第二章♯9『幻痛』
魔女――女性の魔術師に対して使われる事もある言葉だが、今回は違う。それは忌むべき存在。黒の魔術に手を染めた魔術師達の呼び名である。黒の魔術はこの世の理を歪めるもの、破滅へ導くものだ。
どうしてこんなところに魔女が。
ウィルベルは唇を噛んだ。この魔女の目的は分からないが、それがろくなものであるはずがない。黒魔術はウィルベルにとって未知の魔術、操る者を相手にするのは厄介なことこの上ない。
「あらあら……これはこれは。まさか龍狩りの英雄様とお逢いできるなんて、数奇な事もあるものね」
魔女は心底愉快そうな声で言った。枯れたとんがり帽子の先端が冷えた風に揺れる。ウィルベルはできるだけ相手の調子に乗らないように答える。
「……要件を言え」
「自信があるのは良いけれど、それは自意識過剰というものよ、英雄様。私がここに来たのはあるものを探しにだもの、貴女と会ったのは全くの偶然よ」
彼女の言葉を信じるのであれば、この平野までやってくる目的などひとつしかないだろう。
「マギア=カリュクスのことを言っているのなら、もうここには無い」
「……へぇ。一応訊いておくけれど、どこにあるかはご存知?」
「さあ? 知らない。知っていても教えないけど」
「残念、せっかく遥々こんな辺鄙なところまでやって来たのに」
魔女はわざとらしく肩をすくめてみせる。そして古木の杖をぐるりと回した。ぺろり、と唇を真っ赤な舌で舐め――、
「……少しばかり英雄様にちょっかいをかけてもバチは当たらないわよね?」
直後、向けられた杖の先から黒ずんだ疾風が迸った。ウィルベルとセーナは左右に飛び退いて躱す。
「セーナ! 私の援護を!」
「うんっ!」
ウィルベルは数歩で距離を詰め、曲剣を地面近くから跳ね上げる。しかし魔力障壁に弾かれ押し戻される。バランスを崩して手をついたウィルベルを狙った魔弾を、背後から飛来した矢 が撃ち落とした。
振り向けば、セーナが白木の弓を構えていた。つがえた鏃には風の魔力が渦巻いている。
「はっ!」
放たれた矢が魔女の魔力障壁とぶつかり火花を散らす。
エルフの弓術と……風の魔術は独学だろうか。自分で言っていた通り、離れていた数年間で確実に成長しているらしい。それは幼さゆえの無根拠な自信などではなく、実戦の中で培った自信だ。
ウィルベルは体勢を立て直し、もう一度魔女に斬りかかる。
魔力障壁があるのだと分かってさえいれば対処のしようはある。刀身に雷の魔力を薄く這わせ、今度は障壁ごと切り裂く。
魔女はかすかに驚きの表情を浮かべるが、刃の一閃を辛うじて避ける。
「さすがは英雄様、中々やるじゃないの! 魔術師って聞いてたのだけど、剣術主体なのには何か理由があるのかしら? もしかしてその腕?」
饒舌な魔女が小首を傾げて次々と疑問を投げかける。ジロジロと観察する視線が失くした左腕へと集まった。
その不躾でふざけた態度がウィルベルの神経をざらざらと逆撫でしていく。
「……お前には関係ない」
「もう全盛期じゃないってわけね〜。英雄の末路ほど惨めなものもないわ、可哀想に」
――ビュンッ!!
嘲笑する魔女の頬を矢がかすめる。幾束かの金髪を散らし、頬から薄っすらと血が流れた。
「次は当てます……!」
「ははっ、そっちの可愛い子もやるわね……流石に分が悪いかしら……」
セーナの睨みをさらりと躱し、魔女はローブの乱れをパタパタと整える。
「私の名前はオズ。また逢いましょう、ウィルベル」
薄暮の闇に溶け込むように魔女の姿が消えていく。すぐに何者の姿も無くなり、後に残るのは群青の下に広がる草原だけだ。肌寒い風に吹かれて、ウィルベルは立ち尽くした。
「なんだったんだ、あの魔女……」
一方的に襲っておいて、一方的に去っていった。敗走したというほど圧倒していたわけではないし、なんだか勝ち逃げされたような気もする。
どちらにせよ魔女と関わって良いことなんてひとつもないのだ。構っている暇もないし……。
「もうここで野営するしかなさそうだね、お姉ちゃん」
セーナは苦笑して弓を肩に掛けた。もう日は落ちていて、すぐに真っ暗になる。それまでにある程度休める場所を探すつもりだったが、オズの襲撃のせいで予定が崩れてしまった。
「はぁ……まったく迷惑なヤツだよ」
◆◆◆
パチパチと音を立てて薪が崩れる。ウィルベルはセーナが拾ってきた薪に手を伸ばして、それを火に投じた。火の勢いが増して辺りを煌々と照らし出す。
夜になると一気に気温が下がって息も白む。火を絶やすと大変だから、セーナと交代で休むことになった。今はセーナが体を横たえ、ウィルベルはぼんやりと焚火を眺めている。
夜になるといつも左腕の傷が疼く。痛んでいるのは腕か心か。特に今夜のような静かな夜は他のことで気を散らすこともできない。否が応でもその痛みと向き合わなければならないのだった。
腕を失った直後は目の前にやるべきことが山積みで、自分の傷に目を向ける暇もなかった。どうせ治療も出来るし、あまり気にしていなかったというのもある。しかし、あの出来事から夜を重ねるほどにこの喪失感は増していくばかりだ。
「ねぇ……お姉ちゃん?」
「ん……どうしたの、セーナ。眠れない?」
セーナの声にウィルベルはハッと顔を上げた。どうやらまだ起きていたらしい。毛布にくるまったまま、ウィルベルのことを見つめている。セーナは逡巡するように咳払いをして、ゆっくりと唇を開く。
「その腕……治すつもりはないんでしょう?」
「…………」
二人の間に沈黙が満ちる。セーナの語調は責めたり、非難したりするようなものではなかった。
「……どうしてそう思うの?」
「なんとなく……そんな気がしたの。日常のちょっとした動きとか、さっきの戦い方もそう。まるで腕を失くしたことを受け入れてるみたいに感じだから」
――図星だった。だからウィルベルは何も答えることができず、ただセーナに力なく肩をすくめることしかできなかった。
「……これはきっと罰なんだ。私の驕りへのね。だから私はこれを受け入れて……」
自分でもうまく消化できていない思いだ。言葉を紡ごうとしても先が出てこない。
「お姉ちゃん……私はお姉ちゃんみたいに強くないから、強い人の気持ちは分からない。でもきっと、強いって怖いことだよね。みんなから頼られたり、みんなのために戦ったり……そういうのに疲れちゃったんだよ、お姉ちゃんは」
「そうか……ふふっ、ありがとうセーナ。なんだか……少し分かった気がするよ」
ウィルベルは残った右腕で左腕の傷跡を抱いた。幻肢痛はもう消えていた。
遅れて申し訳ない……




