16 遺された釣り竿
昼間なのにもう真っ暗だった。ほとんど先が見えない。まだ行き止まりではなさそうだった。
おれはなにかの役に立つと持ち込んだ道具から、釣りに使うヘッドライトを取り出し、明かりをつけた。
光の束が進む先を照らす。ライカが驚いた。
「なにその魔法!」
「え?」
「すごい明るいな。ニホンの魔法にも便利なのがあるね!」
「魔法じゃないんだけどな……」
最近のLEDライトは明るいから、魔法みたいなもんか。
洞窟はまだまだ奥が続くようだった。
エルが言うような、すぐに行き止まりって感じじゃない。
本人も首をかしげていた。
「おかしいな。記憶違いか? 記憶力には自信があったんだがな」
「エル様、あれを」
アデリナさんが指さす。ヘッドライトの明かりに照らされて、前方に崩れた岩肌が見える。大きなブロックが積まれたものにも思えた。エルが手を打った。
「思い出した! なぜいままで忘れていたんだ! ここには壁があったんだ」
「壁?」
「そうだ。普通の行き止まりではなかった。壁が作られていて、先へ進めなかったんだ。思い出してきたぞ……、父様の様子も変だった。そのとき、わたしは何を言った? 父様はなんと答えたんだ」
頭に手を当てて考え込んだ。
崩れた壁の向こうにも、まだ舟で進めそうだ。しかし先へ行くかどうか、アデリナさんも迷っているようだ。
うんうん唸っているエルに向けて、
「なんか記憶を呼び出す魔法とかないの?」
あるなら使っているだろうな、と思いつつ聞いた。
「そんなご都合主義の魔法があるか。たわけめ」
洗脳ビームは使うくせに!
魔王様は思い出せないことにイラついているのか機嫌が悪いようだ。おれは周囲の観察でもしてみることにした。
崩れたブロックを照らしてみると、なにやら紋様のようなものが刻んである。やはり人工物に間違いないようだ。ライカが落ちそうなほど身を乗り出して、それを眺めていた。
「なにか書いてあるよ。立ち、入り、禁止。……封、印?」
「あれは文字だったのか」
「ナガシン、字が読めないの?」
「いや読めるけど、日本語じゃねーし」
「ニホンゴ? そっちの世界と文字の種類が違うんだ」
「違うってライカ、おれの部屋で漫画読んでたよな……あれ?」
いかん、わけがわからん。考証はあとにしよう。
エルが再び手を打った。
「封印、で思い出した。壁をぶっ壊して先へ進もうとしたわたしに、父様はこう言ったんだ」なんて乱暴なお子様なんだ、と突っ込みたいのをこらえる。「ここには怖いやつが封印されている。壁を壊したら世界が滅びるぞ……って」
「壁を壊したら……」
「世界がブレイクアウト……」
ライカとマイケルが、壊れた壁を見た。
「わたしを怖がらせる冗談だと思ったから忘れていた。だけどいま思い返せば、あのとき父様はかなり動揺していた気がする。たまたま入ったこの洞窟で、壁を見つけた時にな」
全員が黙り込んだ。
ぽっかり開いた壁の向こうが、急に不気味に思えてくる。
父親が言ったのはたしかに、子供を諫めるための冗談にしか聞こえないセリフだ。
のちにここで行方不明になったのでなければ。
この先になにがある?
いや、……なにがいるんだ。
「世界は滅びていません」アデリナさんも緊張した面持ちだ。「旦那様のおっしゃったことがまことであるなら、封印された何者かによって、少なくとも世界に異変があるはず」
「あったさ……異変なら」
わかってるだろ、とエルは言う。指輪を振り、自らの力で舟を進め始めた。
「父様の魔力が消滅した。この壁、崩れてから時間が経っている。おそらく3年前だ……、父様はここへ来た。壁が崩れたことを知って。――見ろ!」
壁のあったところを越えると、水かさは減り始め、両脇に上陸できそうな地面が現れた。その端に、小舟がつながれていた。
エルは舟を寄せ、ロープで係留する暇も惜しんで飛び降りた。
小舟をのぞきこみ、声を震わせた。
「やはり――父様はこれに乗ってきたんだ」
おれたちはアデリナさんが手近の岩へもやい結びを引っ掛けるのを待ち、上陸した。
舟には釣り竿や道具一式が残されていた。
偽装は必要なくなったから置いていったのだ。目的は別にあったと言うこと。
おれはエルに許可をもらって、竿を手に取ってみた。
2本継ぎのショートロッドで、硬い。ガイドもしっかりした作りで腐食は見られず、ヘッドライトに照らされてピカピカと輝いている。もしかして銀製だろうか? 昔の高級竿は金属部分が銀だったと聞いたことがある。
リールも大型でしっかりしている。大物用のタックルに違いない。糸を伸ばしてくるくると巻き取ってみたけど、動作に問題はなかった。巻かれてある糸も、放置されていたにしては状態がいい。すぐにでも釣りをできそうなくらいだ。
「十分使えるな。持って行っていいか?」
形見の品――なんて言い方をすると不吉だけど、記念になるはずだ。エルは心ここにあらずの調子でうなずいた。
それからおれたちは、洞窟を歩いて奥に進んだ。
水はなくなり、かわりにごつごつとした岩が地面を埋めている。
ヘッドライトの明かりでは範囲が狭いので、いまはアデリナさんが電球のような光を頭上へ飛ばしていた。光量はそれほどないけど、足元を照らす分には問題ない。
みんなの口数が減っていた。
洞窟の雰囲気に押されたってのもあるだろうけど、エルがずっと黙っているからだ。リーダーであるだけでなく、ムードメーカーでもあった。それが重苦しく沈黙しているんだから、自然と口を開く者もいなくなる。
「アウチ!」
いや、ひとりだけ能天気なやつがいた――マイケルだ。声を上げて足を押さえた。
「どうした?」
「つま先をぶつけてしまいましたー。もう歩けません。ミスタ・ナガシン、おぶんしてプリーズ」
「寝言は寝て言え!」
身長だけはおれより頭ひとつ分あるのだ。そんなデカブツ背負えるか。
「ノウ! 冷たいですねー。昔の人も言ったでしょう? 旅は道ずれ、渡る世間は鬼ばかり、と」
「なんか混じってるぞ。鬼ばかりなら間違っちゃいねぇな」
「いや、すこし休もう」息を吐いて言ったのは、意外にもエルだった。マイケルを慮ったのではないようだ。
「想像以上に洞窟は深いみたいだ。どうするか話し合わないか」
近くにみんなが座れそうな台地があった。
アデリナさんの光球を中心に置き、それぞれ腰を下ろす。