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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第一章 クラマの危急
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第一章♯7『闇の中の灯火』

 クラマから少し北にある小屋の中、エミールはウィルベルの傷の手当てをしていた。


 医者でもなんでもないただの商人だから、大したことはできないが、ウィルベルの壮絶な傷跡を黙って見ていることはできなかった。


 フリッツはそんな二人の様子を、部屋の隅から眺めている。

 ウィルベルの救出後、再び皇帝と対峙したフリッツだったが、結果的に逃げられてしまった。いや、逃してもらったのか。


 ともかく帝国軍本隊は半ば崩壊した状況となり、一時的に撤退していった。すぐさま侵攻を再開することはできないだろう。

 しかしそれも時間の問題。クラマが陥落し、フリッツとウィルベルが敗北したという状況は、考えうる限り最悪といっていい。


「ありがとう、エミール。助かったよ」


 フリッツが思案にふけっていると、ウィルベルが身体を起こしてベッドのふちに腰掛けていた。


「まだ無理はしないでください。普通の人間なら五回は死んでいる傷です」


 ウィルベルは素直にエミールに頷く。シャツの袖が空虚に揺れた。


 彼女の左腕、二の腕より先はごっそり無くなっていて、フリッツは目を逸らしたくなる気持ちでいっぱいだった。


 僕のせいだ、と思わずにはいられない。しかし、そんなことを言えば、きっとウィルベルは怒るだろう。なんでもかんでも自分のせいにするのは、周りに対する傲慢だと。


 ウィルベルは顔を上げて、フリッツとエミールを見る。傷を負っていても、目に宿る意識までは失われていない。


「かなりの痛手を被ったけど、私たちは生きてる。これからのことを考えないと」


「……クラマは陥落、王は殺された。僕たちの目論見は先手を打って潰された」


「国王がいないと諸侯を招集できない。連携ができないとこの戦に勝ち目はない……」


「あ、あのっ」


 重く落ちた沈黙を、エミールが破った。おっかなびっくりという様子で切り出した彼に、ウィルベルが話すよう促す。


「あの……クラマには皇太子がいるはずです。その人ではダメなんでしょうか」


「皇太子……? 聞いたことないな……でも、あの戦場にいたならもう生きては……」


 王宮の中はほぼ全滅していた。市街地もひどい有様で、とても皇太子が存命であるとは思えない状況だ。


「皇太子のヘイダル殿下は、放浪癖で有名なんです。実はボク、ヘイダル殿下に会ったことがあって……その時、クラマにはもう何年も戻っていないと言っておられましたから、今も何処かで生きておられると思います」


「……なるほど。確かに皇太子なら先王の死によって王位を獲得しているはず。反撃の旗印になることができるかもしれないけど、何処にいるのか分からないのよね?」


「風の噂でクラマ陥落を知れば戻ってくるかも知れないけど、それじゃ遅すぎるか」


「ええ。帝国軍に狙われている可能性もあるし、私たちから探し出して、協力を取り付けないといけないわ」


 そう結論を出して、ウィルベルがエミールに期待の眼差しを向ける。それを受けて、エミールはぶんぶんと胸の前で手を振った。


「ほんの少し会っただけですから、ヘイダルさんが今何処にいるかなんて知りません! で、でも、東に行くと言っていました。手がかりはそれぐらいです……」


「東……それだけで探すのは骨が折れそうだ」


 この広い世界で人を探すにはあまりに漠然とした情報だ。フリッツの面識のある相手でもないし、必ずしも協力してくれるとは限らない。


「帝国はこの情報を知らないはず。一応、私たちの方が有利なはずよ」


「つまり僕たちは、帝国軍の再軍備が整うまでの間に、皇太子を見つけて連れ帰らないといけないということだな」


「……時間がないわ。急がないと」


 ウィルベルが立ち上がろうとして、フラッとバランスを崩す。彼女の行動を予想していたフリッツがそっと支えた。


「ウィルベル……皇太子の探索には僕が行く。ウィルベルは先にヴァイスランドに戻っておいてくれ」


「そ、そんな……」


 フリッツの言葉にウィルベルが狼狽える。


「身体もボロボロだし、ブラオローゼも折れたんだ。しばらくは戦えないだろ? それに、誰かがヴァイスランドに戻って僕たちのことをエマさんに知らせないといけない」


「……そう、だけど」


 ウィルベルはまだ納得していない様子だった。理解はしているはずだが、誰よりも一線で戦ってきた彼女が、一線を離れることへ抱く抵抗感は相当なものだろう。


「フ、フリッツさんにはボクがお伴します。だからウィルベルさんは療養に専念してください。それが……一番良いと思います」


 エミールもウィルベルの説得に回る。

 誰の目にも見ても、今のウィルベルは一度休むべきだ。


「……分かった。一度ヴァイスランドに戻って、北部の情勢を確かめてくる。二人も……無事でね」


「ああ、こっちは任せてくれ……っていうか、エミールはそれで良いのか? 協力してくれるのはありがたいけど、命の危険があるかも知れないぞ」


「はい……危険は承知です。でも、命をかけて戦うお二人を見て、何もしないではいられなくなったんです。感化されただけだと言ってしまえば、その通りなんですけど……」


 言葉尻は萎んで、エミールはうつむきがちになる。ウィルベルはそんなエミールの手を取って、


「感化されただけで、あんなことは出来ないよ。君は君の意思で、ここにいてくれているはず。だから……ありがとう、助けてくれて」


「は、はいっ!」


 ウィルベルに励まされて、エミールはいくらか自信を持ったようだ。


「よし、決まりだな。とりあえず今夜は休んで、明日から動き出そう」


 夜の帳が降りる中、抗戦の火種は絶えずにくすぶっていた。

第一章・完

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