床に足を付ける六花。
「それで、言われた通り入ったわけだが。この部屋はなんだ、答えはどこにある?」
周りを見渡すハル。その部屋にあったのはベッドが一台に机と椅子が一組、それに薬棚らしきものがいくつか。ベッドの向こうはカーテンで仕切られているが、隣にもベッドがあるのだろう。どれも不自然に大きく、部屋自体も縮尺が狂ったかのように広い。天井もハルの身長の三倍ほどあるだろうか。さらに床も家具もボロボロで半ば朽ちかけていたが、その部屋は明らかに――
『そこは保健室です』
エルマの言う通り、保健室だった。主に生徒の病気や怪我の簡単な処置を行う場所だ。
『素行の悪い生徒がサボりに来たりする場所でもありますが――まあ、今はその話はいいでしょう。そうですね、答えがあるというのは語弊があります。そこにあるのは問題です。答えはそれを解いて手に入れてください』
「問題……?」
ハルは首を傾げた。その後ろで、
「うーん、ここが怪しい!」
「おい六花、あんまり不用意に――」
ハルの警告にも関わらず、六花はベッドの近くのカーテンを開け放つ。カーテンレールが錆びついていたのか根本が滑らず、脆くなっていた布が音を立ててびりびりに破れてしまった。
「きゃあっ!」
カーテンが破れてバランスを崩し、六花は派手に転んだ。
「いったぁ……」
別に打ったわけでもない頭を抑えながら立ち上がる六花に、ぬっと影がかかる。
「ん? え、あー、そう来たかぁ……」
顔を上げる六花を見下ろすのは、彼女の三倍近い身長を持つ巨大な子供だった。顔の造形もなく全体の大きさを除けば校庭の個体達と同種の魔物に見えたが、よくみれば年齢が少々上がって見える。子供というよりは少年だろうか。等身が高く服装が変わり、帽子とカバンもなくなっている。先程の個体は皆破れた白いポロシャツのような服だったが、こちらはボタンのついたワイシャツのような服だ。もっとも、何箇所も破れてボロボロになっているためよく見ないとわからない程度の差なのだが。
『はい、その子が第一問です! 最初の問題ですからね、今回はシンプルに倒すだけで大丈夫です。校庭にいた子達と違って育ち盛りの男の子ですから、同じ気持ちで戦うのだけはやめたほうがいいと思います。では、頑張ってください!』
エルマの言葉が終わると、少年の魔物がゆっくりとベッドを降り六花に近づいてきた。緩慢な動作でその巨大な拳を振り上げ、やはり苦しそうなうめき声を上げながら殴りかかってくる。
「おっと、危ないなーもう」
危なげもなく後ろに跳んで避ける六花。拳は何も無い木の床を殴りつけ、砕けた木片が辺りに散らばった。拳自体は避けたものの、衝撃の余波と木片が六花を吹き飛ばす。それを、
「全く、危ないのはお前だ」
いつの間にか後ろにいたハルが優しく抱きとめる。
「わーいさすがハルちゃん! ありがと~大好き!」
「はいはい。私も愛してるぞ」
がばっと抱き付いてきた六花を冷静に引き剥がし、
「危ないからな、ちゃんと私の後ろにいるんだぞ。大丈夫だとは思うが、何があるかわからないからな。お前に何かあったら私は悲しい」
自分の背後に立たせると首の後ろに垂れていたフードを目深に被せてやる。
「はーい。でもハルちゃんも無理しないでね? いくら頑丈でも、あたしはハルちゃんが傷付く姿なんて見たくないんだから」
「ああ、わかってる」
ハルは頷くとすぐ後ろに迫っていた魔物に向き直り、
「せいっ!」
上半身をしっかりと捻り、体全体を使った掌底を叩き込んだ。
体格差にも関わらず魔物は天井近くまで吹き飛び、そのまま轟音と共に元いたベッドの場所に落下した。元々壊れかけていたベッドは耐えきれずに半分に割れ、積もっていた埃が辺りに舞い散る。
立ち上がろうとする魔物に歩き寄り、
「少年、私は怒っている」
胸の下で腕組みをして不機嫌そうに吐き捨てる。
「六花に手を上げた罪、貴様如き魔物に償いきれるものではないが……そうだな、まずはその左手。六花を傷つけようとしたその左手を斬り落としてやる。覚悟するための心も無いだろうが、敢えて言っておこう。――覚悟しろ」
自分より遥かに大きい相手を怒りに燃える目で見下ろし、右手のナイフで魔物の左手を指し示した。
後ろでフード越しにその様子を見る六花は、
「やーんさっすがハルちゃん、かっこいい~」
蛇のように身体をくねらせ、両手を頬に当てて悶えていた。