第一章♯1『暴力的な彼女』
二頭の馬が緩やかに駆ける。辺りに広がるのは、無限とも思える平野だ。穏やかな風が大地を撫で、幾多の命を育む。
この平野が過去に大きな戦場となったことなど全く想像させない。人の手が加わっていない原野と化していた。
「こうして旅するのも久々だな」
「年寄りみたいなことを言うね、君」
ウィルベルが悪戯っぽく笑って揶揄した。
フリッツにとっては、その笑みも懐かしい。まだまだ若いのにも関わらず、こうも郷愁に駆られるのは、それだけあの日々が刺激的だったからだろうか。
「こんな状況なのにさ、僕は今楽しんでるんだ。ウィルベルといると、また何かが起こる気がするから」
「私は疫病神か何か?」
「自覚してないのか……」
ウィルベルの言に愕然としたフリッツの呟きは風に消えるかと思われたが、
「聞こえてるよ、フリッツ」
ばっちり聞こえていたようだ。横目ですごく睨まれた。
それはさておき、二人が目指すクラマはこの平原を越えた先、広大なスークラ砂漠の北端に位置している。旅程は一週間ほどになる予定だ。
ウィルベルの龍化を利用すればもっと速いのだが、彼女を乗り物扱いするのも気が引けた。
「なあウィルベル。このまま戦争になると思うか?」
「そうならないための私たちでしょ。いくらユーヴィク帝国でも、五分五分の戦いはしないはず」
南の大国ユーヴィクと北の大国ヴァイスランド。正面からぶつかれば、どちらが勝るかはわからない。どちらかが勝ったとしても、大打撃は避けられない状況だ。
ユーヴィク帝国の動きを牽制するために、北方諸国の連携をアピールすること。それがウィルベルとフリッツの役目だった。後々は中立諸国にもロビー活動を進めることになるのだろう。
その手始めとして、戦略的な要衝でもあるクラマを訪ねる。北方と南方を分けるスークラ砂漠。クラマの位置は、北方諸国にとっていわば砦だ。これより北方に切り込まれれば、北方全域が戦火にみまわれることになる。まず阻止するべきはその状況だった。
「……どうして皇帝は突然侵攻を始めたんだろう。会ったことはないけど、良い王だったはずなのに」
「前にも言ったけど、考えたって仕方ないよ。気になるなら会って尋ねるしかない」
「そうだなぁ……」
ユーヴィク皇帝はかつて修道騎士であったのだという。放浪の末に名を捨て、国を興し皇帝となったのだ。彼の本当の名前を知るものはいないと言われている。
その過去も、思想も、謎に包まれている存在だった。
一体彼は何を思って、この大陸に嵐を産もうとしているのか。
半日ほど馬を走らせて街道宿に着いた。二人は馬を預けた後、宿のロビー兼酒場へと入った。
安酒の匂いが立ち込めていて、下品な笑い声もこだましていた。こういった場所では、むしろよくある喧騒だった。
行商人らしき者から、その護衛らしき者。流れの傭兵らしき者たちまで、人種を問わずたくさんの男達でごったがえしていた。
フリッツにとって生家と言っていいほどに馴れ親しんだ光景だが、ウィルベルの方はどうかと横目で窺った。彼女も特には気にしていない様子だった。この数年で随分旅慣れたようだった。
「エールを二つ、あと何かうまいものを」
カウンターに並んで腰掛け、せわしなく駆け回るウェイトレスに注文をした。すぐに両手にグラスを抱えて戻ってくる。
「乾杯」
グラスを合わせ、澄んだ音を鳴らせる。冷えた液体を喉に流し込んだ。まだ砂漠地帯には遠いが、気温は高くなってきている。火照った体にはよく染みた。
二人で世間話をしていると、後ろの騒ぎが大きくなった。男達の喚き声に混じって、女の声が聞こえる。
振り向くと、先ほどのウェイトレスがむさい男達に囲まれているところだった。ウェイトレスは新人なのか、うまくあしらえずにおろおろしているようだった。
フリッツが仲裁に入ろうとカウンターに手をついた時、ウィルベルがサッと立ち上がって颯爽と歩き出した。フリッツは虚をつかれて中途半端な姿勢のままになった。
早足で進んだウィルベルが、リーダー格らしき男の前に立つ。頭ふたつほど大きな相手にまったく物怖じせず、無言で睨みつける。
「なァんだ〜、姉ちゃん。姉ちゃんも遊んでくれるのかァ?」
酒臭いに息にウィルベルが顔をしかめた。
「ぶちのめされたくなかったら、その子を放しなさい」
切り裂くような声色でウィルベルが言った。
挑発付きとは珍しい。話してどうにかなる相手ではないと判断したのだろう。ハナからぶちのめす気マンマンだった。
「ハァ! 聞いたかお前ら! この姉ちゃんも遊んでくれるってよう!」
酔った男は当たり前のように挑発に乗った。
やっちまえ〜、と無責任な野次まで飛び交う始末だった。
「オラァ!」
野次に煽られ、男がウィルベルに手を伸ばす。対する彼女は、男の手を取って捻り上げた。
「いでっ、いでで!」
関節を決められ、男が床に倒れこむ。
「続きは外よ」
ウィルベルが告げると、一瞬の静寂の後に酒場が湧いた。我先にと、野次馬に出ていく。ウィルベルも外に出て行き、酔っ払いの荒くれ共もその後に続いた。
取り残されたフリッツも、念のため外に出る。
大丈夫だとは思うが、一応注意しておかなければ。もちろん、ウィルベルがやりすぎないように。
ウィルベルと酔っ払い三人を囲んで、男たちの野次が飛び交う。浮かれた熱狂の中心から、肉が打ち合わされる音が聞こえてくる。それに混じって、野太い悲鳴まで響き始めた。
フリッツは顔を青くしながら、観衆の隙間から酔っ払い達の無事を祈っていたのだった。




