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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第四章 ヴァイスランドの英雄達
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第四章♯28『存在理由』

 レゾンデートルの修得に向けた修行を始めて三日目。フリッツは進展を感じられないでいた。


 毎日、朝から日没まで、誰もいない空間で精神を研ぎ澄ませる。しかし、何かしらの変化が起こる気配もなく、歯がゆい思いを募らせているのだった。


 焦りは思考を曇らせる。思考が曇れば、レゾンデートルの修得が遠のき、また焦る。悪循環に陥っている自覚はあっても、そこから脱することができない。


 そうしてこの日も、悶々とした思いで瞼を閉じているのだった。


 その静寂が、硬い足音で破られる。足音の主はアルヴィンだった。手には二振りの木剣を持っている。

 いつもはフリッツに終了時刻を伝えに来るだけなのだが、まだ昼過ぎだ。こんな時間にやってくるとは珍しい。


「フリッツ君、良い知らせがある」


「良い知らせ?」


「ああ、君にとっては少し複雑かもしれないが……ウィルベル君がレゾンデートルの発現に成功したよ。先ほど確認してきた」


「そう……ですか」


 フリッツは少し言い淀む。


 やはりウィルベルは凄い。フリッツが停滞している間も、確実に前に進み続けている。これが覚悟の違いだろうか。壮絶な出生の秘密を知り、戦うことを決めた人間との差というやつか。


 喜びの一方で、焦燥を感じずにはいられないフリッツに気を使うようにアルヴィンが言う。


「君を焦らせようとしているわけではないんだが、伝えないのも悪いと思ってね」


「いえ、ありがとうございます」


 ウィルベルは先で待っている。なんとかその背中に追いつかなければ。ロンドフの夜に誓ったことを、ただの言葉にしないためにもだ。


「ところで、息抜きでもどうだ」


 そう言って、アルヴィンが木剣を投げてよこす。試合をしようということだろう。

 ここずっと座りっぱなしで、ろくに運動もできていない。体も鈍ってきたところだ。それに、アルヴィンと手合わせできる機会なんて滅多にあるものではない。こちらからお願いしたいくらいだ。


 少し体を慣らしてから、アルヴィンと向き合う。

 アルヴィンは、最前線で戦う騎士としては引退も考えられる年齢のはずだが、老いの気配すら感じられない。屈強に鍛え上げた肉体は、それ自体が武器ともいえる。


 上段に構えたアルヴィンに対し、フリッツは正中に構える。


 ダンッ! と踏み込み、右から木剣を振り下ろす。体重を乗せ、全身のひねりも加えた一撃を、軽々と受けられる。続いてアルヴィンの反撃、横薙ぎの一閃を木剣の腹に手を当てて両手で受ける。身体が浮きそうな重撃をなんとか受け止め、再び斬り返す。


 二人しかいない修練場には、木剣の試合にも関わらず、金属剣を交わしたような高い音が響いた。


 剣戟の応酬の中で、フリッツは己の神経が剣に収束していく感覚を味わっていた。過去何度か、同じ感覚に陥ったことがある。初めて人を殺した時や、瀕死の重傷を負いながら戦った時。最近だと、邪龍や石像と戦った時だ。


 頭が空っぽになっていき、身体が意識とは関係なく動く。

 フリッツはこの感覚が好きだった。剣が空を切る音、骨に伝わる衝撃。いつまでもこうしていたいと思うほどに。




 気がつくと、フリッツは朝焼けの海辺にいた。

 浜辺に大の字になって寝ていたのだ。


「えっ……どこだここ」


 サッと体を起こして、周りを見渡すがここがどこかさっぱり分からない。しかし、不思議と不安感はなかった。知らない場所にも関わらず、なぜか懐かしさを感じたからだ。


 目の前には緩やかに波打つ海。振り返れば草原が広がっていて、どこまでも続いていた。


 茫漠とした風景に言い知れぬ孤独感を感じた時、背後に気配を感じ、バッと振り向く。


 その視線の先には、過酷な歴戦が窺えるボロボロの甲冑を纏った男が立っていた。甲冑とは不釣り合いなほどに、男の容貌は美しい。たなびく金髪に、切れ長な瞳。まるでどこかの国の王子のようだ。


「あんた……誰だ」


「名前はない」


 男はそう答えた。ふざけているわけではなく、至極真面目な様子だ。風に真紅のマントが靡き、大きくはためく。


「じゃあ、何者なんだ」


「戦士だ」


 見たままの答えだ。男は水平線を眺めている。波の音が聞こえるだけで、その先には何もない。

 フリッツは更に質問を続ける。


「それじゃあ、僕に何の用だ」


「呼んだのはお前だ」


「僕が……?」


 名前も知らない相手を呼んだ覚えなどないと言いかけた時、ハッと自分が直前まで何をしていたかを思い出した。

 フリッツはレゾンデートルの修業中で、アルヴィンと手合わせをしていて……それで……そこから先が思い出せない。


「ここはどこだ!」


「魂の地平だ」


「魂の、地平……ここは、現実じゃないのか?」


「そうであるとも言えるし、そうではないとも言える」


 男は水平線を眺めたまま、思わせぶりなことを言う。

 そんな男の態度よりも、フリッツはこの状況に驚いていた。剣と一つにになる感覚、フリッツの求めていたものはその先にあったのだ。どうりで、座って瞑想なんかしても意味がないはずだ。アルヴィンはこうなることを見越していたのだろうか。


 それはともかく、戦いの中で至ったこの境地。これが意味するのは、つまり……


「僕の望みは……"戦い"か」


 フリッツはがっくりと肩を落とした。

 なんと浅ましい望みだろうか。なんだかんだと理由をつけて、僕は戦いに酔っていただけだったのか。ウィルベルと一緒に居たいと願ったのも、彼女の周りに集まる戦いが目的だったというのか。


「……それだけではない」


 自分に絶望したように吐き捨てたフリッツの言葉を、男が否定する。男はフリッツに振り向き、金髪を揺らしながら問いかける。


「お前が望むのは、何のための戦いだ?」


「…………」


「答えられないのならば、今のお前にこの場所はまだ早い」


 男が落胆した風に言う。男が初めて見せた感情に、フリッツの方が動揺する。男の言葉で、気を持ち直す。


 ……考えろ! 考えろ!


 自分が何のために戦いを望むのか。今まで経てきた戦いは何のためだったのか。答えは胸の中にあるはずだ。


 人狼、商人、邪龍に石像。数々の戦いで、フリッツがなにを思っていたのか。戦いの中だけでなく、ウィルベルと初めて出会った時にフリッツの心が踊ったのは何故だったのか。曖昧にしてきた問いに、明確な答えを出す時が来た。


 そうだ、僕が戦うのは……。


「——"護りたい"からだ」


 水平線から昇る太陽が、フリッツ達を照らす。透き通った陽光は、何物も分け隔てなく包み込む。


「目の前で誰かが苦しむのが嫌なんだ。悲しいのも、辛いのも、そういうのは全部無くしたいんだ……それだけなんだ」


 おそらくは独白に過ぎないであろう言葉を、男は黙って聞いていた。そして、満足したように息を吐き、フリッツの前に跪く。


「その通りだ、我が主人。今こそ伝えよう……我が名は——」


 朝焼けの世界に、二人の男の影が伸びた。




 ハッと意識を取り戻すと、アルヴィンの木剣を紙一重で躱していたところだった。現実の世界でどれだけの時間が経ったのか、ひとまず後ろに飛んで距離を取る。


「目が変わったな……やってみたまえ」


 アルヴィンの言葉に頷き、木剣を両手で握って集中する。

 細く息を吐き、手の感触を確かめる。あの海辺で、男が告げた名前を思い出す。


「——"守護王の威光(クリソプレーズ)"!」


 フリッツの叫びに応じるように、構えた木剣から光が迸る。それは体にまとわりつき、外套を形作る。海辺の男が身につけていたものと同じ、真紅のマントだ。

 所々破れ、ほつれているそれは決して装飾用などではなく、戦場での使用を前提とした作りだ。血が染み込んだような色も、独特の威圧感を放っていた。


「素晴らしい……」


「これが……僕の」


 アルヴィンも感嘆の声をあげる。フリッツは、自分が纏うそれをまじまじと眺めた。


 この力があれば、ウィルベルの隣に並べるだろうか。

 これは何かを守るための力。だが、この力を振るうのはフリッツ自身だ。今までように、戦いに酔うようなことがあってはならない。そういった自制も、フリッツに求められる。


 こうして、アルヴィンの助けもあって、フリッツもレゾンデートルの発現に至ったのだった。

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