第二章♯3『パンタノ湿地』
ぬかるんだ地面に地竜の足跡が続いている。
フリッツとエミールは、クラマ皇太子ヘイダルを探しに東へ東へと向かっていた。現在は東方地域の入り口ともいえるパンタノ湿地へと踏み込んだあたりで、探索を始めてからすでに二週間ほど経過していた。
フリッツは地竜にまたがり、エミールは荷台に腰掛けている。
「なあエミール。東ってどれくらい東なんだ? この調子だと大陸の端まで行きそうだぞ」
「僕にも分かりませんよ〜。ヘイダル殿下は東としか言っていなかったんですから」
もう何度目か分からないフリッツの問いにエミールがうなだれながら言った。
彼がヘイダルと出会ったのは、エヌマークという国らしい。地理的にはヴァイスランドの南東、クラマの北東といったところだ。そこから東へ行くのだとすれば、フリッツ達が探すべきはそこまで広い地域ではない。
だがもしヘイダルが海を越えて、東方の大陸に渡ったのだとすれば話は別だ。そうなってしまえば、ヘイダルを探し出すのは実質的に不可能になってしまう。なんとしてもそれまでに彼に追いつく必要があった。
「今までこれといって目撃情報とかもありませんでしたし……もしかしたら気が変わって別のところへ向かったとか?」
「無くはないが……それを考え出すとどうしようもないからなぁ。信じて探し続けるしかないか」
結局それしかないのだった。
進むうちに、湿地に生える気味の悪い植物がより鬱蒼としてきた。北部の森とは違う、ジメジメとした森林だ。
飛行する怪しげな昆虫などを観察していると、突然地竜が足を止めた。今までになかったことなので、不思議に思ったフリッツは御者席から降りて地竜の首を撫でる。
フリッツがなだめようとしても、地竜は鼻息荒く、喉を唸らせている。どうやら何かを警戒しているらしい。獣の感覚は人間の何倍も鋭い。地竜が何を警戒しているのか、フリッツも辺りに気を張り巡らせる。
するとフリッツの警戒を察してか、木の陰からぞろりと黒い影が現れた。いくつも、いくつも。振り向けば荷台の後方まで。いつのまにか囲まれてしまっていたようだ。
黒い影はゆらゆらとしながら、少しずつ距離を詰めてくる。その手にはギラつく剣が握られていた。
山賊……にしては統率が取れすぎている。それにこの湿地は中立地帯だ、どこかの国の軍ということもないだろう。
「アンタ達ただの旅人じゃないね、何者だい」
リーダー格と思しき黒い影がフリッツ達に尋ねる。声からして、どうやら女らしい。
すぐさま襲われるということはなかったが、どうみても友好的な態度ではない。フリッツはともかく、エミールは戦う力がない。これだけの人数から守りながら戦えるかはあやしかった。
出来るだけ警戒心を煽らないように、努めて平静を装って女に答える。
「ヴァイスランドから来た。ある人を探してる」
「ある人?」
「クラマ皇太子のヘイダル殿下です。ここを通ったり……しませんでしたでしょうか……」
荷台のエミールが答えるが、影達に睨まれて尻すぼみになる。リーダー格の影は肉厚の剣をギラつかせ――、
「……知らないね。命が惜しいなら引き返しな」
少しの沈黙の後、女が言った。
その態度にフリッツは引っ掛かりを覚えた。山賊ならここでフリッツ達から物を奪わない理由がない。あくまでも通せんぼをするつもりだというのは、この先に隠すべきものがあるということだ。
「お前、何か知ってるな?」
フリッツは背中のドラゴンベインに手を伸ばす。この手の相手は、話し合いでで理解してくれはしないだろう。
「悪いがこっちも引き下がれない。力づくでも話してもらうぞ」
取り囲む影たちも一斉に武器を構える。
緊張の糸が張り詰め、一触即発といった状況だ。その状況で先に動いたのは影たちだった。数人が息を合わせて動き始め、フリッツに迫る。
一人目を身をかがめて躱し、二人目と打ち合う。その襟を掴んで三人目に向かって投げ飛ばし、背後から迫っていた四人目を蹴り飛ばす。
フリッツの鮮やかな技を見て、影たちに動揺が走った。多勢に無勢、まさか仲間がやられるとは思っていなかったのだろう。
彼らもかなりの手練れではあるが、フリッツの敵ではない。そして無闇に傷つけるつもりもない。
「こいつはアタシがやる……アンタ達は下がってな」
女リーダーが踏み出して指示をしながら、柄の感触を確かめるように手の中で剣を回す。ナタのような肉厚の刃がブンと音を立てて空を切った。
「はああ――!」
しなやかな獣のように跳躍した女が、中空からフリッツに刃を叩きつける。打ち合わされた刃の間で火花が散り、湿った地面に落ちていく。二度三度と斬り結び、女の斬撃をさばいていく。
素早い身のこなしで隙を狙う女だったが、数年間常に闘争の中に身を置いたフリッツには及ばない。そして、それが分からないほど相手の女は素人ではないはずだ。なのにも関わらず、女はまったく引こうとしない。
ただの賊なら勝ち目がないのを悟った時点で退散するだろう。やはりこの女は何かを知っていて、それを隠そうとしているのだ。
横薙ぎからの斬り上げをドラゴンベインの根元で受け、返す刃の袈裟斬りを繰り出す。それを受け損なった女の剣が、甲高い金属音を立てて宙に飛ぶ。勝負はそれで决するかと思われたが、女はすぐさま腰からダガーを抜いて迫る。
今度は女の腕を絡め取り、そのダガーをはたき落とす。そのまま腕を支点に投げ飛ばして、木の幹に勢いよく叩きつけた。
一応加減はしているが、しばらくは動けないだろう。
「僕たちはヘイダル王子の敵じゃない。力を借りたいだけだ、そのためなら帝国からも守る。知ってることがあるなら教えてくれ、これ以上傷つけたくはない」
「くッ……そんな言葉を信じられるか。話すことなど何もない。やるならやれ」
女の言葉は、ヘイダルのことを知っていると認めたようなものだ。だが話すつもりがないということは変わらないらしい。
こうなると厄介だ。拷問で口を割るとも思えないし、この女がヘイダルと繋がっているとすると、拷問によってヘイダルの心証を損ねてしまう可能性がある。それは今後の展開にも悪影響を及ぼすだろう。
「あ、あのっ……この人はフリッツ・ローエン。ヴァイスランドの英雄様です。クラマ陥落の時にも、王を守るために戦いました。結果は噂に流れている通りですが……ヘイダル殿下がいればクラマを立て直せるかもしれないんです!」
「…………」
再び影たちに動揺が広がるが、エミールの説得を受けても女は口をつぐんだままだ。その沈黙を破ったのは黒い影の一人だった。堂々とした足取りでフリッツ達に近づいてくる。
「もうよい、ズイトー。彼らはきっと敵ではないだろう」
女の肩を抱いて体を起こしながら、その影は自分の顔を覆うマスクを取り払った。浅黒い肌をもった、精悍な顔つきの若い男だ。
「あっ――!」
その顔を見て、エミールがあっと声を上げた。
「ヘイダル様!?」
影のひとり――改め、探し人ヘイダルはズイトーを肩で支えながらしっかりと頷いた。




