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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第一章 クラマの危急
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第一章♯3『燻る火種』

「ここを越えればクラマの都が一望できるはずですよ〜」


 先導するエミールが振り返って言った。

 辺りの景色はすでにヴァイスランドのものとは一変していて、岩と砂による大自然が広がっていた。植物は背の低いものがまばらに生えている程度で、乾いた風に揺らされていた。


 不意に、風の中にフリッツはわずかに覚えのある匂いを捉えた。ウィルベルも同じことを感じたようで、顔を見合わせる。


 馬を駆けさせて、岩山の頂点まで急いだ。突然走りだした二人に、エミールは首をかしげる。そんなに楽しみだったのかと。


 崖の淵に立ってクラマを見下ろしたフリッツは、自身の予想が的中したことに苦い表情をした。


「どうしたんですか〜、お二人とも〜」


 ウィルベルはエミールに振り向き、眼下を指差す。眉をひそめたエミールがそこを覗くと、


「な、なんですか……これ」


 砂漠に浮かぶ宝石と讃えられるクラマの都が、火と鉄の騒乱に包まれていた。焦げくさい臭いがぬるい風にのって運ばれてくる。二人が感じ取ったのはこの臭いだった。


 ある意味で慣れ親しんだ、破壊の臭いだった。


「南から進軍しているのは帝国軍だな……城壁を破られて、抗戦中といったところか」


「まさかこんなに早く手を打ってくるなんて……」


 ウィルベルとフリッツが低い声で話しているが、エミールはそんな二人の声は聞こえていなかった。


 エミールも子供ではない。戦争というもののこと、それが迫っている今の時代というものを理解していた。しかし、こうして目の当たりにするのは別の問題だった。


 微かに聞こえてくる悲鳴や怒声は空耳か。エミールの位置からでは都で戦う一人一人の姿など見えない。なのに、まるで目の前で繰り広げられているような圧迫感があった。


 エミールは言葉を失い。足が震えていることにも気づかなかった。


「ともかくクラマ国王の安全の保証が第一よ。手分けをして探しましょう」


「そうだな……エミール、僕らの旅はここまでだ。見ての通りクラマはもう陥落寸前。急いでヴァイスランドまで戻るのが良い」


「楽しかったよ、エミール。また会おう」


 二人はそう言うと、エミールの言葉を待たずに崖から飛んだ。あっという間に視界から消えた二人は、次の瞬間には空に舞い上がっていく。


 夜空のような翼を広げる美しい龍と、それにまたがる騎士の姿だった。


 エミールはただ呆然と、死地に飛び込む者たちを見ていた。


 彼らはきっと死ににいくつもりなどない。彼らはきっとエミールの想像の何倍も強いのだろうから。


 だからといって、こんな光景を目にして……どうしてあんな平然とした振る舞いをできるのだろう。恐怖に足がすくむこともなく、己の力に驕ることもなく、ただ為すべきことを為す。


 これが英雄・・というものなのか、とエミールは膝をついた。ウィルベルの残した地竜が、気遣うように鼻を押し付けていることにも気がつかなかった。




 ◆◆◆




 都の上空で、龍化したウィルベルは大きく旋回していた。背のフリッツも、鋭い目で都を見下ろしている。


 国王がいるとすれば王宮だろう。もう退避している可能性もあるが。


 南から進軍してきた帝国軍はすでに都の半分ほどまでに達していて、クラマの陥落は明らかな状況だった。この流れで王まで失えば、もうこの国は立ち直れない。すべての領土を蹂躙されてしまうだろう。


 しかし王さえいれば、国家の元首としてヴァイスランドと約定を結ぶことができる。都以外の勢力を、王の名の下に結集させることもできるはずだ。そうしなくては、反撃はありえない。


 ウィルベルは急降下し、王宮の真上まで羽ばたく。言葉は無くとも示し合わせたように、フリッツが飛び降りた。


 王宮はフリッツに任せ、ウィルベルは帝国軍の侵攻を抑えて時間を稼ぐ。撤退のことも考えると、時間稼ぎにはウィルベルが適任なのだ。


 前線となっていると思しき場所に目星をつけ、またそちらに急降下していく。降下の際に龍化を解き、光の糸を散らせながら地に降り立った。


 背後には王宮、前方にはウィルベルの突然の登場に驚く帝国兵達。皆、板金の鎧を身につけていて、士気も練度も高そうだった。


 ウィルベルが背に手を回し、腰に下げた剣の柄を掴む。滑らせるように抜き放てば、相手の兵士たちがざわめく。


 そのざわめきは伝播していき、やがて人波が割れ始めた。その間を歩いてくるのは、黒い鎧に身を包んだ騎士だった。野性味溢れる残忍そうな顔を歪め、ウィルベルを見据えた。そんな彼の右手の剣も左手の盾も、しとどに血で濡れていた。


 その騎士はウィルベルの前に立ち、傲慢な声で、


「何者だ貴様、名を名乗れ」


 剣の切っ先を向けながら言った。


「名を尋ねるなら、まずは自分からでは?」


 ウィルベルはまともに取り合わず、ありふれた返しをする。騎士はふんと鼻を鳴らし、


「俺は"帝の右剣"だ。聞いたことはあるだろ?」


 帝の右剣——たしかに聞いたことある名前だった。ユーヴィクの皇帝に使える名誉ある騎士達の名だ。


 剣、槍、弓。それぞれに右と左。合計六人の騎士達は、叙勲の際に名を捨て、終生皇帝に尽くすのだという。その対価として、秘法による人外の力を得るのだとか。どこまでが本当かは分からないが、伝え聞くのはそういう話だった。


 つまり目の前の男はユーヴィク帝国の幹部と言っていい存在だ。とくに当代の右剣は残酷で知られ、先代を殺して右剣となったと聞く。名誉も誇りもない、帝の狂犬だ。


「……ヴァイスランドの"月光"」


 ウィルベルの言葉を聞いて、右剣が目を見開く。そして、邪悪な笑みを浮かべた。


 有象無象の兵士たちは動揺を隠せない様子だ。武器を握り直す者もいれば、逃げ場はないかと目を泳がせる者もいる。


「なんてこった! まさかこんなところで龍狩りの英雄様とお会いできるなんてなァ……その首を持ち帰れば、帝が喜ぶぜ」


「奇遇ね。私も貴方の首を刎ねたくなってきたところよ」


 騎士らしくもない下卑た反応に、ウィルベルは不快感をあらわにする。


「気の強い女は嫌いじゃねェ。生首にする前に、ちょいと遊んでやる」




 ◆◆◆




 その頃、フリッツは王宮内を駆けていた。帝国軍の兵士たちの姿はないが、王宮関係者の姿もない。不気味な静寂に包まれていた。


 とにかく王のもとを目指して、最上層に差し掛かり、


「まずいな……」


 玉座の間へと続いているであろう長い廊下は、殺戮の跡で汚されていた。近衛兵と思しき騎士達が、まるでボロ雑巾のように転がっている。どう見ても、人間と人間の戦いで起こりうる破壊ではなかった。


 その破壊はまっすぐ玉座の間へと続いていた。


 フリッツが玉座の間に足を踏み入れた時、部屋の中には男と女が立っていた。厳しい顔の老人と、かなり若い女騎士だった。


 その二人の間から覗く玉座には——クラマ国王が座していた。目は虚で、その体には数多の剣が突き刺さっていた。


「陛下、先にご帰還を。彼は私が」


 女騎士が前に進み出て、フリッツに剣を向ける。陛下、と呼ばれた老人は青灰色の瞳でフリッツを見た。無造作な視線だったのにもかかわらず、獅子に睨まれたような気分だ。


「君は……ヴァイスの英雄か」


「お前は……ユーヴィクの皇帝か」


 フリッツも負けじと老人を睨み返す。肌を刺すような威圧感に、嫌な汗が噴き出す。女騎士の発する威圧感もかなりのものだが、皇帝のそれは桁違いだった。まるで深海に沈められたかのように、息ができなくなりそうだった。


「不敬な……!」


 女騎士の声に苛立ちが混じる。踏み出そうとした女騎士を、皇帝が片手で制した。


「君の敵う相手ではない。下がっていなさい」


 女騎士はわずかに不満げな表情を浮かべるも、顔を伏せて後ろに下がった。


 皇帝という立場にありながら、戦線に出ることを厭わない。それはつまり、自身の力に確固たる自信があるということだろう。


 フリッツはユーヴィク皇帝を、傲慢で酷薄な人物だろうと思っていた。しかし、目の前に立つ老人はフリッツの想像とはまったく違う。飾り気のない軽装に、抜いた剣も質素な造りだった。


 その姿はむしろ清貧な騎士のようだった。修道騎士だったという話は事実だったのだろう。その証拠に、彼の目には深い哀しみが浮かんでいた。この世のあらゆるものを憂いているような哀しみだ。


 であればこそ、


「どうしてこんなことを……!」


「今の君は、その問いに答えるに値しない」


「ふざけるな! 一体何が目的だ!」


 フリッツが声を荒げても、皇帝は揺らぎなく剣を構える。問答は終わりだ、という意思を感じさせた。


 こうして対面しても、相手の力は計り知れない。こんな感覚は二度目だった。


 フリッツは愛剣ドラゴンベインの感触を確かめた。

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