12 魔王と勇者の釣り勝負③
ライカのやり方に問題があるわけじゃない。竿さばきはなかなかのものだ。
道具は関係ないなんて言う人もいるけど、逆に道具が勝手に魚を釣ってくれる、なんて言う人もいる。
いい竿は竿先のいわゆる『乗りの良さ』で、人間がなにもしなくたって自動的にフッキングまで持ち込んでくれると言うのだ。
そこまでの高級品はおれも触ったことがないから真偽はわからないけど、何度もルアーを弾かれているこの状況だと、竿が良ければもう釣れているのかもしれないと思った。
「あっ、……くそっ」
また掛からなかったのか、舌打ちをしてライカはルアーを手元に戻す。
フックの位置を直している間に、ルアーを見て気が付いた。
(傷がついてる?)
塗装が剥げて線が走っていた。
ここは一帯が砂泥地で障害物はなく、ライカが足元の堤防にルアーをぶつけたわけでもない。
これは魚が食いついたときにできた傷だ。
(シーバスがこんな傷をつけるか?)
基本的に小魚を丸のみにする魚だ。ルアーに溝が付くほどの歯を持っていない。
太陽が下がってきて、夕日が水面に反射していた。
水の中の様子を見ようと、おれは偏光グラスを取り出して、顔にかけた。サングラスは釣り道具の一種と言われるほど、実は重要なアイテムだ。光の反射を抑制して、水の中がどんな様子なのか教えてくれる。
一瞬、大きな細長いものが水中をよぎった。
「なんだあれ……」
思わず口をついて出た。
ばかでかい。
あいつが食いついてるのか?
泳ぐ速度はそれほどでもなく、ボラのようにも見えたがシルエットが全然違う。ボラはずんぐりしているのに、目撃したものは蛇のように細かった。
「ふっ!」
ライカはあきらめずルアーを投げる。
コウガは水面直下を泳ぐように設計されたルアーだ。
引いてくると左右に首を振りながら、まるで弱った小魚そっくりの動きをする。
そのルアーめがけて、躍りかかるように巨大な影が走るのが見えた。
「いまだ!」
我知らず叫んでいた。
さすが――剣の腕はいいだけある。
常人にない反応速度で、魚とルアーが重なった瞬間、ライカは竿を振り上げていた。
「うわあ!」
竿先がひん曲がった。
あまりの重さに驚いたか、ライカが叫ぶ。
「ヒット!」
おれも叫んで、水中をのぞきこんだ。
でかい。
長細い巨大魚が暴れているのが見えた。
「わわわわわっ」
竿で魚の動きをいなしながら、ライカはリールを巻こうとした。ハンドルが重そうだ。
これ、あげられるのか?
若干不安だ。
異世界のリールにセットされた異世界の釣り糸が、どの程度の強度を持つのか不明なのだ。2人曰く、大物が来ても大丈夫とのことだが……。
「かかったのか!?」
ライカが必死にやりとりしているうちに、エルとマイケルがこっちへやってきた。
「オーウ、なんですかあれはー」
魚はサングラスなしに見えるところまで寄ってきていた。
おれは伸縮式のタモを伸ばしながら、わからないと答える。
ばしゃばしゃと水面がはじけた。
ネットを水際へ入れ、ライカに魚を誘導してもらって、その中へと導いていく。
「げ、入んねぇ!」
ネットの枠は60センチあるのに、魚が大きすぎて入りきらなかった。棒みたいに柔軟性のない奴で、長さは1メートル以上ありそうだ。頭が杭のように尖っていた。
ようやくおれには正体が分かった。
こんなのがこの辺にいると思いもしなかったけど……。
四苦八苦して、なんとか体の半分くらいをネットに入れることができた。
そのまま慎重にタモを引き上げていく。
そして魚は無事、堤防の上へ水揚げされた。
「や、やった……」ライカはへたり込んだ。「やったぁーー! シーバスだぁーーー!!」
「いや、ちがうぞこれ」
エルは変な顔をしている。それもそうだ、おれが見せた釣り雑誌の写真とは似ても似つかない魚だ。
「これは……ダツだ」
「ダツ?」
「そ。見てみな、この口。槍みたいに尖ってるだろ。漁船に飛び込んできて、漁師に突き刺さったりするらしいぜ」
口が長細く尖っていて硬い。歯もギザギザで鋭く、あきらかにルアーをかじったのはこいつだと知れた。
「そんなの、叩き落としたらいいのに」
それができるのはライカだけだ。
「とにかく……シーバスじゃないけど、ちゃんと口にルアーの針がかかってる。サイズを計測するぞ」
マイケルに手伝ってもらって、メジャーを当てると、やはり1メートルを越えていた。
「109センチ。めっちゃ大物だな」
「えへへ。やったね」
「シーバス狙いと見せかけて、あいつを釣るのが正解だったのか?」
エルは顔をしかめていた。
「いや、おれもあんなの居るなんて思いもしなかったよ。初めて見たし。なにが釣れるかわからないのも釣りの醍醐味……違うか?」
「……そうだな。よし、まだ時間はある。わたしも大物を釣るぞ」
エルは海の方へルアーを投げ始めた。大物狙いならそっちが正解だろう。
ダツについてスマホで調べたら、食べれないことはないけど骨が多くて味もそこまでじゃないらしい。
釣った本人に確認したら逃がしてほしいとのことだったので、リリースすることにする。
それから一時間ほど、夕日が暮れるまで2人はルアーを投げ続けた。
おれは太陽の残滓が完全に消えるのを見届け、言った。
「ゲームセット! ここまでだ」
地合いはあの一瞬だったようで、それから当たりはなかった。
エルの釣った2匹目も、大きさは30センチ強だったらしい。
文句ないライカの勝利だった。
「おめでとうライカ」
エルは負けたのに穏やかな声で、ライカに告げた。
「約束通り、西の国ヘルンに宝玉を返そう。勇者として国に凱旋するといい」
「ありがと。でも、帰るのはもう少しあとにするよ」
「やり残したことでもあるのか?」
「うん。……エル、友達になろうよ。今度は勝負なんか関係なく、いっしょに釣りをしよう。いいところ知ってるんだ」
最初面食らった顔をしていたエルだが、そのうちふっと笑うと、なぜかおれを見てからライカに手を差し出した。
「ああ、行こう」
2人は手を握り合う。
こうして勇者は宝玉を取り戻し、魔王は一歩先へ進んだのだった。