1 普通のナガシン 異世界へいく
おれの名前は長崎真也。友達にはナガシンって呼ばれてる。この春から高校二年生だ。
市内の県立高校に通っていて、学業普通、スポーツ普通、容姿も普通。まるで両親が普通免許を添えて産んだみたいに、どこにでもいる感じの学生をしている。
で、突然だけどみんな、なにか不満ってないだろうか?
嫌なこととか、むかつくこととか、そんなんじゃなくて。
字面のとおり満たされず、満足できないって意味。
3秒以内に思い浮かばなかった人はしあわせだ。
あとでいろいろ思いつくんだろうけどたぶんそれ、不満でもなんでもないから。ちゃんと満たされてる。おめでとう、ハッピーライフ。
おれには不満がある。
0.3秒で答えられる不満だ。
それはなにかって?
それはね……。
「釣れねぇーーーーーーーっ!!」
おれは絶叫した。
海へ向かって。
夕日へ向かって。
だれもいない堤防の突端から。
絶叫はこだますることもなく、海へ空へ吸い込まれていく。
十分に吸い込んだ息を声の形で出力して、最後の一滴まで出し切った。
海鳥しか聞いていないけどそれでもいい。
いや、だれかに聞かれてたら恥ずかしくて死ねる。
だけどこれはもう、叫ばずにはいられないのだ。
「十連敗ボウズだと……」
ぜえぜえと息を切らしながら、おれはがっくりとうなだれる。
手にした釣り竿から、だらりと糸が垂れた。
なんなんだよいったい。
貴重な春休みを消費して、よっしゃ釣り三昧だとタックルも新調して。ちなみに小遣いがぜんぶ吹っ飛んだよ。そのくらいの気合は入っていたんだ。
それなのにまったく一匹も釣れないとは……。
そう、おれの不満は魚が釣れないってこと。
そして普通免許の権化たるこのナガシン、ひとつだけ人と違うことがあるとすれば、無類の釣り好きってことだ。
釣れないけど……。
「あーあ。まじかよ」
トホホな気分で片づけをはじめる。こんなみじめな思いはないんじゃないか。
この広い海の中、たくさんの魚が泳いでいるんだろう。
その中の一匹くらい、おれのルアーにぱくっと食らいついてもいいだろうに。
それともなにか。
おれの投げているルアーって、魚からしたら、なんかゴミが流れてきてるとしか思われていないんじゃ……。
いやいや、頭を振ってその考えを捨てる。
それはマジで危険な思考だから。心が折れる本気で。
「やめよやめよ。明日から学校だ」
始業式だけだからまた夕方から釣りができる。
久しぶりに会う友達が遊びに誘ってきたら……考えよう。
カラオケとか、ゲームするくらいなら、いっしょに釣りをしたいところだけど。
だれもやらないだよなぁ。
おれには釣り友達がひとりもいない。
不満とまで言うつもりはないけど、こんなにボウズを食らったあと、慰めあう仲間もいないのは、孤独だ。
「はあ……。こんな釣れない世界から、おれをどっか連れ出してほしい」
たくさん魚が釣れて、それを喜び合う理想の世界が、どこかにないだろうか。
上を向いて溜息を吐く。
夕暮れが終わり、夜の幕が下りてこようとする空。
キラリと、なにかが光った。
(……流れ星か)
スゥーっと、白い線を引いて流れ星が落ちていく。
白い線がチョークみたいに空へ残った。
(あれっ?)
落書きみたいに流れ星の軌跡が、そのまま描かれていた。
消えない。
どころか……。
それがメリメリと音を立てながら、まるでポテチの袋を横に開くみたいに裂けていく。
「えっ、えっ、ええっ!?」
おれは勘違いしていた。
流れ星みたいに空の高いところで線が引かれたと思っていた。
裂けていく空間は、おれの頭上一メートルほどの位置だったのだ。
ふわっと身体が浮いた。
突然の無重力に目まいがして、とにかくじたばたするしかできない。
「ちょ、ちょっと待って、なにが起きてるの!」
それはだれも答えてくれない。
次の瞬間、おれと釣り道具たちは、空間の裂け目の中へ吸い込まれていった……。