序章♯1『草轍』
ガタンガタンと、荷馬車が激しく揺れる。まともに整備もされていない、獣道といってもいいような道だ。時折、伸びた木の枝が幌にぶつかって、心配になるほどの音を立てた。
お世辞にも乗り心地が良いとは言えないが、今回ばかりは馬車に乗れるだけマシというべきである。
なにせ目指す先は人里から五十キロ近く離れた遺跡。道中、ゆっくりと休息を取れるような場所もなく、脈々と青い森が連なっている。旅慣れた身と言っても、さすがに徒歩で往復するのはごめんだった。
「フリッツさーん。そろそろ休みません? お尻が痛いでーす」
フリッツの対面に座る女の子――ユミエルが尻を押さえながら不満げな声を上げる。いつもはしっかりと掛かられているメガネが傾いていることからしても、本気で疲れているらしい。しかし、
「僕のクッションを奪ったんだから我慢してくれ」
尻の痛さで言うならば、板張りの上に直に座らされているフリッツの方が上だった。フリッツの言葉に、ユミエルは唇を尖らせる。
「女の子の体に傷が付いたらダメでしょー。それに、そんな細かいことを気にしてたら英雄の名が泣きますよ」
「都合のいい時だけ英雄扱いするのやめてくれない……?」
「お二人さーん。文句言いたいのは俺なんだけどー。さっきから変な虫がいっぱい飛んで来てるんだけどー」
御者席のワイルズからも不満の声が飛んでくる。
ええい、こいつら。さっきから文句ばっかり……。
「仕事なんだから我慢しろ!」
フリッツが一喝すると、二人ともぶーぶー言いながらも一応大人しくなった。
「それにしても、こんなド田舎の遺跡に何があるんですかねぇ?」
ユミエルがクッションに座り直しながら言った。
ここはヴァイスランドの西端ともいえる場所、辺境中の辺境だ。この先には一切の国がなく、誰も住んではいない、"無色大陸"と呼ばれている土地だ。ジャガイモすら作れないといわれる不毛の土地は、誰に求められることもなく放置されているのだった。
「だーかーら、それを確かめに来たんだって」
「エマ様からの勅令なんだから、きっと何かがあるんだろうよ」
ワイルズが言った通り、フリッツ達がこんなところに出向いてきているのは他でもないエマに頼まれたからなのである。
およそ一ヶ月ほど前、フリッツはヴァイスランドの中枢『光の階』に召喚された。仰々しい招待状が届いたのは初めてのことだったので、一体何事かと戦々恐々としながら登城したのだった。
そこでエマから言い渡されたのが、今向かっている遺跡の調査なのである。目的を訊いても「行けば分かります」としか言われず、仕方なくここまで来たのだ。
「おっ、着いたっぽいっすよ!」
ワイルズが馬を止める。幌馬車から降りて辺りを見渡すと、たしかに森に埋もれつつある遺跡があった。
いつかエルフの棲まう『断絶の森』で踏み込んだ時よりも、かなり老朽化が進んでいた。むしろおかしいのはアチラの方で、遺跡といえばこういうものなのかもしれないが。
「うへ……ボロい。これ中入れるんですか?」
「さあな。ほら、これ持って」
嫌そうな顔をしているユミエルに、内部調査用の荷物類を渡す。ロープやランタン、食糧などだ。その重さに、ユミエルは心底嫌そうな顔をしてみせた。
うんざりなのはフリッツも同じだが、調べないことには帰れない。何かしらの成果を上げて、こんな所とはとっととおさらばしたいところだ。
「よーし、じゃあ入っていくぞ。はぐれるなよ」
「うーっす」「はーい」
二人から気の抜けた返事が返ってくる。
本当にこいつらは大丈夫なのだろうか。これでも『夕霧』の中での精鋭なのだが、今回は人選を間違えたかもしれない。
ため息を吐きつつ、ランタンを掲げて遺跡の内部に踏み込む。暗い道がずっと続いていて、ランタン程度の光では先まで見通すことはできない。
どこからか染み込んできた水が通路に水たまりをつくり、遺跡全体を侵食していた。ここがどれほど古い場所かは知らないが、少なくとも数百年は放置されているのだろう。
崩落に注意しながら、一歩ずつ進んでいく。途中何度か分かれ道があったが、すべて左を選んだ。目的地に直行できないのは仕方ないとしても、迷って帰れないという事態だけは避けたい。
しばらく進み続けると、少しずつ遺跡の構造が分かってきた。どやら地下深く広がっているのではなく、薄く広範囲に広がっているようだ。だとすれば、目的地はきっと遺跡の最奥だろう。
入り口から離れるにつれて、侵食してきている植物の種類も変わっていく。葉をつけた草は無くなり、かわりに苔やキノコが増えてきた。
このあたりなら、ちょっとしたことで崩落したりはしないだろう。一度休憩を取ろうと提案するために、後ろを付いて来ている二人に振り向く。
「ここで少し休も……」
しかし、振り返った先には辿ってきた道があるばかりで、あの二人の姿はなかった。フリッツは呆然と立ち尽くしながら、この仕事にあの二人を連れてきたことを深く後悔するのだった。
(あいつら……っ! 絶対許さない!)
◆◆◆
「あれ? フリッツさんがいないよ?」
細かく別れ、迷路のように続く道でユミエルが言った。その言葉を聞いて、ワイルズが振り返るが、たしかにフリッツの姿はない。
「あの人すぐ迷子になるからなぁ……今頃は俺たちがはぐれたとか考えてるに違いないぜ」
ワイルズが呆れたように肩をすくめた。
ここに来るまで、至る所で別れ道があった。フリッツのことだ、危険な状況に陥ったりはしないだろうが、今から合流するのは難しいだろう。
「とにかく一度戻るか?」
ワイルズの提案に、ユミエルが首を振る。そして通路の先を指差して言った。
「あそこ、何か光ってない?」
「ん……?」
長い通路の先、切り取られたような四角からは確かに光が漏れていた。ワイルズ達が持つランタンのような光ではなく、もっと強烈で、白っぽい光だ。まさかフリッツではないだろうが、あそこに何かあるのは間違いない。
すでに手遅れかもしれないが、二人はできるだけ足音を殺して進んでいく。近づくに連れて、光が鮮明になっていく。どうやら、この先は大きな広間に繋がっているようだ。そしてそこに、この光源があるらしい。
「ユミエル、気をつけろよ」
「うん」
もし誰かがいたとしても、こんな遺跡にいる時点で只者ではない。戦闘になる可能性もある。
ユミエルが背中から魔術杖を手に取り、ワイルズは腰に下げた剣の柄に手を伸ばした。
踏み込んだ広間は、まさに広間というべき広大な空間だった。しかし開放感はない。天を覆う岩盤と、広間中央に鎮座する巨大な石碑のせいだ。
天蓋近くをいくつもの光の玉が浮遊し、真昼の太陽のような光を放っていた。そしてその下、石碑の前に、ひとりの人間が背を向けて立っていた。
足首辺りまで覆うローブに、フードを目深に被っているため容貌の詳細は分からない。しかし、見たところ背格好は平凡だ。それにも関わらず、その人物は今まで感じたこともないような威圧感を発していた。
「あんた誰だ?」
ワイルズがローブ姿の人物に声を張り上げる。その人物は、声をかけられるとゆっくりと振り返った。
「…………」
ワイルズとユミエルの姿を認めても、何も言葉を発しない。しかし、フードから見えた口元は、愉快そうに歪んでいるように見えた。
「答えろ。悪いがこっちも余裕はねえぞ」
ワイルズの背に隠れる位置のユミエルが詠唱の準備を整える。ワイルズも柄にかけた手に力を込め、いつでも抜刀できる状態をつくった。
「……学者」
ローブの人物がボソッと答えた。その声は意外にも女性のもので、この場所のせいかよく響いた。
「学者様が護衛も連れずにこんなところに? もっとマシな嘘を吐けよ」
「これ以上は、冗談じゃ済まないわよ!」
ユミエルが凄むが、学者の方はまるで気にせず、石碑の方は視線を移す。そして言い放った。
「邪魔よ」
学者と名乗った人物の素性は不明だが、ひとりでここにいる時点でロクな人間ではないだろう。いつまでも不審者に踊らされているわけにもいかない。
悪いが無力化させてもらおう。
「ユミエル! とりあえずコイツを捕縛するぞ!」
「了解!」
ワイルズは剣を抜きはなって、学者に駆けた。必要以上に傷付けるつもりはない。お互いの安全のためにはこうするのが一番なのだ。
学者は振り返りもせず、肩を落として盛大にため息を吐いた。




