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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第四章 ヴァイスランドの英雄達
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第四章♯23『星見台』

 階段を上った先にある扉を開くと、途端に冷たい風が吹き抜けた。

 最上階のテラスに屋根はなく、骨組みだけの半円のドームがあり、その向こうには無数の星が輝いている。辺りを見渡しても建物は見えず、この場所が学院で最も高い位置にあるということが分かった。


 そんな星見台で、ウィルベルは入り口に背を向けて細い欄干にもたれていた。扉の音でフリッツが来たことに気づいているだろうに、振り向きはしない。


「ウィルベル……ここはちょっと寒いよ。部屋に戻って、これからどうするか考えよう」


 春が近いとはいえ、北方の山際はまだまだ寒さを残している。山から吹く風は冷気を含んでいて、肌を撫でられると身が縮まるほどだ。


「……どうするか? ……選択肢なんて、ひとつしかないと思うけどね」


 ウィルベルが体を反転させて、フリッツを見据える。いつもと変わらない、強い意志を感じさせる表情だ。


 その光景に、フリッツは言葉が出てこなくなった。まるで、この世で最も美しい絵画を目の前にしたかのような気分になった。

 前にも、ふとウィルベルに見惚れたことがあった。そのときから彼女には独特の雰囲気があると思っていたが、今になってそれがどういう名をつけるべきものかはっきりと理解した。

 ウィルベルの美しさ、それは『破滅』の美だ。明滅する星のように、今すぐにでも消えてしまいそうな姿が、フリッツの心を掴んで離さない。


「……ああ。だから、ハーブル先生が言ってた術を学ぶためにどこに行けばいいのかとか……そういうことを」


「……そうじゃない。そうじゃないよ」


 ウィルベルが月を見上げる。

 見上げた先の三日月は、彼女に光以外の何も与えない。降り掛かる月光が、髪に煌めいて極光のベールのようだ。

 彼女は細く息を吐く。


「私がここから飛び降りれば、すべて解決じゃない」


「……そんなことダメに決まってるだろ」


 予想はしていたウィルベルの言葉に、フリッツは自分の声が低くなるのを抑えられなかった。


「どうして?」


 そう問うウィルベルの声色はいつもと変わらない調子で、だからこほこの状況では不気味だった。とても、これから死のうとする人間の声とは思えない。


「どうしてもクソもあるか……『死んで終わり』だなんてウィルベルらしくもない」


「……君が私の何を知ってるの」


 フリッツの言葉に、ウィルベルが感情をあらわにした。今まで聴いた中で最も冷たい彼女の声に、フリッツは言葉を詰まらせた。


「……たかだか数ヶ月の付き合いで、私の十五年をすべて分かったつもり?」


「それは……」


 言い淀むフリッツを尻目に、ウィルベルが欄干に手をついて登ろうとする。


「っ……ウィルベル!」


「近寄らないで!」


 フリッツを一喝し、ウィルベルが欄干の上に立ちあがった。スカートが風を孕み、大きく揺れる。もし一際強い風が吹けば、すぐに虚空に投げ出されてしまいそうだ。


「君も……気味が悪いでしょう? 恨んでるでしょう?」


 ウィルベルが嘲るように言った。

 そして、腕を広げる。持ち上げられたローブの袖がはためいてバサバサと音を立てた。


「恨んでなんか、ない」


 フリッツは一言ずつ、力を込めて伝える。

 今のウィルベルは不安定で、ちょっとした言葉で簡単に身を投げてしまいそうだ。


「……恨んでよ」


 絞り出されるような声だった。

 普段感情を表に出さない彼女が、こんなふうに怒りと悲しみを露呈させている。


「恨んでくれれば……こんな思いしなくて済むのに」


「僕は君を恨んだりなんかしない」


 ウィルベルの言葉を、すべて否定する。

 彼女がどれだけ苦しい思いをしたとしても、こんなところで死なれるよりはマシだ。

 このことで、たとえフリッツが恨まれることになったとしても、彼女の言葉を認めることはできない。


「フリッツが孤児になったのは、私の両親のせいなんだよ……?」


「……孤児も悪くなかった」


 本心だ。

 そもそも両親のことは憶えていないし、養父には良くしてもらった。もし誰かがフリッツのことを憐れに思っても、自分で自分を憐れに思ったりしたことは絶対にないと自信を持って言える。


「ルクセンでも見たでしょ! 邪龍がどれだけ多くの人を殺すのか……」


「君のせいじゃない」


 本心だ。

 たしかに邪龍の力は脅威で、フリッツも死んでいてもおかしくはなかった。十五年前の戦いでは、もっと多くの人が死んだのだろう。だが、それとウィルベルは関係ない。


「私のせいじゃなくても、私の罪なのよ……これはその罰なの」


 ウィルベルが胸を押さえる。

 人一倍責任感の強い彼女だからこそ、自分の両親のしたことを受け止めようとしているのだ。


「ねえ、一言でいいから言って? 恨んでるって。憎いって」


「言わない」


「……ふふ」


 フリッツの頑なさに参ったのか、ウィルベルが顔を俯けて笑った。その頰に一筋の涙が流れたのを、フリッツは見逃さなかった。今までどれほど恐ろしい目にあっても、決して涙を流すことはなかった彼女が、はじめて雫を溢した。


「意地悪だね、フリッツ」


 涙を隠すこともなく、ウィルベルが顔を上げる。そして、星々のように透き通った眼でフリッツを見つめた。髪が風を受けて、夜空よりも深く黒を刻む。そして、


「……ありがとう。さようなら」


 瞼を閉じて、体を後ろに倒した。


 しかし、ウィルベルが瞳を閉じると同時に走り出したフリッツが、落下の寸前で彼女の手を掴む。意外そうに目を見開いたウィルベルに、フリッツが声を張り上げる。


「馬鹿野郎! 死んで解決とか、そんなの甘えだろ!」


「……離して」


 ウィルベルはフリッツから顔を逸らす。


「ふざけるな……悲劇のヒロインにでもなったつもりか! 生きることから逃げるな!」


「……でも、私は何のために」


 ウィルベルの生きる目的であった、自らの出自を明らかにするということ。それを達成した彼女には、生きる目的がなくなってしまったように感じられるのだろう。


「理由が見つけられないなら僕のために生きろ! 君が死んだら僕が悲しむ! それだけで十分だろ!」


 フリッツが喚き散らすように言った。

 とんでもないことを口走ってしまったような気もするが、知ったことではない。今はウィルベルの心を繋ぎとめることが最重要だ。そのためなら、どんなことでも言ってやる。


「……なにそれ、告白?」


「ぐ、うるさい! 良いから上がってこい!」


 フリッツがウィルベルを引き上げようとした時、


「——なっ!?」


 元々、人間二人分の重さを支えるように出来ていなかったのだろう。フリッツがもたれかかる欄干が、まるごと外れた。当然、ウィルベルと二人空に投げ出される。


 少しの浮遊感の後、自然の摂理に従って地面へと引っ張られる。地面がどこにあるのか、暗くて見えないが、数秒でそこに叩きつけられ、助かる見込みはないことは確かだ。


 そんな状況にも関わらず、ウィルベルが手を強く握って、フリッツに問いかける。


「本当に、私と一緒に生きてくれる?」


「当たり前だ!」


 一緒に死にかけている状況で何を言っているんだこいつはと、声を荒げる。そうしているうちにも地面はどんどん近づき、死の時も近づいてくる。


「ありがとう、フリッツ。私は……」


 遺言のつもりか、ウィルベルがそう言った。しかし、私は……に続く部分は風に飲まれて聞こえなかった。

 フリッツの方も、遺言のひとつでも伝えようかとしたところで、ウィルベルがフリッツに抱きついてきた。


 今度は何のつもりかと考える間も無く、視界が光に包まれる。

 これが『死』だろうか……思ったよりもずっと穏やかだ。痛かったり苦しかったりしなくて良かった。死ぬには早い人生だったが、まあ悪くはなかった。


 固く目を瞑って、そんなことを考えていたが、不思議とそんな思考が止むことはない。まさかもうあの世に来てしまったのだろうか。


 ゆっくりと瞼を開くと、空を覆う星屑たちが目に入った。

 おかしい。落ちたはずなのに、空に昇っている。

 耳元を吹きすさぶ風の音、肌を刺す冷たさ。ここまで来ると、フリッツがまだ生きているのだと実感できる。


「君は……」


 フリッツが呟く。その声は風にかき消されてしまったかもしれないが、それは今重要ではない。


「ウィルベル……?」


 フリッツは、美しい龍の背に乗っていた。龍はしなやかな筋肉に包まれた肩を動かし、翼を羽ばたかせている。月に届きそうなほど上昇した後、緩やかに旋回しながら地上に近づいていき、とうとう地に足をつけた。


 龍の背中から飛び降りて、顔の前に立つ。

 ウィルベルと同じ、夜空を宝石にしたような瞳だ。鱗は微かに青みのある黒で、光を吸い込んでしまいそうな深い輝きを放っていた。獰猛な肉食獣のような四本の脚に、長い尾。体躯は邪龍よりも一回りほど小さい。


 フリッツが離れたのを確認した後、龍は動きを止め、光の糸となって解けていく。無数の綻びの中から、フリッツの良く知るウィルベルが現れる。


「ありがとう、フリッツ。君のおかげだよ」


 涙の跡はすでに消えていた。しかし、消えかけの星のような儚さを漂わせるウィルベルに、フリッツは念を押さずにはいられなかった。


「ウィルベル……君は、本当に凄い力を備えてるんだ。だから、死のうだなんて絶対にダメだ」


「大丈夫、もうそんなこと考えないから……生きて戦わないとね」


 その言葉を聞いて、フリッツはおもむろに剣を抜いて、切っ先を地面に突き立てる。そして、ウィルベルと剣の前に跪いた。


「僕も、一緒に戦う」


 儀礼も作法も何も分かっていない。心の向くままに行った所作だ。こんなことをしたところで、何かが変わるわけではないことは分かっている。しかし、フリッツはこの夜の出来事、そしてウィルベルに、騎士の誓いを立てたのだ。

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