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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第二章 隻腕のミュゼット
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第二章♯10『湖の国へ』

 肌を刺す冷たさを湛える早朝、ウィルベルは東の空を見上げていた。まだ日は昇っていないが空は明け色に染まっている。それを背景にして一羽の鳥が飛んでいた。その鳥は緩やかに弧を描きながら降下し、ウィルベルの差し出した腕に留まった。


「よしよし……おいで〜」


 背中を撫でてやり、脚に巻いてあった紙片を抜き取る。内容を確かめ、署名を記して再び脚に結びつける。野ウサギの肉を与えてから空に放った。

 ヴァイスランド七賢決議会から送られてきた文書には次の行き先が指定されていた。わざわざルクセンまで戻るのが手間なので予めこちらから指示を請うていたのだ。


 その指示によると次の目的地は――、


「――ローレライ、か」


 懐かしい名前だった。数年前に一度訪れて、なぜか国家危急の事態に巻き込まれたのだった。ソフィアは元気にしているだろうか。旧交を温めに行くわけではないけれど、少しは心が休まる時間が過ごせそうだ。


 幸いなことに、ローレライはそう遠くもない。ここからであれば三日ほどで着くだろう。




 ◆◆◆




 数日後、ウィルベルとセーナは南西に馬を進め、ローレライの都までやって来ていた。

 ローレライは湖の上に浮かぶ国。その都は優美な建築と水の融合で有名だ。芸術も盛んで、北部で他に類を見ないほど文化的な国だと言える。


「すっごく綺麗! あれは何?」


 セーナが水路を指差して言った。道路と同じ程度の横幅の水路を幾艘かの舟が渡っている。


「あれはゴンドラっていう舟だよ。ローレライは水路が街中に張り巡らされているから、あれを使って移動したりするんだ。でも今は……」


 急いでいるから、と言いかけて口を噤んだ。セーナがあまりにも輝く目でゴンドラの往来を見つめているものだから、つれないことを言うのが憚られたのだ。


「まあ、乗って行こうか」


「ほ、ほんと!?」


 ゴンドラをひとつ呼び止め、セーナの手を引いて乗り込む。舟に乗るのは初めてなのだろう、揺れる船体にビクビクしながらもなんとか無事に乗り込ませた。

 せわしなく辺りを見回すセーナの姿は年相応の少女らしく、ウィルベルも少し安心する。かなり強行な旅を続けているから、気丈に振る舞っていても疲労は溜まっているだろう。それはウィルベルにも言えることだが。


 ゴンドラは蜘蛛の巣のように伸びる水路を滑らかに進んで行く。都市中央に聳える王宮へと向かって。

 数年前にシラの侵攻を受けたローレライだが、その傷跡はおおよそ修復されたようだった。以前と変わらぬ、美しい街並みとなっていた。


 半刻ほどかけて王宮の前までたどり着く。城門を警備する近衛兵達が近づいてきたが、ウィルベルに気がつくと特に検査もなく中へと通される。


 衛兵に案内されるまま宮内を進んでいると、パタパタと駆け寄ってくる足音。振り向けば――、


「ウィルベルさあーん!」


「うわっ?!」


 ウィルベルは倒れそうになりながらも、飛び込んできた人物をなんとか受けとめた。

 以前と同じきらきらと輝く豊かな金髪に、以前に比べて少し大人びた容姿。ローレライのお姫様、ソフィア・ローレライだった。


「もう、来るなら来るって言ってくださいよ! 衛兵から聞かされてものすごく驚いたんですよ!」


「ごめんごめん、なにせ急に決まったことだったから。元気そうでなにより」


 ウィルベルから離れたソフィアの視線がセーナへと向かう。セーナはソフィアの姿を見て緊張した面持ちだ。


「せ、セーナですっ! ……あのぅ……お姫様ですか」


「御機嫌よう、セーナさん。いかにも私がこの国のお姫様ですよ、一応」


 ソフィアはスカートの端を摘んで華麗な一礼を見せる。その姿はまるで本物のお姫様のようだ。本物のお姫様なのだが。

 ソフィアも連れ立って、国王アルシスとの謁見室に向かった。途中他愛ない話もしながら、お互いに近況の報告を交わす。温室育ちのソフィアには腕のことはショックだったようで、顔を青くしていたのが申し訳なかった。


 程々あって、ウィルベルはアルシスの玉座の前に立つ。セーナは王宮に圧倒されたか、ウィルベルの陰に隠れるようにしていた。


「遥々ようこそ、ウィルベル殿にセーナ殿。ヴァイスランドからの便りで既に事のあらましは把握しておりますから、あまり身構えずに結構ですよ」


 相変わらず温和そうな微笑みを浮かべ、国王アルシスは告げた。


「北部戦線への参加、もちろん承らせていただきます。ヴァイスランドとは長く友国、それにローレライの英雄のお頼みとあれば断る訳にはいきませんからね」


「ご決断に感謝します、陛下」


 ウィルベルは膝をつく。セーナも慌ててウィルベルの真似をした。

 実のところ、ローレライなら共同戦線を受諾してくれるだろうと思っていたから、あまり緊張もしていなかった。この謁見は あくまでも確認ということだ。


「しかしウィルベルさん、ご存知の通りローレライは軍を持たぬ国。"黄金"の効力もこの湖周辺に限られます。兵力と数えられるのは近衛兵くらいのものですわ」


 ローレライ王家に伝承される"黄金"。強力な戦力ではあるが、あれは都市を防衛するための機構だ。帝国との戦闘になると思われる場所はローレライからは離れている。今回の戦いでは使えないとみるべきだろう。


「ローレライには後方からの支援をお願いしたい。前線に出るのは盟主であるヴァイスランドといくつかの武闘派諸国の役目ですから」


「歯がゆい限りですな……代わりといってはなんですが、ひとつお話を。以前我が国に侵攻し、失敗に終わった隣国シラですが、旧体制への革命運動がかなり活発になっているようです。シラは騎士の国、彼らを味方につければ大きな戦力となってくれるでしょう」


 アルシスの話を聞いて、ウィルベルは黙考する。

 革命への協力を約束して、戦線への参加を約束させる。そうすればシラを北部戦線に組み込むことは可能なはずだ。しかし――、


「……構わないのですか? 事がうまく運んだとすれば、かつての敵国シラと肩を並べることになりますが」


「覇権を狙い他国を征服しようとするのは国家の宿業。危機に晒された側の身とはいえ、そこに恨みはありません。国民を納得させるのは骨が折れるでしょうが、皆蒙昧ではありません。きっと理解してくれるはずです」


 アルシスは鷹揚に語った。その覚悟を受けて、ウィルベルは頷く。

 今は北部全域が侵略の危機に晒されている。隣国とのわだかまりを理由に手段を選んでいる場合ではないという判断だろう。ならばウィルベルはその判断を尊重しよう。


「分かりました、検討してみます」


「さて……長旅お疲れでしょう、しばらく休んでいかれると良い。時間は無いのでしょうが、人間は休まず働き続けることはできませんからね。その方がソフィアも喜びます」


 アルシスの発言を受けて、ソフィアがうんうんと首を縦に振っている。旧友と積もる話もあるし、ルクセンを出てからまともに休んでもいない。今後のことも考えて、一度しっかりと休息をとるべきだ。


「そうですね……そうさせていただきます」


 まず一国、ローレライを味方につけた。この調子で確実にひとつひとつ、帝国に対抗する準備を整えていく。先は長く、残された時間は少ない。

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