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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第一部『龍姫の叙事詩』序章
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序章♯6『旅立ちの朝』

「ん……」


 カーテンの隙間から漏れた日の光が目にかかった。部屋のピリっとした冷たさを感じて、目がさめる。


 ひと息ついてから、冷たく張り詰めた空気を肺いっぱいに吸い込んで、体を起こす。


 ベッドの上に目をやるが、ウィルベルの姿はない。昨日の夜はお互いの話をした後、ウィルベルはベッドで、フリッツはソファで休んだのだった。ウィルベルは一緒にベッドで寝ればいいと言ったが、それはさすがに遠慮させてもらった。


 カーテンを開くと、部屋中に朝日が広がる。空の色からして、まだ夜明け直後だろう。昨日、雪を晴らしていた重い雲はどこかにいってしまったようだ。


 朝日に照らされた部屋を見渡す。


 さて、どうしたものだろうか。ウィルベルがいないことにはどうしていいか分からないが、下手に探しにいけば学院の中で迷子になりそうだ。大人しく部屋で待っているべきだろうか。


 そんなことを考えていると、廊下のほうから足音と話し声が聞こえてきた。


 ガチャっとドアノブが回り、扉が開く。中に入ってきたのはウィルベルとカーラだった。


 ウィルベルは昨日のローブ姿ではなく、濃紺のチュニックに黒革の軽鎧、同じく黒革のハイブーツという姿だ。その上に、青地に銀の刺繍の入ったマントを羽織っている。腰には柄頭ポンメルとナックルガードに茨の装飾が施されたサーベルを下げている。ウィルベルが帯剣するとは思わなかったが、なかなか様になっている。


 ウィルベルが窓際に立っていたフリッツに気づく。


「あっ、おはよう。早いね」


「あぁ……どこ行ってたんだ?」


「フリッツ様の旅支度ですよ」


 ウィルベルの後ろに立っているカーラが言う。部屋に入ってきた時には気づかなかったが、手になにやら抱えている。


「ハーブル校長から、フリッツ様に餞別だそうです」


 机の上にと荷物が置かれる。近寄って見てみると、どうやら旅用の装備一式のようだ。どの品も見ただけでも良質なものだということが分かる。


「魔力が付与されていますから、見た目以上に丈夫なつくりになっています。それに学院の校章が入っていますから、なにかと便利に使えると思いますよ」


「……こんなに良いもの初めて見たかも」


「それじゃあ外で待ってるから、着替えてきてね」


 そう言って、ウィルベルとカーラが部屋を出て行く。言われた通り、着替えることにする。




◆◆◆




 布製の下着を身につけてから、革の鎧を纏う。オーダーメイドでもないだろうに、体にぴったり馴染む。


 手袋をはめて、腰に直剣を下げる。もう何年も使っている、頑丈さだけが取り柄のような剣だ。貴族が好むような装飾など何もない品だが、戦いになればそんなことは関係がなくなるのだ。


 最後に青地に銀の刺繍が施されたマントを羽織る。ウィルベルのものとは違って、膝くらいまでの丈がある。


 一通り身につけたので、もう一度体を見渡す。問題がないことを確かめてから、扉に向かう。


 扉を開くと、ウィルベルが壁にもたれながら待っていた。しかし、カーラの姿はない。


「カーラならもう次の準備に行っちゃったよ」


 僕の疑問を汲み取ってだろう、ウィルベルが言う。


「そうか。悪いね、待たせて」


「そんなことないよ。……さあ、私たちも行こうか。忘れ物とかない?」


「あぁ、大丈夫」


「それじゃ、このまま正門に行くから付いてきて」


 ウィルベルがマントを翻しながら廊下を進む。石造りの廊下に、二人分の足音が響く。心なしか、ウィルベルの足取りが軽い。


 つられて、僕も少し心が踊る。この少女との旅路に、今まで感じたことのない何かを感じている自分がいる。それが何なのか、なぜそう感じるのかは分からないが、良い気分だ。


 ウィルベルに連れられて正門に着くと、そこにはカーラとハーブル校長、ニーナとラウラを始めとするウィルベルの友人と思しき学生と、艶やかな毛並みを持つ馬が二頭いた。


 ウィルベルは友人たちと別れの挨拶をしている最中だ。涙を浮かべるニーナをウィルベルとラウラがなだめている。


 そんな様子を見ていると、自然と頰がほころぶ。自分には、あんなふうに無事を祈ってくれる友人はいない。そもそも友人と呼べるような関係の人間がいないかもしれない。少し羨ましい。


 馬を撫でながら、ウィルベル達の方を眺めていると、ハーブル校長が近づいてきた。


「良い馬じゃろう」


「ええ。でもこの子達に乗れるのはまだ先になりそうです。外はかなり雪が積もってましたから」


「それなら心配はいらん。昨日のうちに雪払いをかけておいたからの」


「雪払い……?」


 昨日も聞いた気がする言葉だが、その意味は分からないままだった。


「その名の通り雪を払う術式じゃ。カルテドルフまで馬で駆けれるじゃろう」


 雪が深く積もるのは、カルテドルフの辺りまでだ。そこから先は街道が整備されている。旅で一番の難所だと考えていた部分を馬で抜けられるなら。予想よりも短い期間でルクセンまでたどり着けそうだ。


「おまたせ」


 別れを済ませたウィルベルがいつのまにか近くに来ていた。


「もういいのか?」


「……うん」


 名残惜しそうではあるが、覚悟は決まっているようだ。ならばこれ以上は言うまい。


「よし、じゃあ行こうか!」


 ウィルベルはこくっと頷いて、鐙に足を掛け、ヒラリと鞍に飛び乗る。それを見届けてから、同じように鐙に足を掛け、一息に跨る。そして、喉を鳴らす馬の首を撫でて宥める。


 前方では、軋んだ音を立てながら正門が開いていく。その間から見える景色は、たしかに昨日と打って変わって雪が無くなっている。あれならしっかり走れそうだ。


 早く広い世界を駆けたいというように、馬が足踏みをする。


「それでは、旅立ちじゃ。行く旅路に幸運を」


 ハーブル校長が言うと、見送りにきた人々もおもいおもいの言葉を送る。最前列では、ニーナがまたも泣いている。横のラウラは呆れた様子だ。


 ハーブル校長に頷き、馬の腹を蹴る。馬はいななきを上げて進み出す。軽快な足音を立てて二頭の馬が門へ向かう。


 ウィルベルの方を窺うと、何か思案しているような表情をしている。


「……言いたいことがあるなら、言っておいた方が良いと思うよ」


 その言葉に、ウィルベルはハッとした様子だ。うん、と僕にしか聞こえないような声で応え、すーっと息を吸い込む。


「さよならー! いつか戻ってくるよー!」


 大きな声で別れを告げる。それに呼応するように、言葉が返ってくる。


 大人びた振る舞いをしていても、心の中まで大人になれるとは限らない。ウィルベルはどこか吹っ切れたように前を向いている。


 そして門が見えなくなり、声が聞こえなくなるまで、振り向かなかったのだ。

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