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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第一章 クラマの危急
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第一章♯6『灼熱』

 薄れゆく意識で、ウィルベルは揺れを感じていた。

 もしかしたらただの幻覚なのかもしれない。仰向けに倒れ、地面に身体を預けた状態で、その揺れが強まるのを感じていた。


 剣を向ける皇帝が、ウィルベルから目をあげる。彼が見ている方向がどうなっているのか、ウィルベルには確かめることはできない。しかし、伏した全身でただただ――揺れが強まるのを感じていた。


「来たか」


 皇帝のつぶやきが誰に向けられたものか、ぼんやりした頭で考えようとした時に、それより早く聞こえてきたのだ。


 ウィルベル、と。


 自分の名前が呼ばれている。その間にも揺れはどんどんと……。

 次の瞬間には、雲の切れ間から暖かな陽光が降り注いだ。全身に光を浴びて、溺れかけていた意識が急速に浮上してくる。


 冴えた五感がはじめに捉えたのは、熱だった。目の前が真っ赤になって、皇帝の姿も搔き消える。次に捉えたのは、地響き。その次は上ずった声の呼びかけだった。


「ウィルベルさん! 大丈夫ですか!?」


 少し前に別れた青年、エミールがウィルベルの顔を覗き込んでいた。心配そうに眉を下げて、ウィルベルの身体を抱きあげる。そんな彼に向かって、ウィルベルは必死に声を絞り出そうとした。


 ダメだ、と。


 周りには帝国の騎士達がたくさんいて、逃げることはできない。エミールまで殺されてしまう。


 しかし、そうなることはなかった。そもそも、ウィルベルの側には皇帝がいたはずだ。彼がいればエミールはウィルベルに近づくことはできなかっただろう。彼はどこに?


 エミールがウィルベルの身体を降ろした。背中にあたる感触はゴツゴツしていて、あまり居心地が良いとは言えない。そして暖かくて、ゆっくりと動いていた。これは――、


「地竜……?」


 ウィルベルの掠れた声に、エミールがぶんぶんと首を縦に振った。


「そうです、ウィルベルさん。助けに来ましたよ!」


 エミールに起こされ、周囲の状況を把握した。ウィルベルとエミールは地竜に乗っていて、向こうの方には皇帝を筆頭として帝国軍が立っている。ずいぶんと数を減らしていて、先ほどまでの三分の一程度になっていた。


「あ……」


 その二組の間に、分け隔てるかのように立つ者がいる。

 ウィルベルを守る盾であり、害するものへの剣。いつものように彼は、ボロボロの後ろ姿で超然と立っていた。


「フリッツ……良かった」


「……それはこっちのセリフだ」


 わずかに振り向いたフリッツが、ウィルベルの姿を見て苦渋の表情を浮かべた。目を伏せながら前に視線を戻し、


「エミール、行ってくれ」


「で、でもそれじゃフリッツさんが!」


 背を向けたまま、エミールの言葉に首を振った。


「二人がここにいたままだと、戦えない。早く安全なところまで逃げてくれ、必ず追いつくから」


「っ……分かりました」


 エミールが息を詰まらせて頷く。そして地竜の手綱を取って、走り出させる。地竜の背中から、遠のいていくフリッツを見ているウィルベルは、力を振り絞って声を上げる。


「フリッツ! ……必ずだよ!」


 ウィルベルの叫びを聞いても、フリッツは片手を挙げるばかりで、振り向くことはなかった。

 そんな内に、フリッツの背はどんどん小さくなっていって、すぐに見えなくなってしまった。




 ◆◆◆




 ジリジリと照る太陽によって晒し出された、辺りの惨状。数々の破壊と血痕がここであった戦いの熾烈さを証明していた。


 フリッツはただ一人で、帝国軍と対峙している。しかし、フリッツが敵だと認識しているのは一人だけだ。ウィルベルを殺そうとした男――皇帝だけだった。


 王宮の崩落に巻き込まれ、瓦礫の下敷きになっていたフリッツを助けに来てくれたのはエミールだった。彼と地竜がフリッツを探し出してくれた。

 自分がどれだけの間気を失っていたのか……皇帝の最後の言葉を思うと生きた心地がしなかった。エミールの制止を振り切って駆け出し、ここまでやってきた。


 傷だらけのウィルベルを見たときには、安堵と怒りで気が狂いそうだった。だがなんとか、命だけは救うことができた。


 であれば……残されたフリッツの使命はひとつだ。


「お前たちは全員、灼き殺してやる」


 陽剣が昂ぶった感情に応えるように炎を吹く。照らし育む陽光ではなく、これは殺戮の熱だ。

 その熱を肌で感じているであろう皇帝は、剣尖で宙を穿ち――、


「期待以上だ」


「…………」


 フリッツにも彼の望みがなんとなく見えてきた。目的は不明だが、これは手段なのだろう。ウィルベルを失えばフリッツは激昂する。その感情を高めることが、皇帝の望みだ。

 安い挑発とは違う。無意味な殺戮でもない。一体何のための行動なのか、底知れぬ不気味さが残るばかりだ。


 しかし、皇帝が何を抱えていようと、もはや関係はない。ウィルベルに手を出した以上、フリッツにとっては敵以外の何者でもないからだ。


 皇帝との対話に期待して、この結果を招いた。それはフリッツの不覚だった。フリッツが初めから相手を殺すつもりでいれば、ウィルベルはあんなに傷つかなかったかもしれない。


 今度は、間違えない。今度こそ――、


「お、おおお――!」


 振るった陽剣が吐き出す爆炎が帝国の者たちに迫る。あっという間に飲み込んで、絶叫が響いく。焼け焦げる匂いと黒煙が舞い上がった。


 その黒煙を切り裂いて、皇帝が飛び出してくる。刃を煌めかせ、フリッツに振り下ろした。受け止め、鍔迫り合いの姿勢となる。


 皇帝の剣はかなり刃こぼれをしていた。ウィルベルとの打ち合いが相当削ったらしい。いまにも折れそうな剣で、しかし果敢に斬りかかってくる。


 陽剣の熱が、皇帝の剣へと伝わっていく。徐々に赤熱し始める剣を見て、皇帝が身体を離す。だが逃しはしない。


 このまま剣を折ってやる。

 打ち合う度に熱が伝わり、そして――、


「ク……!」


 溶解しはじめた鋼が地面に溢れた。皇帝の剣は半ばより先が失われ、残る半分もボタボタと滴っている。

 皇帝は剣を捨て、フリッツを正面から見据える。


「終わりだ」


 そう言ってフリッツが近寄ろうとすると、皇帝は左手を向けて制止した。武器も何も持ってはいないのに、何かある気がして踏み出せない。


「……素晴らしい力だ。だが、怒りにまかせるだけでは意味がない。熱した鋼は、冷やさなければならない」


 皇帝の足元に薄っすらと魔法陣が浮かび上がる。それは光を増していき、


「また会おう、フリッツ・ローエン。次こそ、私は……」


 皇帝は何かを言いかけ、口をつぐむ。そして、次の瞬間にはその姿は消えていた。残ったのは死体とフリッツだけ。

 フリッツは剣を鞘に収め、ウィルベルとエミールの後を追ったのだった。

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