第四章♯34『始まりの終わり、その先に始まるもの』
叙名式の後、舞踏会は大変盛り上がっていた。
渦巻く歓声と音楽。フリッツとウィルベルはその中心から少し離れ、くるくると舞う人々を眺めていた。
「ウィルベル、それ酒だぞ。飲むならこっち」
「……どうも」
ウィルベルがボーイからおもむろに受け取ったグラスに口をつけようとするので、フリッツが止める。そして、水の入ったグラスを渡した。
以前、酔っ払ったウィルベルにひどい目に遭わされたから、厳重に監視をしているのだ。
「フリッツ、それ飾りだよ。食べるのならこっち」
フリッツが大皿から適当に摘んで口に放り込もうとした時、ウィルベルから止められた。そして、小皿に取り分けられたナッツを渡される。
「……どうも」
ぽりぽりとナッツを噛んで、ワインで流し込む。グラスをテーブルに置いて、ちびちびと水を飲むウィルベルに声をかける。
「ちょっと踊らないか?」
せっかくこんな場にいるのだ。端っこで見ているだけじゃ損な気がする。そう思って誘ったのだが、案の定ウィルベルは嫌そうな顔をした。
「え……いいよ、踊り方知らないし」
「大丈夫大丈夫。僕も分からないから」
「それ全然大丈夫じゃないよ。メチャクチャになるよ」
「いいから。お手を拝借、お姫様」
ヴィクターを見習って、気障っぽくウィルベルの手をとってみた。自分で言うのもなんだが、全く様になっていないと思う。
「あっ、ちょっと」
ウィルベルの制止も聞かず、手を引いて舞踏スペースに入る。ワルツと共にくるくると流れる人の波に乗って、ウィルベルと回りはじめる。
「ほら、なんとなくで良いから、僕の腕掴んで」
ウィルベルが見よう見まねでフリッツの腕を掴み、フリッツもウィルベルの腰に手を回す。ステップも何もあったものではないが、とりあえず雰囲気は出来ている。
「ちょっと、変なとこ触らないでくれる?」
向かい合うウィルベルが、キレ気味で睨みつけてくる。別にやましい気持ちがあって体に触れているわけではないのだが、こうもいじられると嫌味の一つでも言ってやりたい気分だ。
「なにこれ硬っ……背筋?」
「コ ル セ ッ ト !」
フリッツはウィルベルに怒られながら、くるくると回り続ける。
しばらくして、疲れ果てた二人はテラスで涼んでいた。
舞踏会の喧騒から離れたテラスを、青白い月光がささやかに照らし出す。会場の中とは違い、ここに集まる人は皆こそこそと囁くように会話をしていた。幻想的なこの雰囲気を壊してしまわないためだろう。フリッツとウィルベルもその例に漏れず、囁き声で会話をする。
「ふぅ〜。結構疲れるな、ダンスって」
「腰と肩と足が痛いぃ……」
「最後の方はちゃんと出来てたって、多分。次の舞踏会はもう平気だな、多分」
「多分が多いよ〜」
手すりに肘をついて月を眺めるウィルベルを見ていると、どうにも落ち着かない気分になってきた。この気持ちがなんなのか、フリッツは以前にも経験したことがある。
旅の終わりが近づくと去来するこの気持ち、以前は後ろ向きに溶かしたこの思いを、今は前向きに溶かすことができる。
「なあ、ウィルベル……このあとどうするんだ?」
「帰って寝る」
うらめしそうに即答したウィルベルに思わず苦笑する。
「そういうことじゃなくてさ。もう旅は終わっただろ? だから、ウィルベルはこれからどうするのかなって」
フリッツの質問の意図を理解したのか、ウィルベルが少し眉を寄せる。体を反転させて手すりにもたれた彼女は、そのままグッと反り返って、月に向かって細く息を吐いた。
「……とりあえず、一度学院に戻る。そこから先は分からないかな。また旅に出るか、残って研究か。フリッツはどうするの?」
ウィルベルが横目でフリッツを見た。
無論、ウィルベルに聞いておいてフリッツの方が何も考えていないということはない。
「僕は……傭兵団を作ろうかと思ってるんだ」
「へぇ、なんか意外」
ウィルベルが目を丸くする。
それも無理もない、フリッツだって自分らしくないと感じているのだから。人の前に立ったり、誰かに命令したりするのは苦手だ。
「色々思うところがあってさ。最初は小規模でも、信頼できる人を集めてやってみようと思う」
「……龍狩りの英雄が団長なら、すぐにでも大きくなりそうだねぇ」
ウィルベルの言う通り、フリッツの名はいまや三英雄と並ぶほどに知れ渡っている。その英雄が傭兵団を組織するとなれば、我こそはと集まる人間もおおいだろう。
「あー、うん。それでさ、ウィルベルに頼みがあるんだ」
「言っておくけど、傭兵団になんて入らないからね」
ジト目で釘をさすように言われた。そんなウィルベルの反応も、フリッツの予想通りだ。
フリッツとしても、ウィルベルをまた戦場に引き出したいとは思わない。彼女はもう十分戦ったし、もともと戦わなくても生きていける人種だ。その点で、フリッツとは違う。
「分かってるって。ただ、名前をつけてほしいんだ。傭兵団の」
「名前? 私が?」
ウィルベルがまたしても目を丸くした。フリッツの藪から棒な頼みに困惑した様子だ。
「適当で良いからさ、何かない?」
うーん、とおとがいに手を当てる。ウィルベルが考え事をするときの、いつもの癖だ。しばらく唸ったあと、ぼそっと一言。
「……"夕霧"。名前は"夕霧"が良いな」
「"夕霧"……か。由来は?」
「教えなーい」
悪戯っぽく笑うウィルベルが、月に映える。
しかし、今まで色々なウィルベルの姿を見てきたフリッツとしては、彼女には夕暮れが一番似合うと思う。月の光も良いけど。
この姿も見納めかと思うと、抑えようもない愁情のようなものを感じた。
彼女との旅も、もう終わり。これからは別の道を進んでいくのだ。数えてみればたかだか数ヶ月。しかしこれほど濃く、そして生を実感した時間はなかっただろう。
「ウィルベル、今までありがとう」
「……うん、こちらこそ」
「――これ、受け取ってくれ」
フリッツが懐からあるものを取り出し、それをウィルベルの手のひらの上に落とす。受け取ったウィルベルは、「わぁ」と小さく声を漏らした。
「何があろうと、僕は"君の"騎士だ。いつでも、どこでも、僕は君のために剣を振るうよ」
フリッツが渡したものは緑玉髄のピアスだ。飴玉のような緑は、ウィルベルの肌によく馴染むはずだ。特別な効果は何もないただの石ころだが、お守りにはなるだろう。
「あの……実は私も」
そう言ってウィルベルも何か取り出し、フリッツに手渡す。それを見ると、瑠璃が飾られたペンダントだった。夜空のような紋様はウィルベルの瞳とよく似ている。
「それ付けてたら多少は長生きできるんじゃない?」
この後に及んで憎まれ口を叩くウィルベルに、フリッツの頬が緩む。
「――それじゃあ、ね。フリッツ。縁があったらまた逢えるかも」
ウィルベルが手すりから体を離し、フリッツの腕を手の甲で叩いた。そのまま、舞踏会の人混みの中に消えていく。小さな背中はすぐに人並みに飲まれて見えなくなった。フリッツはその背中を最後まで見送って、手の中のペンダントの感触を確かめる。
縁があったら、か。
ペンダントに飾られた瑠璃を月にかざす。様々な色を含む石が、月光に照らされてキラキラと光った。
自分でも不思議なことに、ウィルベルとの縁がこれで切れるとは到底思えないでいる。
しかし、今夜でひとつの物語が終わったことは確かだ。だが物語が終わった後には、次の物語が始まるというのもまた――確かなのだ。
第一部『邪龍戦争』完
『あとがき』があります。続編についてはそちらをご覧ください。




