序章♯2『洞窟の中の月光』
「いくぞ!」
ワイルズがローブ姿の女に斬りかかる。女の方はその剣尖を見切り、最小限の動きだけで躱した。
(やっぱり俺の勘は間違ってねえな……!)
こんな動きをする者が、ただの学者のはずがない。そこそこの手練れであるはずのワイルズでさえも、まったく捉えられそうにない。それどころか、女の方にはまだまだ余裕がある。
「無抵抗の相手に斬りかかるなんて……行儀が悪いね、君」
「育ちが悪いんだ、勘弁してくれ。――ユミエル!」
「あいさ!」
ワイルズの呼び声に応じて、ユミエルが杖を構える。魔力に反応した結晶が光を帯び、術者の魔力の増幅と安定を助ける。
「――四元の青、流れは生・淀みは死、輪禍の奔流よ我が……『赤流、乱れよ』……っ!?」
ユミエルの詠唱。その間に、女が割り込むように言葉を挟んだ。たちまち魔力が霧散し、魔術の発動は失敗に終わる。
「な、なんで……」
「単純な詠唱阻害よ。私に向けて魔術を使うのなら、せめて無詠唱じゃないと」
ユミエルの問いに女が答える。もちろん、ワイルズの剣を躱し続けながらだ。息を荒げる様子もなく、まさに学者然とした様子で解説した。
「くっ……それなら! 『蜘蛛牢』!」
ユミエルの杖から放たれた氷の糸が、女に向けて飛んでいく。着弾の寸前、女は糸に手を向けた。たったそれだけ、詠唱などしていないのにも関わらず、糸が絡みつく前にほどけて消えていく。
「もっとも、無詠唱の魔術で私に傷をつけるのは難しいと思うけどね」
「そんな……!」
「先輩として魔術の使い方を指導してあげよう――青の射手・凍て付く爪、拡げ・綻ぶ……」
「させるか!」
ワイルズの剣など意にも介さないといった様子で、女は詠唱を続ける。
ワイルズは直感的に感じていた。この詠唱を阻止できなければ、それが敗北となる。それを理解していても届かない。
「……白天の城で雪を捉えよ――『蜘蛛姫孤牢』」
女の詠唱と共に、先ほどのユミエルの魔術とは比較にならないほどの糸が顕現する。四方八方から、二人の四肢を絡みとった。
糸が発する冷気によって、部屋全体の温度が急速に低下する。女は白い息を吐きながら、石碑の前に戻っていく。
「そこで大人しくしておいて。用が済んだら出ていくから」
氷で出来た蜘蛛の巣に捕らえられた二人に背を向けたまま、女が言った。
抵抗の力も、意思も、理由も奪われて、ワイルズは脱力していた。命の危険がなさそうなのはなによりだが、まさか一人相手にここまでの敗北を喫することになるだなんて。
本当に、一体何者なんだこの女は。
(こんな感覚は……フリッツさんに負けた時以来だ)
たった一年ほど前のことだが、ワイルズはフリッツの力量に惚れ込んで傭兵団に加わった。あの時の敗北と同等か、それ以上の悔しさを味わっている。
ユミエルもまた敗北の味をかみしめていた。もし、あの女に殺意があれば、まともに抵抗もできずに殺されていただろう。それほどの差があった。まだ短い人生だが、磨き続けてきた魔術もまったく歯が立たなかった。これほど悔しいことはない。
そんな時、無抵抗で吊られていた二人の二人の耳がある声を捉えた。二人が顔を見合わせたから、幻聴の類ではないはずだ。無論、女にも聞こえているだろう。その声はどんどん近づいてくる。
「――ぉぉおおお! どこだあああ!」
怒鳴り散らしながら、フリッツが広間に飛び込んできた。
「フリッツさん!」
ユミエルが体をよじらせながらフリッツに呼びかける。
「お、おお二人とも! って、なんだこれ……」
「そっちの女にやられたんだ! 気をつけてくれ、手練れだぞ!」
フリッツが女の姿を確かめる。体全体を覆うローブ。不気味ないでたちだ。それに対して、女の方は首を傾げていた。
「フリッツ……?」
女にとっても聞き覚えのある名前だったのだろう。意外そうにフリッツの名をつぶやく。
それもそうだ。このヴァイスランドで知らぬ者はいない。龍狩りの英雄の一人、『陽剣』のフリッツ・ローエンである。
「観念しろよ……学者様。いくらあんたが強くても、フリッツさんには勝てねえ」
ワイルズの言葉を聞いても、女は余裕の態度を崩さない。それどころか、愉快そうに笑い声を上げる。
「ふふっ……久しぶりだね、フリッツ。少し太った?」
フードからのぞく唇が三日月のように歪む。知り合いのような口ぶりだが、フリッツの方は眉をひそめながら剣に手を伸ばす。
「誰だか知らないが、うちの部下の借りは返させてもらうぞ」
フリッツが背中の鞘から剣を抜きはなつ。
龍狩りの時にも使われたという。フリッツの代名詞的存在、『ドラゴンベイン』である。幾百もの戦いを経ても、欠けも曇りもしない刃は天下最高の剣として名高い。
「誰だか知らない……だって? それ本気で言ってるの?」
女の声に初めて感情が混ざった。苛立ちと共に、今まで鳴りを潜めていた威圧感が増す。
「顔を隠した奴なんて分かるか。フードをとってから言えよ」
「なるほど……前にもこんなことがあった気がするねえ。あの時は許したけど、今度ばかりはお灸を据えないと……」
女がローブの中に手を入れ、剣を引き抜く。ゆるく湾曲した作りは、刺突よりも斬撃に重きを置いているからだろうか。魔術師であるはずなのにも関わらず、剣を持った姿が不思議と様になっている。
「構えろ、フリッツ・ローエン」
女が駆け出す。姿勢を低く保ちながら這い寄る蛇のように迫り、息もつかせぬ連撃を叩き込む。袈裟斬りからの掌底、回し蹴りからの魔術。剣と魔と体が合わさった、見たこともないような戦い方だった。
「うそだろ……」
ワイルズがボソッと声を漏らす。隣のユミエルも、動揺を隠せないでいた。
「フリッツさんが、押されてる……?」
目の前で繰り広げられている戦いは、常人の域を超えていた。しかし、どちらが優勢かは明らかだ。
フリッツは防戦一方で、女の攻撃を捌くだけで精一杯という様子だった。
「どうした『陽剣』。腕が落ちたんじゃないか?」
「ぐっ……ちょ、待てッ」
「誰が待つか」
女の鋭い蹴りがフリッツの胴に突き刺さる。フリッツの体が浮き、床を転がる。追い討ちをかけるように走る女に向かって、フリッツは手を広げた。
まるで降参するかのように。
「悪かった! 僕が悪かった!」
「…………」
「まさか君がここにいるなんて思いもしなかったから……いや、その……本当にごめんなさい」
「……はぁ」
拝むように謝罪するフリッツを一瞥して、女がため息を吐いた。そしておもむろにフードに手をかけ、その顔を晒す。
切れ長の群青の瞳に、サラサラと流れる黒い髪。怜悧なような、純真無垢なような、独特の雰囲気を持つ女だ。
「今までどこに行ってたんだ――ウィルベル」
フリッツが立ち上がって、体についた土埃をポンポンと払う。
「ちょ、ちょっと待って! ウィルベルって……あの?」
置いてけぼりにされていたユミエルが、拘束されたままフリッツに問う。フリッツは首を縦に振って、二人にローブの女を紹介する。
「彼女はウィルベル・ミストルート。僕の友達で、竜狩りの英雄だよ」
「今はもうただの学者だけどね」
ウィルベルが右手を軽く振るうと、二人を拘束していた糸がプツプツと切れていく。
『月光』のウィルベル・ミストルート。
もちろん知っている名前だ。しかし、フリッツと同じ龍狩りの英雄であるが、フリッツとは違いその正体は謎に包まれている存在だった。
龍狩りの後、彼女は行方をくらましてしまっていたのである。故に民衆の中には名前だけが伝わることになった。
当時フリッツがひどく心配していたのを、ワイルズは間近で見ていたのも記憶している。
そんな彼女が、今目の前にいる。
「それで、本当にどこ行ってたんだ。探したんだぞ」
「ちょっと無色大陸の方にね。探しものというか調べものというか」
「無色大陸? あんなところ何もないだろ?」
「何かあるから行ってきたのよ。まあ探し出すのに一年もかかったんだけど……それで、そっちは何の用?」
「ああ、この遺跡を調べるようにエマさんに頼まれてな。それでここまで来たんだ」
「……大した偶然もあったものね」
ウィルベルは剣を鞘に収めながらため息を吐いた。冷やされた空間に広がった吐息が白く曇った。




