序章♯7『黄昏に立つ』
「ウィルベル、今日はここまでにしよう」
手綱を引いて、後ろを振り返りながら言う。ウィルベルも同じく減速して、馬を歩かせる。
学院を出発してから、もう半日ほど経った。途中休憩を挟んだが、ウィルベルもかなり疲れているだろう。
すでに空は茜が差していて、鳥達も巣に帰ろうとしている頃だ。野営の準備も考えると、今日はここで休んで、明日に備えるべきである。
しばらく進むと、丁度良い空き地を見つけたので、馬を木にをつないだ。
「今日はここで休もうか」
馬から降りたウィルベルが、ぐぐーっと伸びをしている。
「僕は馬から荷を降ろしておくから、ウィルベルは燃えそうな枝を拾って来てくれ」
「分かった」
そう言って、ウィルベルが森の中へ入っていく。
馬には当面の食料や、毛布類などが積んである。その辺の草を食ませながら荷物を降ろしていく。ご苦労様、と撫でてやると鼻を鳴らして顔を寄せて来る。二頭とも大人しい馬でよかった。
最後に馬から鞍を外してやっていると、両手に薪を抱えたウィルベルが戻って来た。空き地の中央に薪をバサバサっと置いて、馬を撫でに近づいて来る。そこを見計らって、声をかける。
「ウィルベル、ちょっと提案なんだけどさ」
「うん?」
「お互いの実力を把握しておくためにも、一度手合わせしておかないか?」
いざという時に、どの程度自分で戦えるのかを把握しておくのは重要だ。守る守られるの関係だけではなく、パートナーとしてお互いの力を活かさなければならない。その為にも、手合わせをしてお互いの実力を知っておくべきだと考えたいたのだ。
「……うん、やろう」
ウィルベルは少し考えてから、了承してスペースのある方へ向かう。ウィルベルが拾ってきた薪の中から、手頃なものを二つ手に取り、片方をウィルベルに投げる。
受け取ったウィルベルが、感触を確かめるように薪を振る。
「ルールは一本先取。寸止めで、手加減は無し」
こくり、と頷いてウィルベルが構えをとる。半身に立ち、左手を前に、棒を握った右手は後方に垂らしている。分類としては下段だろうが、見たことのない構えだ。
夕日を背景に、風を受けながら立つ姿はゾッとするほど神秘的で、見惚れてしまいそうだった。
ハッと気を取り直し、腰を落として正中線に構える。棒を握り直して、来い、と目で伝える。
ウィルベルが地を蹴り、風のように走りだす。スピードに乗ったまま、弓を引きしぼるように右手を後方に引く。
胴を狙った突きを、棒の腹を使って受け流す。反撃を試みるが、ウィルベルが突きの勢いを殺さず駆け抜けたため、こちらの範囲の外に逃げられてしまった。
こちらに向き直ったウィルベルが、反転の勢いのままに袈裟斬り。それを弾き、今度はこちらから逆袈裟を狙うが、切り返しで弾かれる。運動の勢いを殺さない、無駄のない流れるような動きだ。
右から左へ、左から右へ。上下も同じく、息もつかせぬ攻防が続く。ウィルベルの振りは、寸止めをする気があるのか疑うほど速い。正直、ここまでの剣の腕だとは思わなかった。
だが、まだ青い。実戦経験と体格差分、フリッツの方に分がある。
ウィルベルの斬り下ろしをいなす。ウィルベルは体勢を崩しながらも棒を跳ね上げさせようとする。
「……ッ!」
その棒が加速する寸前に、横から払いウィルベルの手から棒を落とさせる。
ウィルベルはすぐさま距離を離そうとするが、今度は逃さない。追い縋り、ウィルベルの喉元に棒を突きつける。
「……僕の勝ち、だね」
もしこれで負けてしまっていたら、護衛の意味すらなくなってしまうところだった。魔術士であるウィルベルが剣術でここまでやるというのは完全に予想外だったが、ひとまず安心した。
「そうかな……?」
「え?」
ウィルベルの顔を見るに、負け惜しみの類では無さそうだ。ふと腹のあたりに違和感を感じて目をやると、ウィルベルの掌が押し当てられている。
「……魔法使っちゃダメなんて、言ってないでしょ」
いつでも使えるぞ、というようにウィルベルが掌をぐいぐいと押し付けてくる。
「ははっ……たしかに、これじゃ引き分けだな」
笑いながら棒を降ろすと、ウィルベルの方も手を退ける。ウィルベルから吹き飛ばした棒を拾って、薪を集めたところに放り投げておく。
「これじゃ護衛失格かな……」
小声でぼやくと、ウィルベルが耳聡く応える。
「そんなことない……だって、さっき手抜いてたでしょ」
「え、そんなつもりはないけど……?」
これは本心である。手加減無しと言ったのは自分だし、まして試合とはいえ手加減するのは失礼だ。
「ふふ、だろうね。……でも、分かるよ。相手が本気かどうかくらいは」
ウィルベルがそこまで言うなら、無意識のうちに手加減してしまっていたのかもしれない。
たしかに、相手は女の子だし、どれほどの腕かも分からなかったから、最初だけは手を抜いていたのかもしれないが、途中からは間違いなく本気になっていたと思うんだけど。
空を見上げると、夕暮れも終わりかけ、群青色に染まっている。早く火を熾さないと真っ暗になってしまう。急ぎ足で、夜営の準備を始めるのだった。
◆◆◆
パチパチと音を立てて燃える木を見ながら、膝を丸める。
火起こしというのは、存外大変なものなのである。まず火打石で火種を作り、火種を絶やさないようにしながら薪に燃え移らせなければいけない。慎重かつ素早くことを済ませなければならない、野営の山場とも言えるイベントなのである。
そんな行程を踏む算段だったが、ウィルベルの魔法により数秒で片付いてしまったのだった。
火打石と枯草相手に悪戦苦闘しているフリッツを見かねたウィルベルが、呪文ひとつで解決してしまったのである。
いやそれ自体はありがたいことなのだけれども、手合わせで引き分け、火すら満足に熾せないとなると、いよいよ報酬分の仕事が出来そうになくなってきた。
そう少し落ち込んでいる最中なのだった。
ウィルベルは近くの川まで身を清めに行った。たしかに汗をかくようなことはしたが、この時季の川はとんでもなく冷えていると思うのだが、やはり乙女であるからなのか、フリッツの忠告を無視して行ってしまった。
一応何かあった際には大声を出すようにと言ってあるが、ウィルベルの性格からすると、声を出す前に手を出しそうな気もする。
うじうじするのは一旦やめて、明日以降の日程を考えることにする。
朝早くから出発し、昼過ぎにカルテドルフへ到着し、宿をとって次の日に備える。そこから先は、街道を進み、ブラオエという街を目指すことになる。道中には宿場もあるし、野宿は少なく済むだろう。
自分が役に立てるのは道案内くらいか、とひとりごちる。
ため息をついて空を見上げる、見上げた星空は、北方特有の冴え冴えとしたもので、滅入った気を少し紛らわせてくれたのだった。