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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第一章 クラマの危急
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第一章♯5『欠月』

「――ああ、左剣が始末した。ついでに、ヴァイスランドから来た若造もな」


 痩せぎすの左槍は、節張った手で槍を抜きながら言った。その目は卑しく細められ、傷ついたウィルベルに向けられている。


「粋がっていたわりには、あっけない死に様だったらしい」


 右剣との会話を装って、わざとらしい大声と素ぶりで左槍が言う。ウィルベルは左槍のその態度を見て、


(――ハッタリだな)


 大きく目を見開き、言葉を失ったという演技をしながら思考を巡らせていた。


(左剣の騎士が単騎でフリッツと渡り合えるとは思えない。それに、フリッツが本気で戦っていればここまで余波が来るはず。挑発のつもりだろうけど……)


 ウィルベルは手を地面について、絶望に打ちひしがれている素ぶりを見せる。左槍の方は、狙い通りの反応に薄ら笑いを浮かべていた。右剣は胡散臭そうに二人を眺めている。


「救国の英雄も、相棒を失えばこの様か」


「…………」


 反応のないウィルベルを見て、左槍が歩いて近づいてくる。ウィルベルは左槍から死角になる位置で指を結ぶ。簡易的な詠唱補助だ。


「まあ仕方ない。お前たちは誇り高き騎士ではなく、薄汚い賊に過ぎんのだからな」


「…………」


 そばまでやってきた左槍は、槍をウィルベルの胸元に近づけ、


「……死ね」


 ――バチィ!


「なっ……!?」


 そして心臓に向けた槍を突き出そうとした時、いつのまにか周囲に漂っていた紫電に気がついたようだ。咄嗟に回避しようとした彼だったが、間に合わない。いや、間に合わせない。


「――『雷霆庭ケラウノス・フレーヒェ』」


 ウィルベルの周囲三メートルほどに、紫電の嵐が巻き起こった。絶叫すら飲み込む爆風と爆音を撒き散らしながら、範囲内のものを蹂躙する。あまりの閃光に、右剣は手で目元を隠す。


 嵐が去った後には、人間だったものの残骸が僅かに残るばかりだった。


「油断しやがって……馬鹿が」


 右剣が吐き捨てるように言った。仲間の死にもこの反応とは、あまり反りが合う間柄ではなかったのかもしれない。


 ウィルベルは剣を手に立ち上がる。膝の傷はすでに修復済みだ。運動機能はまだ万全ではないが、『星辰の探求者』でカバーできるレベルだ。包帯のように伸ばした布を膝に巻きつけ、外部から無理やり動かす。


「貴方も喰らってみる?」


「いやァ、さすがに死んじまうな」


 決して萎縮した様子はないが、右剣はそう認めた。嘘の可能性もあるが、少なくとも死の概念は持っているらしい。であれば、殺せるはずだ。


 向き合う二人の間に緊張の糸が張られる。しかしピンと張り詰めたそれは、呆気なく破られた。


 ――パチパチパチパチ。


 静寂を切り裂いたのは、この場に似つかわしくない拍手だった。右剣とウィルベルは、お互いから視線を外して音の鳴った方向を見やった。


 そこに立っていたのは、白髪の老人だった。一体いつからそこにいたのか、風景の一部かのように自然な居住まいをしていた。


「へ、陛下……!」


 その姿を認めた途端、あれほど無礼者らしい右剣が慌てて膝をついた。彼に礼を尽くすことは、ウィルベルとの対峙以上に必要なことだということだろう。それはつまり――、


「ユーヴィク帝国、皇帝……」


「如何にも」


 皇帝が首肯した。

 まさか戦場に出てきているなんて、さすがに予想外だった。

 質素な鎧に、薄汚れた真紅のマント。およそ皇帝とは思えない装いだったが、発する威厳は皇帝そのものだ。


 ウィルベルの背筋が望外の状況に粟立つ。右剣から完全に意識を外し、皇帝にのみ向ける。これはまたとない――絶好の機会だ。


「……貴方をここで殺せば、この戦争は終わる。たくさんの人々を守れる」


「彼とは違うことを言うのだな」


 皇帝はマントから出した腕を、腰の剣に伸ばす。ウィルベルも握った柄の感触を確かめる。


「それは、フリッツのこと……?」


「ああ……彼は私と相対した時、『どうしてこんなことを』と問うてきた。しかし君はそんなことを尋ねはせず、私を殺すことしか考えていないようだ」


 皇帝の語る内容が、ウィルベルには目の前の出来事のように思い浮かべられた。

 確かに眼前に立つ老人は、暴虐の王といった感じではない。どうして、と尋ねたくなる気持ちは分かる。しかし――、


「私は彼ほど優しくないの。貴方がどんな正義を掲げていようと、それが私たちを脅かすものなら、全力で叩き潰す」


 敵は敵だ。実の父を、母を、打ち倒してきたウィルベルにとって相手が誰かなんて関係はないのだ。


「……確かに君は彼ほど優しくないかもしれないが、卑下することはない。優しさは時に甘さとなるし、冷徹さや非情さも必要だ。そしてそれは彼になく、君にはある」


「貴方は一体……」


「優秀な君にチャンスをあげよう、ウィルベル・ミストルート。今日ここで私を殺すチャンスだ。君が負ければ、私はさらに北進するだろう。この大陸に更なる破壊と混乱をもたらし、己の目的を達成する。この凶行を止める絶好の機会だぞ」


 そう言って、皇帝は腰の剣を一息に抜いた。

 自らの行動を凶行と認める彼に、どれほどの覚悟があるかは分からない。しかし、ウィルベルの行動も、やはり変わりはしないのだ。


「言われなくとも……!」


 剣を逆手に握り直し、添えた左手を相手に向ける。

 全身全霊をもって、ここで倒す。


 駆け出したウィルベルの足元に、雷光が散る。そのまま、ぐんと加速して刃を叩きつけた。対する皇帝は、こともなげにその刃を受け止める。


「――『蔦鎖ヘデラ』」


 ウィルベルの呟きに感応した魔術が発動し、蔦で編まれた細い鎖が皇帝の右腕を絡めとる。一瞬動きが止まったところに、ウィルベルが剣を構える。狙うのは胴や頭ではなく――足。


 突き立てようとした剣が、無刀の左手で逸らされる。すぐに狙いを切り替え、剣から手を離し皇帝の首を狙った手刀を繰り出すが、今度は身体を逸らして躱されてしまう。


 さらに次はウィルベルが腕を掴まれ、大きく投げ飛ばされる。地面に身体を叩きつけられ、一瞬呼吸が出来なくなるが、すぐに体勢を立て直して立ち上がる。


 鎖を伸ばして剣を手元に回収し、ウィルベルはもう一度構えをとった。荒く息を吐き、前に立つ皇帝に目を向ける。


 圧倒的な、理解の及ばない強さではない。しかし直感的に悟ってしまっている。勝ち目がないと。

 もしここにフリッツがいれば、また違ったかもしれない。少なくとも、ウィルベル一人で戦い続けることは難しい。だが、だからといって撤退という選択肢もないのだった。


 届きそうで届かない。一歩先を行かれているという感覚に、もどかしさが募るばかりだ。


「今度はこちらから行くぞ」


 その宣言と共に、皇帝が距離を詰めてくる。ジリジリと後退しながら、相手の剣を捌いていく。だが捌ききれなかったいくつかが、頬を裂き、腕を裂き。ゆっくりと、しかし確実に刃が届いてくる。




 ――バギン!


 勝負の終わりを告げたのは、その音だった。

 皇帝が振り下ろした剣は、魔剣ブラオローゼを寸断し、ウィルベルの左腕までを断ち切った。折れた剣尖と、切り飛ばされた左腕が地面に落ちる。


 もう限界だった。傷つき途切れそうな意識を『星辰の探求者』でなんとか繋ぎ止めている状態で戦い続けていたのだ。痛みに麻痺する身体も、体内を巡る魔力回路で無理矢理に動かしていた。


 満身創痍。


 まさに死力を尽くした戦いは、ブラオローゼが折れる音によって幕を降ろした。それと同時に、ウィルベルも地面に倒れる。思考にも霞がかかって、自分がどうなっているのか理解しないまま戦っていたのだ。


 剣と共に、心も折れてしまった。


 ウィルベルの剣を折った張本人である皇帝もいくつか傷を受けてはいるが、ウィルベルに比べれば遥かに軽傷だ。

 皇帝は剣を煌めかせながらゆっくりと、仰向けに倒れるウィルベルの側まで来る。しかし、もうウィルベルは指一本動かすこともできない。体力も魔力も、気力さえとうに尽きていた。


 失った左腕の傷口からドクドクと血液が溢れる。命の喪失にも、意識を向けられない。


 皇帝の剣がウィルベルの首に這わされる。冷たい死の刃が肌に触れても、身じろぎすらできない。ぼんやりと空を眺めて、終わりの時を待つだけだった。


 フリッツはどうなったのかな。

 ちゃんと生きているかな。


 左槍の話はやはり嘘だろうと、皇帝と戦っていて改めて思った。もしフリッツを殺せるとしたら皇帝本人しかいないし、もしフリッツが全力で戦っていれば皇帝はもっと消耗していただろう。


 きっと、きっとフリッツは大丈夫。そう思うと、少し楽な気持ちになることができた。


 皇帝が剣を振り上げる。

 太陽に雲がかかって、ウィルベルに影を落とした。

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