序章♯3『空白の時間』
「この遺跡って、結局何だったんです?」
ユミエルが巨大な石版を仰ぎ見上げながら言った。
石版には文字が彫り込まれているが、それは見たこともないものだ。内容を判別することはできない。
「それは龍語だよ。この碑はヴァイスランド建国の時代に、龍から人に送られたもので……まあ証文みたいなものかな」
「何が書かれてるんだ?」
「龍と人の相互不可侵とか、土地の分配とか、そういう取り決め事だよ」
ウィルベルが石碑に指を差す。おそらく該当部分に向けているのだろうが、読めないものは読めない。
「それで、ウィルベルはどうしてここに?」
フリッツがウィルベルに次々質問を投げかけると、ウィルベルは眉を寄せて呆れた笑みを浮かべた。
「質問ばっかりだね君……たまたまだよ、本当に。ルクセンに戻る通り道だったから寄ってみただけ」
「すごい偶然だな……」
フリッツが息をこぼした。
「エマさんが計らったんじゃないの? どうして私の動向を知ってるのかは分からないけど」
「いやさすがのエマさんでも……」
……あるかもしれない。
そう思うほどに、フリッツにとってエマは底の知れない存在だ。そもそも戦闘向きの傭兵団に遺跡の調査依頼を出すというのもおかしな話だ。別の意図あってのことだったのだろうか。
「ともかく、ルクセンに戻るなら一緒に戻らないか? 僕たちは馬車だから、飛んだほうが速いだろうけど」
「急いでないから馬車に乗せてもらうわ。二年もヴァイスランドから離れてた分、色々聞かせてもらいたいしね」
「そうと決まれば、こんな遺跡からはとっとと出ようぜ」
ワイルズが手を打って言う。
エマさんから頼まれていた調査は、意外な形だったがちゃんと終えることができた。これ以上ここに留まる意味もない。
「うんうん。ここってジメジメしてるし、私もウィルベルさんとお話したいし!」
ユミエルは今にもウィルベルに飛びつきそうになっている。
それもそのはず、ウィルベルは多くの魔術師にとって憧れの存在である。ユミエルもその例外ではない。フリッツに対してウィルベルのことを聞いてくることもあったから、きっとファンというやつなのだろう。
そういった扱いに慣れていないウィルベルはなんともいえない表情を浮かべているが。
フリッツにもウィルベルに話したいことがたくさんある。いきなり姿を消したことや、この三年にあったこと。それらは長旅の中でも語り尽くせないほどだ。
今度ははぐれないように。行きよりも賑やかになった面子で、暗い通路を戻るのだった。
◆◆◆
ガタガタと揺れる馬車の中で、フリッツの対面にウィルベルが座り。その隣にはユミエルが座っている。ワイルズはまたも御者席で、飛来する様々なものと格闘していた。
「そう……私のいない間にそんなことがあったのね」
ウィルベルがおとがいに手を当てて瞼を閉じる。フリッツの記憶の中の彼女よりも幼さが抜けた分、知的さが増していた。
今話したのは、近年のヴァイスランドの事情である。
ヴァイスランド自体に大きな変化はないのだが、南の帝国・ユーヴィクが突如各地の小国に対して侵略戦争を始めるということがあった。
ユーヴィクの現皇帝アラムは青年期こそ勇猛で知られた将軍だったが、壮年期に入ってからというもの対外干渉を避け、善政を敷いた人物として知られている。
そんな彼が突然宣戦布告を発し、隣国リューアを陥落させたのが2年ほど前。その後も次々と小国を侵略し、今では支配圏がヴァイスランドと隣接するまでになった。
ヴァイスランドは今までユーヴィクが侵略した小国とは一線を画す規模の国ではあるが、乱心した皇帝が侵略をしてくる可能性は大いにある。民衆の中には戦争への不安が広まりつつあり、事態を重くみた七賢決議会が軍備の増強を図っているというのも、フリッツの耳には入ってきていた。
「アラム帝は一体どういうつもりなのかしらね……」
「死が迫ってきて、何か成し遂げたくなったんじゃないか?」
「老いは人を腐らせる……か。歳は取りたくないものだね」
「こっちの話題はこれくらいだ。そろそろウィルベルの話を聞かせてくれよ」
「私も気になります!」
ユミエルが身を乗り出して目を輝かせた。
「うーん、何から言ったらいいかな……とりあえず私が無色大陸に行ってた理由なんだけどね、あるものを探しに行ってたんだ」
「あるもの……?」
「この世界の全ての知が集まるとされる場所。最果ての書架よ」
「それって、お伽話で賢者ゲリが住んでいるっていうアレですか……?」
ユミエルの疑問にウィルベルが頷く。
「ええ。道中大変だったんだけど、なんとか辿り着いて、一年くらいずっと本を読んでたんだ」
「ほ、本当にあるんだ……そうだ! 賢者は住んでたんですか?!」
「うん。面倒臭い男だったよ」
ウィルベルは書架での出来事を思い出し、苦い表情で言った。
何十年ぶりかの来訪者に興奮を抑えられなかった賢者ゲリは、ウィルベルにしつこくつきまとったのだった。ウィルベルのほうも最初は伝説上の人物との邂逅に心躍っていたが、それも最初だけだった。静かに読書をしたいのに、ゲリがちょっかいをかけてくるという状況が続くと、さすがのウィルベルも黙ってはいられない。一年の滞在中、何百回と怒鳴ったのだった。
「本を読んでただけにしては随分と腕を上げたんだな。僕が知ってる戦い方じゃなかった」
フリッツがウィルベルに問いかけた。フリッツの記憶では、ウィルベルは体術を使うことは少なかったように思う。剣術と魔術の融合が彼女のアイデンティティだった。そこに体術も加わって、いよいよ手がつけられない領域に達している。
フリッツの問いに彼女はコクっと頷いて、話題をそちらに切り替える。
「それも無色大陸でね。変なおじさんに出会って、体術の手ほどきを受けさせられたんだ。二ヶ月も、無理矢理ね」
「へ、変なおじさん?」
「うん。自称最強の格闘家で、修行のために無色大陸にこもってるんだとか。その人に捕まって、一人前になるまで弟子にしてやる〜って言われて」
「ほ……ほんとに変なおじさんですね〜」
ユミエルが苦笑いを浮かべる。
国家権力の及ばぬ無色大陸には、おかしな人が多いらしい。そこで生き抜いたウィルベルも、充分おかしな人といえるかもしれない。
行きよりも賑やかになった幌馬車は、ガタガタと揺れながら央都ルクセンに帰還してゆく。




