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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
ローレライの黄金
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♯5『ローレライの黄金』

 ソフィアは庭園の中を進んでいた。ウィルベルと別れた後、新たな追っ手が迫ることもなく、狼の背に掴まってここまで来た。灰色の狼はソフィアを降ろし、その後はゆったりとした足取りで背後について来ている。


 色とりどり、多種多様な花々が咲き乱れる庭園の中心。清らかな水を湧かせる溜め池の側までやって来た。その池に浮くように造られた東屋が、ソフィアが母から歌を聴かされた場所である。


 手すりに手を掛け、池を見やる。その水面には波紋ひとつなく、静寂を体現していた。


 ソフィアは息を吸い込む。そして、母との記憶を手繰り寄せる。水面に映った月を掴むかのような、手応えの無さだった。本当にこれで良いのかと不安になる。


 だが、今はウィルベルを信じるしかない。この国の未来が、今この瞬間にかかっているのだ。


 ソフィアは胸に手を当て、


「――流れよ 流れよ 願いの水盤よ」


 歌い出しても、薄っすらと波紋が広がるだけで変化はない。


「――目醒めよ 目醒めよ 深き微睡よ」


 波紋がずっと伸びてゆく。伸びて、伸びて、


「――ローレライの巫女 約定を歌い あらゆる災厄を退けん」


 波紋が池全体に行き渡った途端、うっすらと池が輝き始める。いや、輝いているのは水だった。輝きはどんどん勢いを増し、池に通じる水路まで黄金色に輝いている。


 その輝きの中から、何かが浮き上がる。全身から水を滴らせるそれは、濡れた甲冑に身を包んだ騎士だった。しかし、アーメットの隙間はがらんどうで、中には何も入っていない。にもかかわらず、その甲冑はひとりでに立ち上がり、ソフィアの前まで進み出て来た。


 思わず後ずさりするソフィアを、狼が支える。安心しろ、というふうに喉を鳴らす。


 濡れた騎士は、ソフィアの前まで来ると、甲冑を鳴らして跪いた。そして命令を待つかのように静止する。


「あ……あの、えっと……」


 おっかなびっくり声をかけると、頭を上げてソフィアを見た。空っぽなのにも関わらず、空虚な感じはしない。熱意と、誇りを感じさせる佇まいだった。


「この国を守ってください、おねがいします」


 ソフィアが告げると、騎士は立ち上がる。そして腰の剣を抜き、空へ掲げた。甲冑が無骨な音を立てる。

 その音は、あたり一面からも聞こえてきた。ソフィアがハッとして見回すと、いつのまにか何人もの騎士が池から上がってきていた。どの騎士も、水を滴らせながら剣を掲げている。


 そして彼らはソフィアに背を向けると、各々王宮の中はと去っていった。ソフィアは脱力感からぺたんと座り込み、狼がその頬を温かい舌で舐めた。




「な、何事だ!」


 オノワールが叫んだ。


 謁見の間では、突如現れた重甲冑の騎士が、シラの騎士と戦っていた。シラの騎士が隙をついて剣を突き立てても、まったく効いていない。肉体なき騎士が、シラの騎士を次々と斬りふせる。


「外を見てみると良い」


 ウィルベルが窓を指差す。オノワールは窓に駆け寄り、そこから城下を見渡した。


「なんだ……これは」


 城下に流れる水路のすべてが、黄金色に輝いていた。城下にも騎士が現れているようで、所々でシラの騎士と戦闘になっているのが見て取れる。


「これがローレライの"黄金"。この国の始祖が、湖に宿る神と交わした約定だよ。君たちの手には余るものだ」


「そんな……」


 眼下のシラの騎士達は恐慌状態に陥り、もはや戦える状態ではない。一方、濡れた騎士達は数を増やすばかりで、倒すこともできない。


 このままでは、本隊が到着する前に全滅してしまう。"黄金"を手に入れられないばかりか、侵攻に失敗など、シラの国が滅んでしまう。なんとか、撤退だけでも。


「クソッ……撤退だ! 全員、本隊に合流せよ!」


 まだ動ける騎士達が、オノワールの指示に従って逃げ始める。


「月光の魔女……この借りはいずれ返すぞ!」


 オノワールも、騎士達に混じり撤退していく。ウィルベルは特に彼らを追おうとはせず、捕虜の縛を解いていた。


 追撃は濡れた騎士達で十分だろうし、いまさら本隊とやらが攻めてきたところでこの国は陥せまい。それに、今はソフィアが心配だ。無事ではあるだろうが、念のため確かめておきたい。


 数人の捕虜に他の捕虜を任せ、ウィルベルは急ぎ足で謁見の間を出た。そして、ソフィアがいるであろう庭園に向かう。


 途中、ガシャガシャと音を立てる濡れた騎士とすれ違ったが、彼らはウィルベルには戦意を示さなかった。おそらくゴーレムの一種のはずだが、ローレライの民以外でも敵と味方を認識しているとは大したものだ。


 庭園を駆け足で進み、池まで来た。東屋で狼の毛が揺れている。ウィルベルがそこを覗くと、狼の腹に頭を預けて、ソフィアが眠っていた。安らかな寝息を立てているので、狼の方も気を遣って動けなかったようだ。その光景を見て、ウィルベルはくすりと笑った。


 彼女は今、母親の夢でも見ているのだろうか。


 ウィルベルはソフィアの横に腰を下ろして、狼に頭を預けた。狼の方も諦めたのか、頭を床につけて休憩の姿勢を取っている。


 よくやったよ、ソフィア……とウィルベルが呟いた。




 ◆◆◆




 数時間後、オノワールはローレライ外れの丘を登っていた。結局脱出できたのは、元の数の三割程度の人数だけであった。しかし、まだ本隊がある。まずはそれに合流して、反撃の策を練るのだ。


 連絡兵によれば、本体はこの丘の向こうまで進軍している。丘に登れば、目に入るだろう。


 だが、丘を登りきったオノワールの目に飛び込んで来たのは絶望的な光景だった。眼前に広がる平野で、シラの総力といってもいい大軍が壊滅していた。そして、その光景を睥睨するように、男が剣を突き立てながら立っていた。


 男が身に纏う、獅子のタテガミのようなマントが風に揺られている。男の周りには数十人が集まっていて、何事か話しているようだった。


 まさかこいつらが……いやそんなはずはない。あれだけの数を、たったこれだけの数で相手にできるわけが無い。


 丘の上で立ち尽くすオノワール達に、輪の中心にいた男が気づいた。剣を肩に担いで、大股で近づいてくる。


「第一王子のオノワールだな。今回のシラの暴挙は余りにも目に余る。友国ローレライを守るため、こちらの部隊は足止めさせてもらった」


「何者だ……貴様らは」


 オノワールはもはや声を荒げる気力すらない。男の前で脱力したように立ち尽くすのみだ。


「……俺たちは『夕霧』。俺の名なら」


 その名前を聞かされて、オノワールは膝から崩れ落ちた。後ろに控えていた騎士達も、同じように崩れる。


『夕霧』――近頃頭角を現してきているヴァイスランドの傭兵団であり、その指導者は、


「フリッツ・ローエンだ」


 ウィルベル・ミストルートと並び称される、龍狩りの英雄だ。

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