19 エンディング
まぶしさに覆っていた腕を下げると、ちょうど空中から指輪がカランと落ちたところだった。
同時に、力を使い果たしたライカが膝を折った。
ガルフリードの姿をした、邪悪の化身は消え去っていた。
うそのような静寂が場を支配している。
終わったんだ……。
エルは助かって、世界は救われたのか?
いや、まずは指輪をエルに戻さないと。
「あ……」
地面をくるくる回っていた指輪は、そのうち不自然な動きで転がると、また宙にふわっと浮いた。
エルのところへ帰るのか?
そう思って見守ったのが間違いだった。
『我は……消えぬ……』
残留思念のごときうつろな声とともに、指輪がそのまま上空へ上がっていく。
「おいこらっ、しつこいな! もうエンディングだろ!」
おれは慌てて追いかけたがもうちょっとのところで届かない。
指輪が昇っていき、天井の穴から外へと飛び出してしまう。
「にゃろう!」
梯子を上ってそれを追いかける。
穴から顔を出すと、そこはどうやら小さな島のようだった。
周りが水で囲まれていて、厚い霧が立ち込めている。
洞窟を通るうち、湖の真ん中の島の真下にいたらしい。
肝心の指輪はすでに、ゆっくりと湖の上を進んでいた。いつもの湖畔の砂浜と違って、水深はいきなり深くなっている。泳いで追いかけるか?
「ナガシン様、舟が!」
アデリナさんが穴から顔をだして、島のほとりを差した。ご都合主義的に、エルの父親が乗ってきたのと同じくらいの小舟がある。
「よし、アデリナさん行こう!」
これなら指輪を捕まえられる!
が――。
『我は消えぬ……消え……』
ぶつぶつとつぶやく指輪に、その真下から影が襲い掛かった。
ばしゃん、と水しぶきが上がる。
「あ――」
巨大なブラックバスに似た魚が、虫と間違ったのか水中から飛び上がり、飲み込んでしまったのだ。
「え……」
へたり込むアデリナさん。おれも腰が砕けそうだった。
「なんてこった……」
ここはご都合主義的に指輪を取り返して、ハッピーエンドじゃなかったの?
水面はすでに、何重かの波紋を広げるだけで、指輪を飲み込んだ魚は影も形も見えなくなっていた……。
「ど、どうしたんですかー?」
マイケルがエルを担いで昇ってきて、あまりに茫然としているおれたちにたじろぐ。
ほうほうの体でライカも続いてきて、おれは気力を失いつつも、ことの次第を伝えた。
魚が食べた、と言うと、2人は呆れた顔をしたが、アデリナさんの言葉を聞いて蒼白になった。
「エル様の身体は、日が沈むまで持ちません」
魔王は強大な魔力を扱う分、それに依存している。呼吸ができないのと同じようなものらしかった。霧に隠れて、傾いた太陽はぼんやりと揺れている。時間がない。
「ど、どんな魚が食ってったの!?」ライカはいまにも飛び込んで探しに行きかねない。
「おれたちの世界で言う、ブラックバスに似てたな……」
「オウ、それなら釣ればいいのではないですかー?」
「お前な、そんな狙って釣れ……釣れ……」
頭の中に火花がはじけた。
そうだ……あの魚は指輪を飲み込んでいる。赤い宝石の指輪。
アデリナさんの持つ、青い宝石の指輪と対になるもの!
「マイケル、それだ!」バシン、とでかい背中を叩く。
「アイヤーッ!」
「釣れるぞ!!」
大声を上げたおれにびっくりして、アデリナさんが肩をすくませた。おれは問答無用でその肩をつかんだ。
「アデリナさん、指輪はお互い惹かれあうんですよね!」
「ち、近い。近いです! その通りですけど……」
「アデリナさんの指輪を貸してくれませんか。それを餌にすれば……ヤツを釣ることができるかもしれない」
「…………!」
「マイケル、下に降りて荷物から、回収した竿と道具一式、持ってきてくれ。はやく!」
「イ、イエス、サー!」
「指輪、貸してください」
アデリナさんが指から抜き取ったそれを受け取って、観察する。
想像よりずっしり思い。
それもそうだ、でっかい宝石をしつらえて、装飾を施された指輪だ。
何グラムだろう……20グラム? 30グラム?
感覚としては、その重さのメタルジグでも投げると思えばいい。
しかし指輪なんかうまく飛ばせるだろうか?
小舟が目に入った。
そうだ、舟から投げれば、飛距離はいらない。探る範囲も広がる。
「アデリナさん、舟を使いたいです。準備お願いします」
「は、はい。……これは、お館様が乗ってきた舟のようですね」
エルのお母さんか。洞窟を通らず、直接ここへ舟で来たらしい。
「ミスタ・ナガシン。これでいいですかー?」
マイケルが釣り竿一式を持ってきた。
おれは手早く竿を組み立て、リールをセットする。初めて使う異世界の釣り道具だけど、基本はいっしょだ。リールの糸をガイドに通し、それから指輪へ回しいれて、絶対外れないように完全結びと呼ばれるやり方で結びつける。
軽く振ってみた。そして驚く。
どこかこっちの世界の道具は遅れていると侮っていた部分があった。でもこのタックルのバランスはすごくいい。それにこの硬い竿は、さっきの巨大魚とファイトするのに十分なパワーを持っている。
「ナガシン様、残念なお知らせが」アデリナさんが声をひそめた。「指輪が魔法に反応しません。さっきのように場所を示すことができないのです」
そういや魔法がうまく発動しないと言っていたな。エルの魔力が封じられた影響もあるのかも。
「それでも指輪同士はひかれあうはずです。お互いが近くにあれば、きっと引き寄せられます」
「わかりました。それで充分です。――いきましょう」
アデリナさんと乗り込み、操船してもらう。舳先から淡い輝きが光って、舟は動き始めた。
「がんばってね……!」
「ファイトでーす!」
島に残る2人に片手を上げる。
ライカは一年間も修行をして強くなった。
なにか危険があるかもしれない、ただそれだけの理由で。
それが結局、エルを守った。
友達として、おれにもやれることがある。
下手糞な腕前だけど、でも、おれだから思いついたことだ。
そして、お父さんが道具を残しておいてくれたから。
一緒にエルを救いましょう、と心の中で声をかける。
さあ、はじめよう。
巨大魚が現れたあたりにまず、キャストする。
どの棚――水深から探っていくか。
セオリーどおり深いところからだ。
10秒カウントして巻いてくる。
手応えはない。
カウントを2秒ずつ短くして、棚を上げていく。
着水と同時に引いてくるところまでいって、反応がなければ投げる方向を変える。
丁寧に、丁寧に探る。
太陽はさらに傾いてきた。
時間はない。
だけど、これが一番の近道のはずだ。
まずは魚の反応を感じる。
いるなら、きっとなにか感じ取れるはず。
おれはルアー釣りの極意を知っている。
まだ釣り歴は5年も経っていないけど、極意は実感している。
それは信じること。
いま投げているルアーは釣れるんだと。
とにかく、信じる。
信じないと途端に、やる気が失われる。
無駄なことを続けていると思ってしまう。
心が折れて、やめてしまう。
やめたら、釣れない。
当たり前と言われるかもしれないけど、それが極意だ。
おれが投げているものを信じるんだ。
ルアーですらない、指輪だけど。
これこそがこの広い湖の中で、あの一匹の魚を釣り上げる最高のエサだと信じて。
太陽が水面にかぶり始めていた。
何度投げたかわからない。
アデリナさんはなにも言わなかったけど、表情が強張っていた。
着水と同時に巻き始めた時、なにか黒いものがよぎった気がした。
あれか……!?
あの魚は、水面を見ているのか。
最初からやり方を間違っていたかもしれない。
あいつは水面からジャンプして、指輪を食った。
上を見ているんだ。
棚は水面だ。
方向はこっち。
キャストして、カウントゼロでリールを巻く。
反応なし。
棚がわかれば、次はルアーの速度だ。
早く巻いたので追ってこないなら、ゆっくり巻く。
ゆっくり巻いて食わないなら、水面を跳ねさせるようにアクションを入れる。
この竿、硬いだけあって細かいアクションが苦手だった。
躍らせるように動かしたかったけど、できているのかどうか……。
竿を立てすぎて、失敗した。
水の中から指輪がすっぽ抜けて、空中に飛び出してしまう。
やり直しだ、と舌打ちをしたが――。
バシャッ!
すごい勢いで巨大魚が水面を割り、飛び出した。
「マジかよ!」
やり方は全部間違っていた。
棚は空中だったのだ。
そんなのアリって感じだけど、結果がすべてだ。
巨大魚はがっぷりと指輪を飲み込んでいた。
「うおりゃああーーー!」
おれは思い切り合わせを入れる。
糸がしなり、ガチっとした手ごたえがあった。
魚は釣れなかった。
かわりに、そのおなかの中から、赤い宝石の指輪をくっつけて、赤と青のきらめきを放ちながら、宙に放物線を描いた。