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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第二章 隻腕のミュゼット
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第ニ章♯11『警鐘』

 アルシス王との謁見の後、食事を済ませたウィルベルは客間に通された。部屋に戻るが早いや乱雑に衣服を脱ぎ捨て浴室へと向かう。早くさっぱりとしたかった。

 毎日一応綺麗にはしていたが、やはり旅中のことでは限界があるのだ。きちんとした施設を使えるというのはありがたい事だ。


 シャワーから暖かい湯を出して全身に浴びる。肌の上をするすると滑る水の流れが気持ちいい。手のひらで肌をなぞって全身を洗っていくのだが、隻腕ではどうにもやりづらい。というか右腕を洗うのが不可能に近い。今までも不自由を感じる機会はあったが、こんなに気になったのは初めてだ。どうしたものかと、ふと思い立って――、


「……『星辰の探求者(アイテール)』」


 虚空から零れだす黒い粒子、それをまとめ上げて左腕を形作ってみる。まるで彫刻の作業のように少しずつ造形を整え、完成したのは滑らかだが真っ黒な腕だ。生物感が皆無な素材からできているから、人形の部品のようにも感じられる。


「なんだ……結局私の気持ちの問題か」


 憑き物が落ちたような、拍子抜けしたような気分だ。一言呟き、まだぎこちない新しい腕で髪も綺麗に流して一つにまとめる。

 そして湯の張ったバスタブへ体を沈めた。体内の空気をすべて入れ替えるかのように長い息を吐く。


「はぁ〜……悩んで、というかうじうじしてたのが馬鹿みたい」


 ちゃぷちゃぷと波を立てていると、そういえばと西の平原でのことを思い出した。魔女の一件もあって有耶無耶になっていたが、ギルバートがわざわざあの場所を紹介した以上、それなりの成果は得ないと怒られるかもしれない。


「水、水かぁ……うーん」


 ウィルベルは手のひらに湯をすくう。

 水の中で浮かんでいた魔法陣。瞳を閉じてその情景を思い浮かべる。


 すくった湯を丸めて魔術で浮遊させる。そこに『星辰の探求者』の粒子を漂わせて魔法陣を形成してみる。魔力を流して回路を走らせてみるが、当然通常の魔法陣と同じ働きしかしない。見た目はかなり近いのだけど。


「理論はこれで良いと思うんだけど……あとは練習でなんとか……ならないかな? いや、でも……あっ」


 集中の切れた一瞬で、形を失った水球がパシャっと音を立ててバスタブへ落ちる。


「どうせ師匠に訊いても教えてくれないんだろうなぁ。地道に研究するしかないか……」


 しばらく湯浴みを楽しみ、寝室に戻るとベッドの上には高級そうなネグリジェが用意されていた。肩紐を指でつまんで広げてみる。


「……誰が用意したんだろう、これ」


 細やかなレースを施された菫色のそれは煽情的で、明らかに普段使いのものではない。それともこれが王族のスタンダードなのだろうか。

 まあ誰に見せることもないので着させてもらうとしよう。せっかく用意してもらったことだし。


 ベッドに身を横たえて、額に手を当てる。火照った肌をシルクのシーツが冷ましていった。ベッドの天蓋に描かれた絵画をぼんやりと眺めているうちに、意識が眠りの底へと引きずり込まれていく。




 頬に風を感じて目を覚ます。パッと目を開き、気がつけば辺りに広がっていたのは薄闇に沈む湖に立っていた。湖といっても水の深さは足首が浸かる程度で、岸は無く、見渡す限り無限に広がっている。

 そんな鏡面にぽつんと、置き去りにされていた。しかしウィルベルは混乱していない。なぜなら、ここには前にも来たことがあるからだ。


「久々だな……ここ」


「――確かに久しいな、我が主人」


「……ああ、久しぶり」


 振り向いた先には、ウィルベルの生き写しのような人物。波打つ黒髪を長く伸ばし、髪と同色の衣を纏っている。

 ここはウィルベルの心象風景を具現化した世界、以前レゾンデートルの発現に際して一度だけ訪れたことのある場所だ。そして対面している彼女はウィルベルの分身ともいえる存在。名前を呼ぶのであれば『星辰の探求者』だ。


「急に呼び出して、何か用?」


 思い起こす限り、ウィルベルは普通に寝ていただけのはずだ。ここに呼ばれる心当たりはない。


「警鐘の報せだ。主人に死なれては、私も消えてしまうのでな」


「警鐘……? ていうか、私が死んだら困るならクラマで助けてよ……」


 クラマで皇帝を相手にしていた時、ウィルベルはかつてないほど死に接近していた。あの時はうんともすんとも言わなかったのに、今度はどうしたのだ。


「そう怒るな、あの時は眠っていたのだ。それに私を休眠させたのは主人だぞ」


「え……私そんなことしたつもりないけど」


「そのつもりがなくとも、そうなるのだ。レゾンデートルは意志の力。意志なき者には正しく扱えない」


「……あなたが戻ってきたっていうことは?」


「そう、意志を取り戻したということだ。おかえり、我が主人……待っていたぞ」


 意志なき者。『星辰の探求者』の言う通り、ウィルベルは変わってしまっていたのかもしれない。ウィルベルの魂が本当に望んでいるもの、それはレゾンデートルの発現と共に確認したはずだったのに。


「すぐそこまで危険が迫っている。だが今の主人なら退けることは容易いはずだ。くれぐれも、意志を見失わぬようにな」


「ええ、ありがとう。もう大丈夫」


 辺りの闇が濃くなっていく。『星辰の探求者』の姿が闇に溶け、視界から消える。この世界は長居する場所でもない、意識が途切れるのと共に現実へと回帰していく。




 ◆◆◆




 夜半、ハッと目が醒める。そしてすぐに、浮上する意識が甲高い音を捉える。カーン、カーンと。神経を逆撫でていくこの音は――、


「――警鐘!?」


 ベッドから飛び起きて、窓辺へと駆け寄り城下に目をやる。騒ぎになっているようだが、火の手が上がったりはしていないようだった。


「ウィルベル様! お目覚めでしょうか!?」


 客室のドアが焦った様子でノックされる。ノブを捻って扉を開くと、若い衛兵が息を切らして立っていた。その衛兵はウィルベルの姿を見ると目を見開いて息を詰まらせた。


「ん……? あっ、ごめんなさい」


 目を伏せた衛兵を見て、ハッと自分の格好を思い出した。すすっとドアに半分身を隠す。


「い、いえ、失礼しました! こほん……ウィルベル様、敵襲です、至急御同行願います」


「ええ、少し待って」


 部屋に戻って剣を片手に持つ。ついでにマントも羽織っておいた。ちゃんと着替える暇はないが、この格好で出歩くわけにもいかない。一応これで体は隠せるはずだ。


 部屋を出て、若い衛兵に付いて行く。小走りで城内を駆けながら、ウィルベルは衛兵に問いかける。


「ところで、ソフィアと私の連れはどうしているの?」


「はっ! ソフィア様はすでに"黄金"の発動準備に入られています。お連れの方は別の衛兵がお呼びに、この先で合流する手はずです」


 ありがとう、と告げた瞬間、窓の外で閃光が弾けた。咄嗟に衛兵を押し倒して身をかがめ辺りの様子を窺う。窓の外では歪んだ光壁が火花を散らして波打っていた。どうやら飛来し光弾が城を守る魔力障壁にぶつかったようだ。


「あの光弾……クラマでも見た」


 目視不可能な距離から正確に射抜かれたことは記憶に新しい。この襲撃に六騎士が絡んでいるなら、もたもたしているわけにはいかない。


「この襲撃、少なくとも左弓の騎士が出陣しているわ。私はすぐに迎撃に、セーナには近衛兵たちと一緒に城の守りを!」


「は、はい、ご武運を!」


 衛兵を置いて窓を開き、虚空に身を踊らせる。また光弾が飛んできては障壁に阻まれていた。


「……あそこか!」


 暗夜に放たれた光弾は色濃く線を引き、どこから放たれたものなのかを明らかにする。それをしっかりと確かめ、ウィルベルは光の糸を纏い――龍化し、空を羽ばたいて行く。もう立ち止まる時間は終わりだ。

更新が滞って申し訳ないです。ちょっと忙しいのでしばらくお休みします。その間書き溜めておいて、一定のペースで更新できそうになったら再開したいと思います。大体一月の終わりくらいの予定です。



もうしばらくお待ちください。

2018.2.3追記

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