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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第二章 隻腕のミュゼット
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第二章♯7『西部平原:群青の下の秘密』

「セーナ!?」


 半開きになった扉を押しあけ、部屋に飛び込む。しかしそこにセーナの姿はなく、静止した空間が広がっているばかりだった。

 あの悲鳴は別の部屋から聞こえてきたのだろうか。


「いたた……おねーちゃーん、聞こえるー?」


「セーナ……? どこにいるの?」


「ここだよ〜! 床の下!」


 セーナの姿は見えないのに声だけが聞こえてくる。ウィルベルが床に開いた穴を覗き込むと、数メートル下の暗闇にうっすらセーナの姿が見えた。

 大方腐った床が抜けて下へ落ちたのだろう。だから注意しろと言ったのに……。


「もう……心配させて。大丈夫? 上がって来れそう?」


 ウィルベルが上から声をかけると、わずかに反響した返事が返ってくる。床下の空間にしてはかなり広いのかもしれない。


「うん、大丈夫。でもここちょっとおかしいよ? まだ奥があるみたいだから調べてみるね」


「あっ、待って……私も降りるよ。ひとりだと危なっかしいし」


 セーナに穴から離れるように促し、ひらりと身を投じる。少し湿った地面に着地すると、新たに光の玉を浮かべて辺りを照らし出した。

 白光にセーナの姿も浮かび上がる。怪我はしていないようだ。不意の落下でも無傷とは、エルフたちになかなか訓練されたのだろう。


「人の手が入っているみたいね……まさか」


 洞窟を補強する木材の劣化具合を見て、ウィルベルの脳裏にひとつの仮説が浮かんだ。

 突然警戒の色を見せたウィルベルにセーナが首をひねる。


「うん? どうしたの、お姉ちゃん」


「……この館はマギア=カリュクスというものを研究するためのものだったらしいの。今はもう無いと思うけど、もしかしたらこの先にそれがあったのかも」


 セーナは「マギア? カリュクス……?」と疑問符を浮かべた後――、


「よく分からないけど、元々あったこの空洞の上に館を建てたっていうこと?」


「そうなるわね……危険かもしれないから、準備をしておいて。今度は真面目よ?」


 ウィルベルが腰から剣を引き抜く。閉塞感のある洞窟内に瀟洒な鋼の音が響いた。真剣味を感じたセーナも短刀に手をかける。


 注意しながら洞窟を進んでいく。どこかで水滴が落ち、その度に深々とした静寂が強調されるのだった。

 しばらく進んだところで、辺りをふわふわと浮遊していた光球に異変が生じた。均一に発していた白い光が乱れ、赤や青に煌めきだしたのである。


「な、なにっ? なんだか不気味だよ!?」


 セーナが体を縮こまらせる。


「安心して、ただの変色反応よ。特定の色のマナが強い場所に近づくと、中性のマナが変質してこうなるの……こんなにカラフルな反応は初めてだけど……」


「えぇっ……やっぱり不気味」


 赤なら赤、青なら青、というのが通常の反応だ。しかし、今や光球は七色の反応を示している。考えられる可能性としては、この近くに常に属性の変化するマナの塊があるということ。だがそんな話は聞いたことがない。


 ウィルベルは辺りに目をやり、そっと壁に指を這わせた。


「見て……ここの壁、まわりと比べて地層が歪んでる。きっと誰かが魔術で土を動かしたんだわ」


「つまりこの先に……?」


 ウィルベルはセーナに頷いた。

 かつてここにあったマギア=カリュクス……その片鱗がまだ残されているのかもしれない。

 ウィルベルは壁に手を当てて、辺りを崩さないように気をつけながら造形を変えていく。案の定、土を動かした先にも空間があった。溢れ出るような暗闇にゴクリと喉が鳴る。


「私の後に着いてきて、離れないようにね」


「うん……!」


 入った先の空間は教室ほどの広さしかなかった。奥まですぐに見通せる程度だ。だが、問題はそこではない。この空間の異常性は足元を覆う水だ。膝下くらいまでが水に浸かっている。そしてそれはただの水ではなく――、


「綺麗……」


 そう呟いたのはどちらか。二人とも目の前の光景に言葉を失っていた。


 水の中には無数の光芒、よくみればそれは魔法陣だ。虹色の光で紡がれた魔法陣が結ばれては解け、解けては結ばれてを繰り返している。ウィルベルたちの足元から発せられる波紋を受けて揺らぎ、また次々と形を変えていく。


 まるで生き物のように脈打つ水面は、不気味さと神秘を兼ね備えているのだった。


「これは確かに……神代の遺物だわ」


「お姉ちゃんのお師匠様はこれを見せたくて、この場所を教えてくれたんだよね」


「この神秘に触れて何か学んでこい、ってことでしょうよ」


 ウィルベルは苦笑しながら言った。

 まったく意地が悪い。今となっては昔のことだが、ウィルベルが央都ルクセンで邪龍と対峙した時に、助けに来たギルバートが見慣れない魔術を使っていたのを思い出した。浮遊する水球の中に輝くルーンが舞っていたその魔術は、きっとこの場所から着想を得たものなのだろう。ウィルベルにもこの場所を見せることで、高次元の魔術を示したのだ。


(直接教えてくれればいいのになぁ……)


 ウィルベルは体が濡れるのも厭わず膝をつき、水の中に手を沈めて漂う文字を掬った。途端にそれは形を失い、粒子となって水に溶ける。


「どう、何か分かりそう?」


「う〜ん……残念だけど、さっぱりだよ。この場所自体は人の理解の外にあるだろうから……でもここに来たのは無駄じゃない。水中に魔法陣を結ぶっていうアイディア自体が大きな収穫だね」


 何かに書き付ける魔法陣とは違い、水中を漂うこれは回路の組み合わせが無限大だ。扱いこなせれば精製できる魔力の質も桁違いになるはず。

 後は試行錯誤を重ね、実用化まで漕ぎ着ければいいのだ。簡単なことではないだろうが。


「もう十分、ここに長居するのは良くなさそうだから上に戻ろう。そろそろ日が暮れる頃だろうし」


 ウィルベルは立ち上がって、セーナの方へと振り返った。


「そうだね。まだ剣が完成するまで時間があるけど、これからの予定とかはあるの?」


「とりあえずルクセンに戻るかなぁ……後はフリッツ達を追いかけるか、北部でロビー活動か」


 ウィルベルが手についた水滴を払う。セーナはウィルベルの言葉を反芻した。


「ろびーかつどう?」


「ユーヴィクとの全面戦争になれば、北部諸国の連携は不可欠だからね。あっちこっちの国に行って……挨拶して回るんだよ。ちゃんと信頼できる人を見つけるためにね」


 セーナは「ふーん」と微妙な相槌を打った。

 世俗とは切り離されて育った彼女にとっては、そういった政治的なことは中々イメージし辛いところなのだろう。


 一応元どおりに壁を塞ぎ、穴を登って館まで戻った。予想通り斜陽の時刻となっていて、割れた窓から赤い光が床へと伸びていた。

 まもなく日が落ちるが、この館に泊まるのは少し気味が悪い。できれば離れたところで野営がしたい。二人は足早に館を出るのだった。


 ウィルベルが傾いた扉を開けて外の草原を踏みしめる。続くセーナも閉塞感から解放されて伸びをした。


「……セーナ、私の後ろに」


「え? どうしたの突然」


「早く!」


 珍しく大きな声を上げたウィルベルにセーナは驚いた。そしてウィルベルの視線を辿って再び驚かされる。

 いつからか、二人から十メートル程度のところに誰かが立っている。顔は隠れているが、手には古木の大きな杖。しかし老人ではない。


 まるで枯れ木のような佇まいで、夕暮れの群青に溶け込んでいる彼女・・の頭には不吉なとんがり帽子。異端の象徴として忌まれているその帽子を、まるで誇りに思うかのように被る者など限られている。


「どうしてこんなところに……"魔女"が」


 ウィルベルが相手の反応を待たずに臨戦態勢に入る。

 その相手は子供が最初に知る禁忌。黒の魔術に堕ちた魔法使い、この世の理を歪める者たちの一人だ。すなわち、全ての人間の敵である。


 その魔女は帽子のつばとローブから覗く薄い唇を三日月のように歪めたのだった。


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