第一章♯4『双の光芒』
「――はァ!」
右剣が繰り出した突きを、ウィルベルは身をよじって躱す。そのまま反転して振るった愛剣が、右剣の頬を浅く切り裂いた。
ここまで数度に及んで斬り結んだが、右剣の剣がウィルベルに届くことはない。
「チッ……フラフラ避けやがって。なんだその目は?」
右剣が剣の切っ先をウィルベルの左目に向けた。ウィルベルは口の端を持ち上げ、
「魔眼よ。天然ものじゃなくて、お手製だけど」
ウィルベルの左目は夜空のような輝きをたたえていた。よく見れば、瞳の中で魔法陣の光芒が舞っている。
この魔眼は、ウィルベルが最果ての書架で研究を重ねていた時に試作したものだ。現時点では魔力の可視化と動体視力の上昇程度の能力しかないが、まだまだ成長の余地を残している。
「えぐって持ち帰れば高値で売れそうだなァ」
右剣が剣を振るって肩にかつぐ。
それにしてもこの男、本当に口が減らない。
この状況、強気な発言ができるほど良くないはずだ。右剣の剣は届かず、ウィルベルの剣は浅くとも確実に届いている。誰の目にも、趨勢は明白だった。
これ以上ままごとに付き合ってやる義理もない、そう判断したウィルベルは剣を持ち上げ――、
「……『星辰の探究者』」
その呟きに応えるように、ウィルベルの足元から濃密な闇が湧き上がる。その闇は生き物のような動きで肩から首に巻き付き、星天のケープを形作った。そして月を隠す雲のように、音もなくたなびく。
まるで影が首をもたげるかのような光景に、さすがの右剣も多少動揺したようだ。表情に真剣味が宿る。
「そういつが噂のレゾンデートルか」
「……これ以上無駄な会話をするつもりはないわ」
ウィルベルは刃に紫電を散らしながら一気に距離を詰める。右剣の反応を待たず、その首に刃を滑り込ませた。
雷属性の魔力を宿した、まさに光速の一撃だ。皮を裂き、骨を断ち、一気に切り抜ける。一拍の後、頭が地面を転がる音がした。
一瞬の出来事に、雑兵たちは茫然とした。自分たちの指揮官が一刀によって切り捨てられたのだ。
「あなたたちの指揮官は死んだ……ここで引けば、これ以上追いは――ッ!?」
突然視界がぐるりと回って、自分が跳ね飛ばされたのだと理解した。即座に水平を見極め、地に四肢を伸ばす。ザリザリと滑りながら勢いを殺していく。
殺意を感じた瞬間、『星辰の探究者』で防御していなければ無事では済まなかっただろう。
「勝手に殺すなよォ! まだまだこれからだろうが!」
確かに首を刎ねたはずの右剣が、そこに立っていた。自分の頭を抱えて。しかし彼の体にはしっかりと首がくっついている。であれば、彼が小脇に抱える頭は……。
「……再生能力」
ユーヴィクの皇帝に仕える六人の騎士たち、彼らは皇帝に人外の異能を与えられるという。ウィルベルの眼前に立つ右剣にとってのそれが、致命傷すら回復する再生能力ということか。異能の力がひとつだけとは限らないから、まだ油断はできないが。
「今度はこっちから行くぞオォ!」
自分の頭を乱暴に投げ捨て、右剣がウィルベルに迫る。横薙ぎを受け止め、その腕を絡めとる。体の内側に潜り込んで、渾身の肘打ちを見舞った。右剣の体がゴロゴロと地面を転がっていく。
不死身であることが判明したところで、戦闘能力に変化はない。この調子では勝ちも負けもない戦いが続くことになるだろう。
なんとかこの状況を打破する方法を考えながら右剣と打ち合う。
しかし、それが仇となった。目の端で微かな光を捉えたときにはすでに手遅れだった。
彼方から飛来した一条の光が、ウィルベルの左足を貫く。バランスを崩し、たまらず地に膝をついた。右剣も驚いたようで、一度ウィルベルから距離をとった。
「ぐ、うぅ……」
(まずい、腱をやられた……!)
膝辺りに空いた穴から血が溢れる。止血もしないと危険だ。だがこの状況では……。
「左弓の仕業か……チッ、余計な真似しやがって」
右剣はどこか遠くを眺めて舌打ちをした。その隙に魔術での治療を試みる。一応血は止められたが、腱の修復まではできない。
「遊んでいる暇はないぞ、右剣」
その声が聞こえた瞬間、ウィルベルは咄嗟に横に転がった。直後に、先ほどまでいた場所に槍が突き立てられる。
「てめえもか、右槍……」
右槍と呼ばれた男は、地面に深々と突き刺さった槍を引き抜いた。長身で、やせぎすの男だ。右槍は落ちくぼんだ眼窩で爛々と輝く目を右剣に向けた。
「皇帝陛下がご帰還なさる。我らもそうせよ、とのお達しだ」
「帰還だとォ? もう王は片付いたのか?」
「ああ、左剣が始末した。ついでに」
そこで左槍は、左足をかばい、激痛に顔を顰めながら立つウィルベルに目を向け、
「ヴァイスランドから来た若造もな」
◆◆◆
――少し前、クラマ王宮玉座の間にて
フリッツはユーヴィク皇帝との戦闘になっていた。左剣の女騎士は静観するばかりで、割って入ってこようとはしなかった。
もし割って入られたら、捌ききれないだろう。それほどに、皇帝の剣は鋭かった。決して奇をてらっていたりはしない、正道の太刀筋だ。フリッツの一振りに対して、常に最適の返しをしてくる。
まるで長い年月をかけて積み上げられた剣術の歴史そのものと戦っているような気分だ。
攻めひとつ、守りひとつを誤れば、そこから突き崩される。最善手を打ち続けることでしか追いすがることはできない。
「クッ……!」
純粋な剣術では明らかに敵わない。劣勢を覆す一手を、フリッツは切った。
「『守護王の威光』!」
ただならぬものを感じたのか、皇帝が大きく距離をとる。彼の判断は正しい。あのまま斬り結んでいたら、彼の体が燃え尽きていただろう。
フリッツが握るドラゴンベインに熱が宿っていく。焙られた大気が溶けるように揺らぎ、陽光が飛散しはじめる。石も鋼も――龍鱗すら断ち切る太陽の刃だ。いくら皇帝が剣の達人とはいえ、この刃を受けることはできない。
「それが君の切り札かね」
「そうだ。火加減はできないぞ」
「……城下でもそれと同じ力が使われているようだ」
皇帝が剣を下ろして言った。戦いの最中にも関わらず、その視線は窓の外に向けられている。
彼が言っているのはウィルベルのことだろう。むこうもレゾンデートルの発動をしたということは、戦局はかなり悪いのかもしれない。ウィルベルに万に一つもないと思うが、心配せずにはいられない。
皇帝はフリッツに目を向け、出しぬけに、
「君は彼女のことを愛しているかね?」
「……何が言いたい」
「そのままの意味だ。男女のつながりでなくともよい。人として、愛しているのかね」
「ああ……愛してるさ」
フリッツの言葉を聞いて、皇帝は目を伏せた。その姿からは、先ほどまでの覇気は感じられない。
「……きっと彼女も君を愛しているのだろう」
「おい……さっきから何を」
「失えば、研がれるか」
ゾッとするほど冷たい声に、フリッツの背筋が凍る。
挑発や脅しの類ではない。一切の感情を排し、理性だけで形作られた殺意を感じた。
ここで止めないと、彼はきっとウィルベルを殺しに行く。それともフリッツが殺されるのか。
硬直するフリッツから興味を失したように、皇帝がおもむろに歩き出し、立ち去ろうとした。
「待て!」
皇帝が足を止める。フリッツは滾る陽剣を向け、
「ウィルベルに手は出させない」
「……左剣」
そう言って、再びフリッツに背を向ける。フリッツが駆けだそうとした時、目前に銀の剣が突き刺さった。堰を切った雨のように降り注ぐ剣を、フリッツは陽剣で焼き払った。
フリッツの前に立ちふさがったのは、酷薄な笑みを浮かべる女騎士――左剣だった。自身の周囲に銀剣を浮かべる左剣の後ろで、皇帝の姿が遠ざかっていく。
もどかしい思いを抱えながらも、目の前の女騎士を無視することはできない。
「もう諦めなさい。あなたは生かしてあげるけど、もう一人のほうは死ぬわ」
わざとらしく悲しむそぶりを見せながら、左剣は笑った。その言葉に、フリッツの中で怒りが爆発した。
「どけよ……」
「もう少し時間を稼いだらね」
フリッツの言葉を予想していたように左剣は答える。
時間稼ぎに徹すると、その宣言と共に。これ以上の問答は無意味だ。
フリッツが左剣に詰め寄る。その迎撃に、銀剣が矢のように飛来する。いくつかの銀剣がフリッツの肩や胴を切り裂き、左剣が意外そうな表情をする。致命傷だけを避け、傷だらけになることも厭わない猛進に、左剣は舌打ちをした。
振り下ろされた陽剣を左剣は躱す。打ち付けられた大理石の床が溶け、溶岩となって飛び散る。その飛沫が左剣の腕に当たり、
「――あああ!?」
火傷どころでは済まない。骨まで溶かす高熱に、左剣の右腕が焼け落ちる。人肉が焦げる匂いと、左剣の絶叫で玉座の間が満たされる。
怒りに燃えるフリッツは、痛みに悶える左剣を蹴り飛ばす。
「お前は消し炭にしてやる」
「くっ……馬鹿が!」
左剣が悪態をつき、銀剣がまた雨のように降り注ぐ。
無駄なことを、とフリッツが頭上の銀剣を薙ぎ払う。その光景を見て、左剣は口の端を吊り上げた。
――ビシィ!
無数の剣が床に深々と突き刺さり、玉座の間はもはや剣の草原のような有様になっていた。それほどの剣が刺されば、こうなって然るべきだ。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた亀裂が、深く大きくなっていく。地震のような揺れに、平静を失ったフリッツもさすがに状況を理解した。
王宮の最上層に位置している玉座の間、その床が崩れ落ちようとしていた。フリッツが床に手をついている内に、左剣は窓を突き破って離脱する。
追いかけようと走り出したところで、崩落が決定的となった。体の支えが空回りして、足がもつれる。
自分の命がどうなるかすら分からない状況で、フリッツの思考を支配していたのは相棒のことだけだった。
「そんな、ウィルベル……!」
伸ばした手は届かず、瓦礫の下に吸い込まれていった。




