13 父の手がかり
おれの名はナガシン。釣りの好きな普通の高校二年生だった。
だった。過去形。
釣りをやめたわけでも、高校三年生になってしまったわけでも、ましてナガシンじゃなくなったわけでもない。
過去形なのは、普通、の部分。
なにせおれが今釣りをしているのは、日本じゃない。アメリカでも中国でもない。
剣と魔法が支配する異世界なのだ。
そんなファンタジー世界でおれは剣士になるでも、魔法使いになるでもなく、フィッシングに興じていた。
剣も魔法も興味ねえ!
釣り最高!
ぐっと竿先が抑え込まれる感覚。
反射的に右手を握りこむ。ロッドが上向き、腕を振り上げ、鋭い合わせを入れる。
全体に重みが伝わってくる。ブルブルとした振動。
「っしゃきた!」
リールのハンドルを巻きあげて、魚を引き寄せる。
途中、抵抗があるたびにドラグがジリジリと鳴って糸が出ていく。
「大きいか?」
横合いから、光の中に溶けそうな美少女が、興味津々にのぞき込んでくる。
「けっこうあるかも。タモ入れ、頼めるか?」
「任せろ」
美少女はドレス姿に似合わない玉網を構え、水中に差し入れる。
暴れまわる魚を逃がさないよう、そして糸に必要以上の負荷をかけないよう気を付ける必要がある。徐々に寄せてきて、ネットの中へ魚を誘導した。
「よし、捕った」
その美少女――魔王エルフリーデは、手慣れた動作でタモを引き上げ、中の魚を確認する。
「うん、こいつだこいつ。これでやっと3匹そろった」
「やれやれ、やっと昼飯か」
釣った魚で飯を食おうと言い始めたのはエルだ。魔王の城がある森の上流域においしい魚の生息地帯があると、やってきたのがここだった。
いかにも雰囲気のいい川で、マイナスイオンが溺れそうなほど漂っている感じの場所だ。
おれは海釣り専門で渓流のルアーなんかしたことなかったけど、異世界での釣りの先輩であるエルの指導で、なんとか一匹釣り上げられたところだ。
ちなみに3匹必要な理由は、おれ、エル、それから世話のためついてきてくれたメイド長のアデリナさんの分がいるからだ。2匹はすでにエルが釣っていた。
「で、どうやって食べるんです?」
河原で火を起こして待っていてくれている、アデリナさんのところへ魚を持ち帰り、聞いてみる。
「えっ?」
「えっ、て……。あれ?」
アデリナさんが料理するんじゃないの? メイド服まで着てるのに。
こころなしかさっきより距離が離れている。
いつもにこやかな表情が凍り付いていることにおれは気が付いた。
「……もしかして、魚ダメなんですか?」
コクコクとうなずく。
うしろでエルが嘆息した。
「生魚が怖いそうだ。切り身ならいいんだけどな」
「め、目が怖いんです。ひぃっ! こっちを見てる!」
「そりゃ見てるでしょうよ……」
まぶたないんだから。
これは……おれがやるしかないか。
調理器具を持ち込んであるのは知っている。アデリナさんの手料理が食べられるものと楽しみだったんだけど。
「ナイフ貸してください」
異世界の魚も見たところ日本のと変わらないみたいだ。エラと内臓を取って、塩焼きにしたらいけるだろう。
魚だけは料理できるのが幸いだ。釣った魚は自分で捌いて料理まですること。その条件でうちの親はおれの釣り三昧を黙認してくれている。
釣った魚はアマゴに似ていた。
お尻からナイフを入れ、喉まで切れ目を入れる。新鮮なつやのある内臓が出てきた。
「ひいいい」
怖いなら見なけりゃいいのに、アデリナさんはガン見している。
その隣で興味深そうにしているエルに、無駄と思いつつ聞いた。
「エルは魚料理しないの?」
「わたしは釣る、食べる専門だ」
「ですよねー」
いつかの光景を思い出す。あれだけうじゃうじゃメイドがいたら、料理してもらう相手に困らないだろう。
「あ、先にうろこを取ったらよかった」
「そいつうろこはないぞ」
「ん? ほんとだ。そー言うのは詳しいな」
「敵を知らば……と言うやつだ」ふふん、とエルは得意げに胸をはる。
内臓とエラを出して、汲んできた水で腹腔の中をよく洗う。中の血合いも取り除いておくことが、臭み抑える秘訣だ。
タオルで水気を切ってから、袋から塩を出してもらい全体にすりこむ。
それを3匹繰り返して、焚火の上に置いた網へ並べていった。
本当は串に刺して炉端焼きみたいにしたら風情があるんだろうが、串もなけりゃどうやって刺したらいいかもわからない。普通に焼いても十分うまいだろう。
やがていい匂いが漂い始めた。
生魚が焼き魚に変わってくると、アデリナさんも近寄ってきた。食器と水筒に入れてきたお茶の準備を始めてくれる。
「焼けたかなー」
箸で突っついてみる。焼き魚はいつもグリルを使ってるから、加減がわからないんだよな。
火が通ったころ、木製の皿に移して完成だ。
脂が乗っているのかてかてかに光っている。これはうまそうだ。
「いただきます」
手を合わせて自然の恵みに感謝。
さっそく箸をつける。
ホクホクの白身が湯気を上げて現れた。
「んん! おいしい!」
先に食べたエルが歓声を上げた。
おれも一口、口に運ぶ。
それは得も言われぬ味わいだった。アユのような淡水魚特有の白身の食感でありながら、濃厚な魚の旨味があって、まるでメバルとかカサゴとかの根魚を食べているようだ。
「これは日本じゃ食えないな……」
噛まなくても舌を動かすだけでほろほろと身がほどけていく。やわらかさが人によって好みがあるかもしれないけど、おれには絶品だった。
「塩加減もちょうどよろしいですね」
アデリナさんも褒めてくれた。適当だったけど成功のようだ。
すこし遅いアウトドアランチを楽しんでいると、下流の方から声が聞こえてきた。
「おおーい」
あの声量には覚えがある。
すぐに、すごい勢いで走りこんできたのは、この前無事勇者の儀式を終えた西の国の王女のライカだった。
「はあ、はあ、やっと見つけた」
相変わらず短いスカートでここまで森を走ってきたのか。健康的な肌に汗が光って、非常に眼福だ。
「なんだ、釣りをしたいなら誘ったのに」
エルはただならぬ様子のライカより、焼き魚に夢中だった。
「ち、ちがうよ。たいへんなんだ。お城が大騒ぎだよ」
「なに?」
「とにかく、すぐ戻って。ああ、みんなに、エルを見つけたって教えないと」
一息もつかず、ライカはきびすを返して走り始めた。
さすがのエルも慌ててその背へ問いただした。
「おい、なにがあった!」
「――エルのお父さんの手がかりが見つかったんだ!」