17 異変
たしかにあまり考えず来てしまったけど、もろダンジョンに見える。モンスターが出たってエルやライカが遅れを取ると思わないが、作戦は立てておかないといけないだろう。
そういや、モンスターって出るんだろうか? エルは難しい顔をしているので、ライカに問いかける。
「こんな洞窟に? どうかな……。封印されていたのが世界を滅ぼす魔獣だったなら、出るかもね」
いたずらっぽく笑う。これはからかっているな。
「ま、出てもコウモリとかヘビとかじゃない? 生き物の気配すらしないけどね」
「それだ」
鋭く指摘されて、ライカはびくっとした。エルは相変わらず難しい顔で顎に手を当てた。
「洞窟が3年前から開いていたとして、コウモリが住み着いた気配もない。どころか虫一匹見ていないぞ。なにかおかしいと思わないか?」
おれはマイケルと顔を見合わせた。思わないかって言われても、こっちの世界の常識を知らないんだから判断のしようがない。ライカも考えているが、これはフリをしているのがバレバレだった。この3人は役に立たないと思ったか、エルは頼みの綱のアデリナさんに振った。
「アデリナ、なにか感じないか」
「ここへ入ってから、指輪の調子がよくない気がします。光球をもっと明るくしたいのですが……」
ぼんぼりくらいの明るさだ。こんなものかと思っていたけど、違うらしい。
指先に火を灯したエルが、本当だな、と言った。
「魔力が抑え込まれているのか。それとも指輪が力を発揮できないのか……」
何度か火を灯したり、消したりしてみても、原因はつかめないようだった。
「HEY、レディーたち。疲れた身体には、甘いものでーす」
マイケルはリュックの中からスリッパ―ズを取り出す。またしても大量に持ち込んだらしい。
「お茶を用意いたします」
そう言うアデリナさんの口元が、じゅるっと鳴ったのを聞き逃さなかった。本当に好きなんだな……。
小腹もすいてきた頃だったので、珍しくマイケルのチョイスは正解だ。おれも久々に食べることにした。くどい甘さが今はちょうどいい。アデリナさんのお茶もスッキリした味わいでよく合っていた。
「これおいしいよ!」
ライカも目を輝かせて、チョコバーをむさぼった。いかにも好きそうだと思った。
反対にエルは半分ほど齧ったあたりで手が留まっている。情けない顔で、
「口の中がにちゃにちゃする」
と言った。味だけじゃなく食感でも好みがわかれるのはしょうがない。
「オウ! いらないのでしたら、残りはワタシがいただきまーす!」
「そうしてくれ」
素直に渡そうとしたそれを、おれは横合いから奪い取って、ライカの口に突っ込んだ。
「ふがっ!?」
「関節キッス狙ってんじゃねぇぞメリケン野郎!」
「NOOOOOOOO!!」
「ふふふ」
おれたちの掛け合いを年上のお姉様然として見守るアデリナさん。しかしその手元にはスリッパ―ズの空袋が3つも置いてある。食うの早すぎだろ。
場が砕けてはじめて、いかに緊張感に包まれていたか気が付いた。
こうやってふざけあっているくらいがちょうどいいんじゃないか。少なくとも、おれはそう感じる。
しかし和やかな空気は長続きしなかった。
突然エルが立ち上がったのだ。
「いまの、聞こえたか!?」
と、血相を変えている。
おれやマイケルはともかく、アデリナさんもぽかんとしていた。
エルは耳に手を当て、洞窟の奥へ向いた。
「ほら――また。声だ。この声は……」くちびるが震える。「父様、だ……」
今度はおれも耳を澄ませていた。
なにも聞こえてはいない。見回すと、全員が不審そうな顔をしていた。だれも聞こえていないのだ。
あれか。スリッパーズに当てられて幻聴が聞こえるようになったとか。
茶化す雰囲気じゃないので黙っていたが正解だった。
「聞こえないのか? わたしを呼んでいる。呼んでいるんだ」表情が鬼気迫っていく。「行かないと。父様のところへ」
「エル様!?」
アデリナさんが悲鳴を上げた。普段冷静なエルが、後先も考えずに洞窟の暗闇の中へ走っていった。
いきなりなんなんだ。
この洞窟、おかしいぞ!
「エルっ!」
呆気に取られていたライカが、我に返って暗闇へ消えたエルを追った。
おれたちもすぐ追いかけたかったけど、荷物を置いていくわけにはいかない。
手早く片づけて出発しようとしたときに、前方からライカが茫然と戻ってきた。
「見失っちゃった……」
聞くと、いままで一本道だった通路はこの先いくつも分岐し始めると言う。ライカが分岐点へたどり着いたころには、すでにエルの姿はなく、物音もしなくなっていた。
「どうしたんだろう、エル」
「わかりません。いつも、考えてから行動するお方なのに」
アデリナさんの顔が青いのは、うす暗い光球のせいだけじゃないはずだ。
あまり知りたくない疑問だけど、おれには思い当たるものがあるので、確認してみる。
「あの、この世界って幽霊はいます?」
「幽霊?」
「つまり、エルのお父さんが化けて取り憑いた、って可能性は……」
「オウ、マイ、ガッ!!」マイケルが激しく十字を切った。こいつは怪談話が苦手だ。
「ゆ、幽霊なんて、存在しません。ええ、しませんとも」
アデリナさんの顔色がさらに青くなったのを、残念ながらおれは見てしまった。
ライカを見やると、コクコクと壊れたブリキ人形みたいにうなずいた。
この反応、どっちなんだ……?
洞窟は重苦しく、暗闇を照らす明かりはあまりに心もとない。
別にホラーが苦手じゃないおれまで怖くなってきた。
「ま、まず、エルを探そう。それからだ」
口の中が乾いてどもってしまった。
みんな異論はないようだった。