第四章♯31『廃教会に降る光』
右前脚を失った邪龍が絶叫する。
フリッツの『陽剣』は焔すら吐かず、邪龍の体を灼き斬った。傷口はひどく焼かれ、出血もない。
自らの技に、フリッツは満足感を感じていた。
戦いに溺れているのではない。邪龍に致命傷を与えるような一撃を放てるようになった自分を誇りたい気分なのだった。
これまでのフリッツといえば、自分の手で敵を倒すようなこともなく、ただウィルベルのために時間稼ぎをするしかない場面も多くあった。
それを歯がゆく感じていたのだ。遂に、胸を張ってウィルベルの隣に並ぶことができる。
ウィルベルもまた、フリッツの大技に驚いていた。しかし、手は止めない。痛みに悶える邪龍に追い打ちをかける。フリッツが作った隙に編み上げた魔術。ギルバートからの教えを受け、さらに改良を重ねた自己流の魔術。
「『天雷霆』!!」
左腕のガントレットが、ウィルベルの魔力を何倍にも増幅する。『星辰の探求者』の効果によって、極限まで練られた雷が三叉槍の形を創る。火花を散らすそれを握り、もがく邪龍めがけて投擲した。
青白い雷光の槍は、以前の『雷霆』とは違い、対象を貫通はしない。穂先が邪龍に突き刺さるだけだ。しかし、この魔術の本分は槍ではない。槍は準備に過ぎず、その正体は――。
ズガァ!!
と、天より降った雷が邪龍の体を穿つ。もう一度、そしてもう一度。合計三発の落雷が邪龍を穿った。
落雷の衝撃に地面も抉れ、土煙が舞い上がる。それをウィルベルが風の魔術で吹き払うと、落雷の中心には細い煙をたなびかせる邪龍の死体があった。死体とはいっても、完全に死んだわけではない。またすぐにでも動きだすだろう。
そのウィルベルの予想は正しく、邪龍はボロボロの体で起き上がった。フリッツの剣、そしてウィルベルの雷。前脚を失い、翼は穴だらけだになった。しかし、眼だけは爛々と光っている。
邪龍は天を仰ぐと、折れた翼を広げる。また逃げるつもりだ。
正直に言って、もう邪龍に負ける気はしない。百回だろうが、千回だろうが、何度戦っても同じだ。
だから、ここからの戦いは勝利のためのものではない。この哀れな存在を、憎しみの螺旋から解放してやるための戦いだ。
邪龍が必死に翼をはためかせ、空に舞い上がる。
「フリッツ。後から追いかけてきて」
ウィルベルは、風圧に耐えているフリッツに声をかける。
彼が逃げる邪龍に何もしなかったのは、最期はウィルベルにしかできないと理解しているからだ。ちゃんとまかせてくれた彼には感謝しかない。
「待て! どうするつもりだ!」
フリッツの制止も無視して、ウィルベルは龍の体を纏う。すぐに花紺青の翼を広げ、邪龍を追って羽ばたいた。最期の最後は、ウィルベルひとりだけで終わらせる。地上に置き去りにしたフリッツに心の中で謝りながら、邪龍を追う。
邪龍はすでに瀕死で、まとまに飛ぶことすらできていない。追いつくのは容易だった。ふらふらと飛ぶ邪龍の頭上から急襲して、首に噛み付く。悶える邪龍を押さえつけながら、地面に落下していく。風を切り、隕石のように。
そしてそのまま、央都からはかなり離れた廃教会のような場所に墜落し、屋根をぶち破った。瓦礫と共に、邪龍を床に叩きつけ、全身で抑え込む。
建物の中でも、邪龍はジタバタと暴れた。
龍と龍の戦い。体躯はむこうのほうが大きいが、弱り切った邪龍はあまりに非力だった。さらけ出された喉笛を喰いちぎり、再び邪龍を殺す。ここまでの傷であれば、再生するのに多少は時間が掛かるだろう。
それを確認したウィルベルは龍の体を解き、廃協会の床に降り立った。
ここは礼拝所だったのだろうか、長椅子や祭壇のようなものがある。しかし、もう長い間放置されているのであろう。破った屋根から漏れる光が、舞い上がった埃に反射していた。キラキラと舞う粒子を手で払い、ぐったりした邪龍の頭に近づく。
そして、その角にそっと手を触れた。
初めて触れた、自分の肉親だ。
「……ねえ、お父さん。お母さん」
腰から曲剣を抜き、その切っ先を邪龍の眉間に当てる。
ハーブル先生から、龍が龍を殺すときには相手の魂を奪うのだと聞いた。この剣を突き刺して、そこから邪龍の魂、つまり莫大な魔素を取り込めば、それで終わりだ。
「たくさんの人を死なせてまで、やらないといけないことって何なのかな……」
邪龍がウィルベルに答えるように、ヒューヒューと喉を鳴らした。この状態の父に言葉が伝わっているとは思えないが、意思疎通ができたようで嬉しくなった。
「私には分からないけどね。信じるよ……お父さんとお母さんを信じて、生きていくよ」
剣の柄を両手で握る。覚悟はとうに決めたはずなのに、僅かに手が震えた。しかし、すぐに震えを止める。自分の後ろに誰が立っていて、誰が帰りを待っているのか。死んだ父よりも、大切に思う今があるのだ。
「――さようなら、おやすみなさい」
一息に、突き立てた。即座に、剣から邪龍の魂が流れ込んでくるのを感じた。しかし、苦しさなどは感じない。むしろ心地が良い。これが両親の温もりだろうか。
聞いたこともないはずなのに、両親の声で語りかけられている――幻聴か何か、それでも構わない。
見たこともないはずなのに、二人が目の前にいる――幻覚だろうが何だろうが、構うものか。
『――すまなかった、ウィルベル。僕の愚かさが、君を苦しませてしまった』
「良いんだよ、お父さん」
父は意志の強そうなそうな男だった。ウィルベルと目元が似ているかもしれない。
『――ごめんなさい、ウィルベル。私の弱さが、貴女を独りにしてしまった』
「良いんだって、お母さん」
母は優しそうな女だった。フリッツが褒めてくれるこの髪は、どうやら母譲りだったらしい。
『君に伝えなくてはならないことがある。僕たちが何を思って、禁忌を犯したかだ』
『使命を、託させて欲しいの』
父と母が、ウィルベルの前に並び立って言う。
「……うん」
『遠くない未来に、破滅がやって来る。それを止められるのは、理の超越者だけ。僕たちはそれを目指していたんだ』
「理の……超越者?」
『ウィルベル。貴女にはその資格があるわ……どうか、皆を救って』
「…………」
ウィルベルは沈黙する。
ここまで来て、更に使命か。一体いつになれば、解放されるのだ。
ウィルベルは誰かを助けたくて旅を続けて来たわけではない。ウィルベルにとってのレゾンデートルの鍵は『未知への探求心』だった。知りたい、という一心でここまで来たのだ。両親の最期と自信の正体、それを知った今、これ以上望むものはない。
何をするかも分からない使命などまっぴらだ。
『……すまない、ウィルベル。どうしても伝えなくてはならなかったんだ』
「やっと、やっと会えたのに。そんな話ばっかり……?」
それ以上に、ウィルベルは悲しかった。十五年の歳月を超えて、ついに会えた両親の口から出た言葉がこれだ。両親がウィルベルを守ったのは、使命を果たさせるためだったのか。そんなものよりも聞きたい言葉があるのに。
首を振るウィルベルの瞳から涙が溢れる。それは頬を伝い、床に落ちた。そんなウィルベルをリリベルが抱きしめる。そしてその二人を、ウィリアムが抱きしめた。
『ごめんね。寂しい思いをさせて』
『僕たちは君を愛している。これまでも、これからも。ずっと側で見守っているよ』
二人の温もりを感じて、ウィルベルからも手を伸ばす。
やっと聞けた。血の繋がった肉親からの、愛の言葉だ。これを聞くために生きてきたのだ。これで、これからも生きていける。
「――私も、愛してる」




