第ニ章♯8『パンタノ湿地:王の見るもの』
フリッツとエミールは黒い影達に囲まれて鬱蒼とした湿地森林を進んだ。そうして、彼らの隠れ家に案内されたところである。
元は教会だったらしい石造りの建物は沼に呑み込まれるかのように傾いていて、外壁には血管のような蔦が這い回っていた。
礼拝堂へと通され、他の影達は去って言った。その場に残ったのは四人。フリッツ、エミールとヘイダル、彼の右腕ズイトーだ。
ヘイダルは人払いが済んだのを確認して、ひとつ咳払いをした。
「まずは手荒な出迎えをしたことを詫びよう。ユーヴィクの追っ手かと思ったものでな」
「……こちらこそ、まさかヘイダル殿下のお味方だとは思わず。失礼をした」
フリッツがズイトーにチラと目をやりながら言うと、ズイトーは目を伏せたまま静かに頭を下げた。
「うむ……彼らは私の親衛隊なのだ。あと普段通りの言葉遣いで良いぞ、堅苦しいのは苦手だ。それにしても、久しいな我が友エミールよ」
ヘイダルはエミールに近づくと、満面の笑みでガシッと抱擁した。狼狽えたエミールが目を回す。
「と、友ぉ!? いえいえ全然、恐れ多いです殿下!」
「謙遜せずとも良いのだ。そちらの御仁をお連れしてくれたのも、お前なのだろう?」
「ま、まあ……そうですけど」
エミールから離れたヘイダルが、フリッツの前に立つ。フリッツより小柄だが、がっしりとした体格だ。既に王の威厳を感じさせる。
「改めてヘイダル殿下。僕はフリッツ、ヴァイスランドの使者として貴方に会いにきたんだ」
そう言って、フリッツは手を差し出した。
ヘイダルの言葉に甘えて、普段通り話すことにする。フリッツも堅苦しいのは苦手だ。
「うむ。いかにも余はクラマの皇太子ヘイダルである。今となっては亡国の皇子に過ぎんがな。フリッツ殿も噂はかねがね、会えて光栄だ」
二人は固い握手を交わす。部屋の隅に立ち、着席を固辞したズイトーを除く全員が席に着き、いよいよ本題に入っていく。最初に口を開いたのはエミールだ。
「ご存知の通り……クラマは帝国の侵攻を受けて陥落。現在王座は空位となっていますが、フリッツさんは中部諸国を集めた対抗戦線を作るつもりなんです」
ヘイダルはフリッツ達の提案を予想していたのだろう、鷹揚に頷いた。
「……クラマは大小十八の国を束ねる宗主国。連携して戦線を築くには旗印が必須というわけだな」
中部諸国は一国ごとの力こそ大きなものではない。しかし、それがクラマという旗の元に緩やかな連合をするからこそ、他の大国に引けを取らない勢力となるのだ。
前国王亡き今、新たに中部諸国の旗印となれる存在はヘイダルを置いて他にはいない。
「ヴァイスランドは北部でも連合軍を作ろうとしている。成功したとしても、それに加えて中部諸国の連携なしでは帝国に対抗できない」
「確かに……主の言う通りだ。しかし余は国を預かる者として、その提案に乗ることはできぬ」
「っ……!?」
思ってもみなかったヘイダルの返答にフリッツは絶句した。ヘイダルを見つけ出すことに必死で、まさか断られるというのは想定していなかったのだ。
「かの帝国は侵略した国で理不尽な殺戮や暴政をしたりはせぬと聞く、逆らわぬ限りはな。民の平穏を思えば、これ以上ことを荒げるべきてはないのだ。故に余はこうして誰の目にも留まらぬように隠れておる」
ヘイダルはあくまでも冷静に語った。
彼の言い分は理解できる。クラマは北部諸国と違い、既に侵略された国だ。属国となることを受け入れるという選択肢がある。
ひとりの戦士に過ぎないフリッツと、王となるヘイダルの明確な違いだった。
「帝国の正規兵は七万、属国で徴兵した者六万を加えて総勢十三万の軍へと膨れ上がっておる。噂によれば、数百人規模の獣人部隊や魔術師隊がいくつも編成されておるらしい。対して北部諸国の正規兵は合計しても五万程度、徴兵を合わせ、我ら中部諸国が加わったとしても十三万には届かぬだろう。兵力の差は歴然だ」
フリッツは何も言い返せなかった。失敗しても自分の命を失うだけのフリッツと、数百万人の命を預かるヘイダルとでは価値観を共有できるはずもない。
「心苦しいが、主の申し出は受け入れられん……しかし、このような辺境まで来てくれたのだ、発つまでの間ここを好きに使ってくれて構わん」
話は終わりだ、とヘイダルは立ち上がり、黒装束をなびかせて部屋を出て行こうする。ズイトーも音もなくそれに続く。背中を見送るフリッツに対して、彼らに声をかけたのはエミールだった。
「ヘイダル殿下! ……帝国が抱える十三万の兵、それを十万以下に削ってみせましょう」
エミールの言葉に、ヘイダルが足を止める。振り向いた彼の表情は、先程エミールに向けたような友好的なものではなかった。
「……どのようにか、申してみせよ。しかし心せよ、主は今友ではなく一国の王に奏じているのだぞ」
ヘイダルの刺すような視線に喉を鳴らすエミールだったが、怯まずに説得を続ける。
「僕は商人……商人のやり方で、軍隊と戦います。人が生きていくためには必ず必要なものがある。正規兵も徴兵も、獣人も魔術師もそれなしでは動けない。僕はそれを、彼らから奪ってみせましょう」
エミールはそう啖呵を切った。




