第二話 『雪山ダンジョン』
「んー、いつ見ても綺麗な景色ね」
スノーホワイト山前のポータルに降り立ったレーヴェとエリック。その目の前に広がるのは、辺り一面の雪景色だった。積もった雪は目の前の森から山の麓、山体まで真っ白に染め上げている。この辺りはまばらな雪がはらはらと舞う程度だが山に近づくにつれ勢いは激しくなり、山の頂上などは吹雪で視認できないほどだ。
「景色だけは、な。まあこんなとこで足元掬われるなんてこたないだろうが、仮にもダンジョンだ。気い抜きすぎるなよ? ……本番は奥の廃墟だからあんまり張り詰めすぎても良くないんだけどな。なんにせよ、まずはギアの起動だ」
言いながら背負った大剣型のギアを構え、魔力を込めるエリック。刀身に入ったラインが光る以外に視覚的な変化はないが、身体強化を含むいくつかの魔術の力がエリックに宿る。
レーヴェも道具袋からガントレット型のギアを取り出し、右腕に装着する。拳を握って魔力を込めるとギアが起動し、レーヴェの体にも魔術の力が宿る。レーヴェが手を開いて指を動かすと、ギアの先端部、人の手を模した部分も連動して同じように動いた。
「これでよし、と。じゃ、行きましょうか」
「まあ落ち着けって。森ではまあどっちでもいいが、廃墟に入ったらどうせオレが前なんだ。なら最初からそのほうがいいだろ?」
当然のように先に歩き始めるレーヴェを引き止めるエリック。基本的に先頭のほうが危険度は高く、二人の実力差を考えれば当然だろう。
「それもそうね、先頭は任せるわ!」
レーヴェも何か考えがあったわけでもないようで素直に受け入れる。
「おう、じゃあ着いてきな」
そういうわけで、二人はエリックを先頭にダンジョンの中に入っていくのだった。
「お、ありゃグリーディだな。珍しい」
森に入ってすぐの小さな広場、エリックの指差す先には一匹の魔物がいた。見た目は茶色く鹿に似ているが、四本ある足の長さだけでもそれぞれレーヴェの身長ほどあり、幾条にも枝分かれした巨大な角まで含めると全高は四メートル強。がっちりした体格も含め、いかにも魔物といった風情だった。
「あらほんと。っていうかあれ、廃墟のほうにいるはずのやつじゃなかった?」
「あー、まあ確かにそうなんだが、あいつは割とこっちまで出てくるんだよ。しつこいやつだからな、獲物を追っかけてると回りが見えなくなるんだと」
「ふーん……って、獲物?」
「ああ、まあ大抵は人間なんだが……」
会話を止め、魔物のほうを覗く二人。見れば、案の定魔物は何かを食べている様子だった。
「……あれも人間?」
「どうだろうな、ここからじゃ死角でよくわかんねえな。ともあれチャンスなのは確かだ。周りに他の魔物の気配もねえし、犠牲者が増える前にやっとくか」
「なんで『増える』って既に出てる前提なのよ……まあ今のうちにってのは賛成だわ。もう一匹増えるだけで一気に厄介になるしね。じゃ、あたしのタイミングでいい?」
「ああ、任せた。いつでもいいぜ」
「じゃ、援護はお願いね――っ!」
言うが早いか、右の拳を腰だめに構え飛び出すレーヴェ。ギアの拳は一飛びで魔物の元まで到達し、
「はあっ!」
腰の入った正拳突きが、骨の折れる凄まじい音と共にその左後脚の膝を粉砕する。
不意を突かれた魔物は鹿のように高い声で苦痛混じりの嘶きを上げながらも、さすがの素早さでレーヴェの方に向き直る。
「エリック!」
反動で飛び退ったまま腰を落とし拳を引き、魔物のほうを見据えながらレーヴェが叫ぶと、
「よしきた、後は任せろ!」
その後方にはギアを肩に担いだエリックがいた。
「G.A.S起動――“ソニック袈裟スラッシュ”!」
コマンドに反応し、ギアの魔力がエリックを満たす。
Gear.Assist.System――通称G.A.S。ギアのアシストによりプログラミングされた動きをトレースし、特定の動作をその場に合った最適な形で再現する。その人間がその時出せる最大限の効率を強制的に叩き出させる、ギアの真価とも言える必殺技だ。
目にも止まらぬ速度で飛び出したエリックが駆け抜けざまに一閃すると、魔物――グリーディの頭部は首から下と別れを告げていた。すれ違いざまに首を一刀両断されながらも残された身体は自らの死に気付いていないかのように立っていたが、やがて先ほど折れたはずの左後脚がようやく膝を屈する。バランスを崩した巨体が左に倒れ、そのまま起きてこないのを確認して初めて二人は構えを解いた。
「……さすがなんだけど、その相変わらず滅茶苦茶ださい技名ってなんとかならないの?」
「開口一番それかよ! 仕方ねえだろ、オレが名前付けたわけじゃねえし、これ使いやすいんだよ」
「……まあ名前はともかく正直すごかったわ、久々に直接見たけど、やっぱり五枚羽ってすごいのね」
「ありがとさん。仮にも普通に上がれる中じゃ最高のランクだからな。まあどんなに強くなってもその上がないぶん、同じ五枚羽でもオレとは比べ物にならないようなやつは結構いるんだが」
ギアを振り、軽く血を払ってから肩に担ぎ直すエリック。
「ハッカー全体ならともかく、五枚羽の中じゃオレなんて下っ端もいいとこだぜ? お前さんだって筋はいいからな、もう少し経験積みゃあすぐ追いつくさ」
「そんな簡単に……あ、そうだった!」
言葉を切り、先ほど魔物が食べていた肉塊のほうに駆け寄るレーヴェ。
恐る恐る血溜まりを確認し、
「あ……」
言葉を失うレーヴェ。その視線の先には、凄惨な光景が広がっていた。
犠牲者は、おそらく一人だった。どれが本体と定められないほどバラバラになり、しかし個々のパーツとしてはなまじ形を保っているためにどれが何だったかある程度理解できてしまう。転がっている右手の肘から先は指が三本しか残っておらず、左手は完全に食べられてしまったのか見当たらない。右足は比較的大きなパーツが残っているがそれでも膝上から股間、腰のごく一部程度。その部位から察するにどうやら女性だったようだが、それすらも予想の域を出ない。胸部も食い散らかされて見つからなかった。散らばった、内臓と思わしき肉片も一部は部位の見当が付いた。あれは肺、あれは多分肝臓、あれは……なんだろう、ちぎれた腸の一部だろうか? あれは――
「おいレーヴェ、大丈夫か?」
「ぴゃっ!」
「うおっ!?」
エリックに肩を叩かれ、奇声を上げて飛び跳ねるレーヴェ。
「なんだなんだ、こっちがびっくりしちまったぞ……まあ見慣れてないなら仕方ねえか。荷物は追われてる間に落としちまったかな……タグだけでも回収してやるか。どうだ、タグは残ってそうか?」
「え!? あータグ、タグね。うーん、えっと」
「お、あるじゃねえか。三枚羽……ま、一人じゃ荷が重かったろうな。どこから逃げてきたかは知らねえが、雪山でグリーディに遭ったんなら結構な不運だったな。……よし、次はあっちだ」
「…………」
死体を放置するエリックに何か言おうとするが、結局何も言わずついていくレーヴェ。
ダンジョン内で他人の死体を発見した場合、埋葬することは基本的にない。限られた探索のための時間を無駄にするわけにもいかないし、血の匂いは魔物を寄せ付ける。埋めている間に寄ってきた魔物の群れに襲われる可能性は低くないし、本来ならすぐにでもその場を離れるべきなのだ。それでも弔いの意志があれば、ハッカーにできるのはタグを持ち帰ることくらいだ。このタグは個人に紐づけされ本人証明の役割も果たしているので、聖都に持ち帰ればその人がそこで死んだという事だけでも伝えることができるし、確実な本人の遺品にもなる。そういう意味でも、彼の行動はタグを回収した時点で優しいと言えるのだ。
名残惜しそうに一度だけ振り返り、レーヴェはその場を離れた。
「――っと、これだな。やっぱ図体の割に大したことねえなあ」
死体からタグを回収した二人は、今度は魔物の死骸を漁っていた。
「そうなの? ……うわ、ちっちゃ」
エリックが死体から取り出したものを、レーヴェが横から覗き込む。
そこにはソフトボール大の、禍々しい紫色に光り輝く球体があった。
「ま、こんなんでも魔水晶は魔水晶だ、金にはなるさ」
言いながら、自分の道具袋に放り込む。
魔水晶とはダンジョンの魔物の体内からのみ取れる品物で、ダンジョンが魔物を強化するための触媒だと言われている。魔力の塊のようなものなので様々な用途に使えるが、そのままだと穢れており使えないため、教会がハッカー達から買い取り浄化したものを販売・配布している。ダンジョンへ潜るハッカーたちの最も一般的な収入源であり、人々が彼らを必要とする最も大きな理由の一つである。
ちなみに、エリックはこう言っているがこの大きさなら五つも集めれば一般人の月給レベルになる程度の価値がある。ハッカーは、特に五枚羽ともなれば出費も嵩むため仕方ないのだが、なんとも贅沢な話だった。
「じゃ、このまま奥まで行ってみましょうか」
「おいおい、オレが先頭って話はもう忘れちまったのか?」
魔物を倒して調子に乗る同行者に、やれやれと両手を上げて呆れるエリック。
「わ、忘れてなんかいないわよ! ほら、あなたこそちゃんと前歩いてよね!」
「へいへい、わかってますよっと」
二人は森の更に奥へ進んでいく。
魔水晶を失ったグリーディの死骸は雪に埋もれ、すぐに見えなくなった。
探索は、二人が思った以上にスムーズに進んだ。
昼食の休憩を挟んで五時間ほど歩き、出会った魔物は十七体。巨大な鹿の魔物、グリーディが一体。ずんぐりむっくりの青い鳥の魔物、ストラトスが一度の群れで五体。動く蜘蛛の石像の魔物、ペトロウィドウが一体ずつ二度に分けて二体。そして白銀の体毛を持つ狼の魔物、シルヴァリンが二度の群れに分けて計九体。結局最初のグリーディが一番の強敵で、取れた魔水晶も最大サイズだった。
そして、二人はついに前半の目的地である廃墟の入り口にたどり着いた。
「いい調子ね!」
「ま、それくらいじゃないとこの先は厳しい……いや、瞬殺されるだろうな。ここまで来れたのはオレのおかげだってしっかり肝に命じとけよ?」
得意げに腕を組むエリック。実際、ここまでの戦闘で出会った魔物の殆どに彼が止めを刺していた。
「なによ、私もちゃんと仕事してたでしょ?」
「ん? あーいや、悪い悪い。そういうつもりじゃなかったんだ。まあアレだ、あの門から先はここまでとは別モンだから、しっかり気合を入れて欲しくてな。貶すつもりは全くないんだが――」
いつもの調子で言った後一瞬だけ言葉を切ると、
「――オレがついてなきゃ、お前さんなんか簡単に死んじまうってのを忘れないでくれ。いいな?」
真剣な表情でレーヴェを覗き込み、そう続けた。
「は、はい……」
有無を言わさぬ迫力に押され、思わず神妙な面持ちで返すレーヴェ。
「はは、まあ脅かしたいわけじゃねえんだ。緊張しすぎて動きが鈍るのも困るし、今まで通りやってくれりゃ大丈夫だ。お前さんはギアの扱いも上手いし、体捌きのセンスもある。経験は足りてねえかもしれねえが、オレが付いてるからそれは大丈夫だ」
いつも通りの声と表情に戻るエリック。
「……あ、ありがとう。頑張るわ」
目を合わせず、口を尖らせて答えるレーヴェ。
「じゃ、行くか」
エリックが自身のタグを掲げ、教団によってかけられた結界を解除すると、
「……ん?」
突然空気が変わったのを感じ、首を傾げるエリック。
「エリック? どうし」
たの、と続けようとした、その瞬間。
山が割れるのではないかと言うほどの咆哮が、二人の体を震わせた。
物理的な力を伴っていないはずの音波を全身に叩きつけられ、自分が吹き飛ばされたのではないかと錯覚するハッカー達。
さすがというべきか二人とも一瞬で我に帰り、武器を構え背中を合わせて周囲を警戒する。
すぐ近くに魔物の気配がないことを確認し、先に口を開いたのはエリックだった。
「廃墟の奥……城のほうからだったな」
「ええ。私は聞き覚えはないけど、もしかして、今の……」
「縁起が悪いこと言うもんじゃないぜ。とにかく――撤退だ」
レーヴェが頷き、二人は今来た道を全力で戻り始める。
降り始めた雪はすぐに吹雪となり、二人の足跡を覆い隠していった。
「どきなさいっ!」
走る勢いのまま突進し、立ちはだかる蜘蛛の石像を拳で粉砕するレーヴェ。残骸から転がり落ちた魔水晶には目もくれず、入り口に向かって走り続ける。
「……まずいな、こりゃあ」
それなりの速さで雪山から離れているのにも関わらず雪の勢いが増していくのを感じながら、エリックは最悪の、しかし最も大きな可能性について考える。
竜種――ドラゴン。それは未だかつて人類が乗り越えたことのない大きな脅威。倒したという話はなくもないのだが、確実な記録が一つも残っていないのだ。
これまでに様々な個体もしくは種族が確認されており、ほとんどは共通する外見の特徴――翼や鱗、爪に牙などだ――を持っているのだが、竜種でありながらその特徴のうちいくつかが欠ける者たちも少なくなかった。
翼を捨て、地中に潜る竜。
鱗を持たず、全身が金属塊で構成された竜。
爪どころか牙すら持たない、軟体生物のような異形の竜。
本当に竜なのか疑わしい見た目のものも少なくなかったが、しかしそれらは全て竜種としてカテゴライズされた。
強かったからか?
否だ。竜に匹敵するほどに強力な魔物は、数が少ないながらも存在していた。そしてそれらは爪や翼を持っていても竜ではない。
大きかったからか?
否だ。山のように大きな魔物もいるし、そもそも人間と大差ないサイズの竜も存在する。そう、小さくとも竜はれっきとして竜なのだ。
賢かったからか?
否だ。魔物の賢さなど測りようもないが、それ故に定義としては不十分だ。
大きさも、強さも、賢さも、竜を定義するものではない。その姿も様々で、共通する特徴もない。
ならば、一体何を以て竜と定義したのか?
それは――
「レーヴェ、止まれえ!」
叫び、目の前を走るレーヴェの腕を掴んで真横、右側に投げ飛ばすエリック。
二人とも高速で走っていたため踏ん張りきれず、エリック自身も左側へ転倒する。
「はあ!?」
不意打ちで抵抗する間もなく投げ飛ばされ、背中から木に激突してようやく止まるレーヴェ。
「痛ったた……突然どうしたのよ! 今は一刻も早く入り口に――」
轟音が、レーヴェの抗議を遮った。とてつもなく重くて巨大な何かが、凄まじい速度で地面に激突した音だ。
「な――」
立ち上がり、振り返ったレーヴェの視界は雪煙で閉ざされている。
それでも、墜落したそれが自分をめがけて降ってきたという事は理解できた。あのまま走っていれば直撃していたであろう事も、そうなればこの大きさと質量なら間違いなく命を落としていたであろう事もだ。
雪煙が晴れ、それを直視したレーヴェは言葉を失った。
彼女の心を支配するのは、その危険さをこの上なく理解していながらも恐怖ではなく。こんなに美しいものがこの世に存在していたのかという――『感動』だった。
立ち尽くす少女の目の前には、透き通るような青い鱗を持つ竜が、山のように聳えていた。
大地を踏みしめる前足はどっしりと岩のように重厚で、優雅に広げた翼は吹雪の中にあって水面のように光り輝いている。
こちらを見つめる瞳はこれまでに見たどんな宝石よりも淀みなく澄んでおり、高度な知性を感じさせ、とてもこれから自分達を殺そうとしているようには思えないほどに純粋でまっすぐな視線をこちらへ向けている。その神々しさすら帯びた両の眼は見る者を魅了し、目を離すことすら躊躇われた。
時間が止まったかのように竜を見つめていたレーヴェだが、
「バカ野郎、何ボサッと突っ立ってやがる!」
「……え」
その眼前に、竜の前足が迫っていた。呆然と竜に見とれていた少女には、その一撃を避けるどころか身構えることすら出来ず。
嵐のような暴威の横薙ぎをまともに喰らい、彼女は信じられない速度で真横に吹き飛ぶ。
何かに叩きつけられるより先に、レーヴェの意識は闇に呑まれた。