18 異界の浸食者
途方に暮れるまで時間はかからなかった。
最初の分岐は2つ。
その時点でライカはまだ、エルの足音を把握していた。右に進んだらしい。
その右の道は、すぐに3つ分岐した。そこでもう、どっちに行ったのかわからなくなった。あてずっぽうで進んだ先がまた分かれて、これは迷子になると予感したライカはいったん戻ることにした。賢明な判断と言える。
「どうしよう……」
岩肌は不気味だし、エルは消えるし、心細いことこの上ない。
追跡できる魔法でもあればいいのに。と思ったが、エルの声で「魔法をなんだと思ってるんだ」と脳内で聞こえたから、口に出さないでおいた。
しかし。
「あっ、わたくしとしたことが」アデリナさんが口元を押さえた。「魔法で、あとを追えるかもしれません」
あるのかよ!
曰く、アデリナさんの青い宝石の指輪と、エルの赤い宝石の指輪はワンセットの魔道具であると。ゆえに離れていてもお互いにひかれあうらしい。
さっそくやってみます、と集中すると、指輪から青い光が矢印のように伸び始めた。
手を動かしても一定の方向を示している。そっちにエルはいるのだ。
「よかったー……」
ライカが安堵のため息を漏らした。おれはどっかのアニメ映画で見た光景だと思った。
指輪に案内されるまま、洞窟を進み始める。
分岐が激しかったのは最初のうちだけで、それからはたまに分かれる程度になった。
しかしずいぶんな距離を歩かされる。
湿度が高く、じめじめしているため、気温はさほどでもないが、動き続けると汗をかいてきた。
「あつーい……」
ライカは暑がりなのか、もともと薄着なのに羽織っていたものを脱いで腰に巻いた。
ノースリーブの衣装に身体のラインが強調されている。特に、背負った剣をつるすベルトストラップが胸を真ん中で縦断していて、こんな状況じゃなきゃ鼻血ものだ。
「Oh……πスラ……」
いや、こんな状況でも鼻の下を伸ばしてブツブツ言ってるやつもいる。
マイケルの顔面にチョップをくれてやって、先を急ぐことにした。
どれほど歩いたか……。
進む先からわずかな明かりが見えてきた。
空気が動いている。
風を感じるにはほどとおい、かすかなものだったけど、洞窟の静止した空気に触れ続けていたおれには、それが感じられた。
やがて大きな地底ホールへ出た。
ちょうど、小学校の体育館くらいの広さと高さだろうか。
奥の天井に穴が開いていて、そこから光と風が侵入してきている。穴から外へ出るための梯子もかかっていた。
そこまで確認したところで、急に視界がふさがれた。
「キャッ、オバケェッ!」
オカマみたいな声を上げて、マイケルがおれの顔に抱き着いたからだ。
「やめろこら! って臭っ!? おまえ、腋、臭ァ!!」
マイケルのTシャツは汗でべっとりしていて、おまけに鼻が腋に押し付けられていた。
さすがアメリカ人。
体臭もハンパねぇ……。
もがいてももがいても、がっちりホールドされて逃れられない。
真っ暗だった視界が白く開けていく。
すずしげな風を感じた。
白い。
世界は白く輝いていて、大地には花が咲き誇っている。
その向こうに懐かしい人影があった。
離れて住むばあちゃんだ。
にこにこと笑って、おれに手を差し伸べている。
ばあちゃん……会いたかった。
おれは手を振った。
なんか、ばあちゃん死んでるみたいな映像が見えてるけど、全然元気なんだよな。
今度会いにいくからな、ばあちゃん。
ゴールデンウィークにでも……。
…………
「はっ!?」
目を開けると、荷物を枕に寝かされていた。
アデリナさんが隣にいて、心配そうにのぞきこ……んではいなかった。どこか他所を見てる。
それもそのはずだった。
派手な戦闘音が聞こえていた。
あわてて上半身を起こすと、ライカが見知らぬ黒ずくめの男と戦っていた。
その向こうにエルがぐったりと倒れている。
「なにこの展開!?」
映画の途中でトイレに行ったらラスボスと戦いが始まってた、みたいな。
男はひげ面の壮年で、見事な悪人顔をしていた。
剣を持って立ち向かうライカと、エルが使ったビームソードみたいなので切り結んでいる。
街中でアンケートを取ったら、十人中九人がラスボスですと答えるだろう。
「あの悪そうなやつがエルをさらったんですか!?」
アデリナさんに説明を求める。返ってきたのは動揺しきった答えだった。
「わたくしにも、なにがなんだか……。あれは、エルのお父君。ガルフリード様なのです」
オヤジめっちゃ悪そうなツラじゃん!
え、顔が怖いからライカが戦ってるの?
混乱するおれに、アデリナさんはおれが気絶している間になにが起こったか教えてくれた。
マイケルがお化けと見間違えたのはあの黒ずくめの男だった。エルを抱えてなにごとか魔術的な儀式をしていたのだ。それはエルの指輪に、エルのすべての魔力を封じる魔術だった。
アデリナさんがそれに気づいたころには遅く、魔力を封じた指輪を父親――ガルフリードが抜き取ったと言う。
「あのままではやがて、エル様は衰弱して死んでしまいます」
それを聞いたライカが指輪を奪おうと飛びかかった。
戦闘は始まり、いまに至る――。
どうして父親が、娘を殺そうとするのか。
いや、殺すならビームソードで刺せばいい。欲しいのは指輪……と言うより、エルの魔力か?
となると、仮説が思い浮かんだ。
「あいつ、エルのお父さんの姿をしているだけで……別人なんじゃないか?」
「ほう、聡い者がいるな」
おれのつぶやきを、黒ずくめが拾った。
「ぎゃっ!!」
強烈な蹴りを食らって、ライカが吹っ飛ぶ。壁に激突して、岩肌にひびが入った。
「ライカ!?」
「そこの小僧、なぜそう思う?」
余裕しゃくしゃくの黒ずくめがおれを見据えた。
こえー。顔こえーよ……。
おれは立ち上がりながら答える。視界の端では、ライカが頭を振りながら態勢を立て直そうとしていた。時間稼ぎが必要だ。
「あんた、この洞窟に封印されていたなにものかなんだろう? この世界を滅ぼすとか言われる……」話を長引かせようと返答を待ったが、無言で続きをうながされただけだった。
「封印の壁が壊れたのに気付いたエルのお父さんが、すべての魔力を使ってあんたを封じなおした。おそらく、自分の身体に」
黒ずくめはにやりと笑った。正解だろう。まだライカはふらふらしている。当てずっぽうでもなんでもいいから、推理を披露して長引かせないと。
「これは推測だけど、本当はエルのお母さんがその役目に当たるはずだったんじゃないか。だけど先にお父さんが勝手に身代わりになった。だれにも言わずに城を出たのはそんな理由だ」
「いまいましい魔王め……!」
にやりと笑っていたはずの唇が、耳元まで裂ける。怒りと狂気の笑いだった。めっちゃこえーよ。
「ガルフリードは力のない男だった。やつの封印は不完全だ。時を待たず解けるはずが、あの女が来た。あの魔王が……!」
「エルのお母さんか……」
「あいつは怒り狂って我の存在を消そうとした。封印ではなく、消滅を狙ったのだ。やつのせいで我は存在のほぼすべてを失い、力も、名前すら失ったのだっ!」
どんっ! と力任せに地面を踏みつける。それだけで周囲が反動で隆起した。
「だが我は勝った! あやつは伴侶の肉体を消すことをためらった。我らは純粋な魔力の塊となってお互いを相殺し、消滅しあいながら、それでも奴はガルフリードの肉体に残った我の一部を消すことができなかったのだ! そしていま、その娘の魔力が手中にある」
ひた笑うその姿は邪悪そのものだ。
「この魔力で異界の扉を開け、再びもとの姿へ戻るのだ。あの女も、娘の力が使われるとは思わんだろう……くく、くっくっくっく……!」
「そうはさせないよ」
凛とした声が響き渡った。ライカが正眼に構えている。なんとか時間は稼げた。
ぼろぼろになっていたけど、目は闘志に燃えていた。
「エルの力はそんなことに使わせない。あたしがそうはさせない」
「ふふふふ……。この魔力の持ち主は言っているぞ。お前は弱いと。勇者だか知らぬが、遠く及ぶものではないと。剣を捨てて逃げろとな」
「一週間前のあたしなら……ね」
ライカは剣の柄を操作して留め具を外し、何を思ったか刀身だけを抜き取った。
白刃は輝きを放って手中に収まっている。なにを考えているんだ?
「あたしって褒められて伸びるタイプなんだ。一年間修業して、師匠に免許皆伝と、この剣を授かった。この――聖剣セラフィスを」
「まさかっ!」
アデリナさんが叫んだ瞬間、ごうっと風が吹き渡った。
それはライカと剣からほとばしるエネルギーの圧力だった。
刀身だけになったはずの剣が、エルのビームソードみたいな光に包まれ、雷撃のように蠢いている。
また、ライカ自身も薄紅色の輝きに包まれていて、その背からは天使のような羽根が伸びていた。
「まさかまさか――あれは、『勇者』!」
「勇者?」
「そうです、あの姿、あの剣こそ……魔王を殺す存在、真の勇者として覚醒したもの! ああ!」
アデリナさんは取り乱しながらも、叫んだ。
「わたくしは魔王第一の配下として、刺し違えてでも、あの者を斃さなければならない! 本当なら! でもいまはっ!」
声を振り絞る。
「ライカ様! エル様を救ってぇっ!!」
カッ、と輝きが最高潮に高まる。
目も明けていられないくらいだ。
その白光のさなか、黒ずくめがうろたえる姿だけが見えた。
「まさか、お前は落ちこぼれではないのか――っ!」
「たとえ落ちこぼれでも、友達を救うためなら、」
ライカが黒い影へ跳躍する。いや、飛んだ。
「勇者にだってなれるんだぁっ!!」
滑降する鷹のような鋭さで、それが交わる瞬間、虹色の奔流がほとばしった。
勇者は魔王を殺す剣を、救うために振るったのだ。