第二章♯2『襤褸の男』
「あれか……?」
「だろうね」
茂みの中に二人で身を潜めながら、やや傾いてツタが這い回っている廃屋を観察する。ボロボロで、まともな人間なら、とてもじゃないがあんなところに住み着こうとは思わないだろう。
村長の家を辞した後、フリッツたちは場所を教わった廃屋を目指したのだった。村から二十分ほど歩いたところで、件の廃屋を視認して、今に至るというわけである。
「とりあえず、もう少し様子を見てみるか……」
「……うん」
「そうだな」
…………。
「「え?」」
ウィルベルと声がシンクロした。今の声は誰の声だ? 男の声だったが、まさか村の者ではないだろうし。
疑問を抱いた瞬間ーー背後に気配を感じ、咄嗟に腰に下げた剣の柄に手を伸ばしながら振り返る。
視線の先には、襤褸を纏い、つばの広い帽子を深々と被った大男がいつのまにか現れていた。
間違いない、こいつが例の不審者だ!
「何者だ!」
ウィルベルはすでに抜刀し、サーベルを逆手に構え、左手は男に向けられている。完全に臨戦態勢だ。
「そりゃこっちのセリフだぜ、お嬢さん」
男は刃を向けられているにも関わらず、飄々とした態度で応えた。
「見たとこ、村の連中じゃ無さそうだが……。ん? ……その印、学院のもんか?」
男に攻撃の意思は無さそうに見えるが……。簡単に気を抜けないようなオーラがある。
「まあまあ、落ち着いてくれよ〜。なあ? 俺別に悪い奴じゃないぜ?」
男はヘラヘラとした態度を崩さないまま言う。
「……村の人たちは、あなたが人狼なんじゃないかって疑ってる」
「はぁ!? 俺が人狼だって? そんなわけねーだろ!」
男は、冗談はやめてくれという様子で笑い飛ばす。そこに演技や嘘の気配は感じられない。
仮に男の話が本当で、人狼ではないとしても、只者ではないことは確かだ。この男は、音一つ立てずに草むらを歩き、僕たちの背後に付けたのだから。もし男に敵意があれば、完全な不意打ちをもらうところだったかもしれない。
「それじゃあ、あなたは何者なの」
「俺はエドガー。まあ……狩人でございますよ、お嬢さん」
男、エドガーが帽子を取り、大げさな身振りで気取った礼をする。露になった顔は、無精ひげを生やした中年だ。まともな服を着れば、貴族にでも間違えられそうな端正な顔立ちをしている。気取った礼も、薄汚い格好の割には様になっている。
エドガーのふざけた態度に、ウィルベルもどうするべきか悩んでいるようだ。
「ウィルベル、この人はたぶん大丈夫だ」
「……分かった」
ウィルベルがちらりとこちらを見てから、剣を下ろす。このエドガーという男、信用していいかはまた別の問題だが、とりあえず危険性はなさそうだ。
「どーも。仲直りの握手しようぜ、握手」
エドガーがウィルベルに手を差し出すが、ウィルベルは応じない。まだかなり警戒しているようだ。エドガーは気にしたそぶりもなく、手をひらひらさせてからひっこめる。
「それで、あんたここで何してるんだ?」
「言ったろ? 俺は狩人だって。だからここで狩りしてんのさ」
「狩りって……わざわざ真冬の北方まで来て?」
ウィルベルの問いに対して、エドガーがチッチッチと指を振る。いちいち仕草が気障ったらしい男である。
「俺が狩るのはただの動物じゃあねえ。……あんたらが言ってた人狼、そいつらを追ってたらここまで来ちまったってわけだ」
「そいつらって……まさか何体もいるのか!?」
「いや~、ここにくるまでに俺が粗方ぶっ殺したからな。村を騒がせてるやつで最後だ。……本当は村に着くまでに終わらせるつもりだったんだがな」
「……それじゃあ、なぜ村に泊まらずにこんなところに住み着いているの?」
「……それはな」
さっきの態度とは打って変わって、真剣な表情になって言う。どんな言葉が飛び出すのかと固唾を飲んで、エドガーの言葉を待つ。
「……ひとつ前の村でやったギャンブルで、有り金全部スっちまったんだ」
「…………」
ガハハハと、大声でエドガーが笑う。笑っているのは彼だけなのだが、楽しそうだ。ウィルベルはあきれ果てた様子で、エドガーをじっとり睨んでいる。
ひとしきり笑ったエドガーが、フゥっと息をついてこちらに向き直る。
「それで? お前らは? 村の連中に頼まれて化け物退治ってとこか?」
「あ、ああ」
「はあ~。若い奴二人でよくやるな~。……あっ! 良いこと思いついた! せっかくだから、一緒に人狼をぶっ殺そうぜ!」
エドガーが名案を思い付いたという様子で言う。また急な申し出である。すでに人狼を何体も倒しているエドガーが味方に付くというのは心強いことだが、この男をそこまで信用していいものか。
「んんー。二人ともまだ俺のこと信用してねーって感じだな」
エドガーが僕たちの様子を見て悟る。
「まあ……あなた自体かなり怪しいし」
「はっはっは! それはよく言われるな!」
こういった、気のいいオヤジのような態度を見ると、気を許してしまってもいいような気がする。信用するべきか否か、本当にわからなくなってきた。
「まあ話だけでも聞いていかねーか。大丈夫、取って食ったりしねーし」
俺の家じゃねーけどな、と付け加える。
ウィルベルの方を見ると、嫌そうな表情ながらこちらに頷きかける。どうやらついていくつもりのようだ。
ここは腹をくくって、エドガーを信用するしかないかもしれない。
「わかった。聞こう」
エドガーは首肯して、傾いだ廃屋のほうへ向かう。ウィルベルと僕も、それに続く。