第四章♯21『罪の記憶・2』
ウィリアム・ヴァイスは呼吸を荒げながら、焼け野原となった村を駆けていた。あたりには人間が焼ける匂いが漂い、吐き気を催す。しかし、ウィリアムにはそんなことに構っていられないほどの理由があった。
リリベルを一人で残して、戦わなければならなかったのだ。相手の龍の軍勢は、この村に宿泊していたウィリアム達を村ごと焼き払おうとした。ウィリアムはリリベルを近くの川まで逃し、一人で龍達と戦ったのだ。
もともとリリベルは大人しい龍で、争いは好まない性格だった。だからウィリアムは出来るだけ彼女を戦場から遠ざけ、こういった無惨な場所を見せないようにと努めてきた。
だがそれももう限界だ。人間達も龍達も、ウィリアム達を殺すために手段を選ばなくなってきている。その証拠がこの村だ。無関係な人間がたくさん暮らしていたのに、ウィリアム達のせいで皆殺されてしまった。
しかし、こんな状況も覚悟の内だ。ウィリアムはリリベルさえ守れれば後はどうなろうと良かった。勇敢さと冷酷さを兼ね備えた彼こそ、目的の為には手段を選ばないのだった。
村での戦いで、またしてもたくさんの龍を殺した。厳密には人間であるウィリアムに龍を殺すことはできないのだが、たくさんの血を流させた。
体勢を崩しながらも走り、ついに川へと到着した。だがリリベルの姿がない。どこかに隠れているのだろう。
「おーい! リリベル! 僕だ! 姿を見せてくれ!」
浅い川をバシャバシャと水を立てながら走る。ウィリアムの叫びにも反応がない。もっと遠くまで行ってしまったのだろうか。
ウィリアムは左腕を失ってから、うまく走ることができなくなっていた。体幹がズレたせいで、まともにバランスをとることができないのだ。
膝に右手だけをついて息を整える。そのとに、ふと川面が目に入った。そこに流れる水の中に朱色が混じっていた。
その朱色はゆるゆるとほどけながら川を染めている。その光景を見て、呼吸が浅くなるのを感じながら、流れを目で追っていく。その先には、血に濡れた彼女が倒れていた。
「リリベル!」
駆け寄って肩を抱きおこす。揺すっても反応はなく、触れた肌は氷のように冷たい。首の傷から流れ出る血も、凍るように冷たかった。
「そんな……そんなあああ!」
リリベルの体を抱き締め、喉が潰れるような叫びをあげた。ひとしきり叫び続け、絶望に打ちひしがれているとき、川岸に一人の男が立っていることに気づいた。
黒い髪に、紅い瞳。漆黒のローブに身を包んだその男は、明らかに人間ではないオーラを発していた。一体いつからそこにいたのか、目が離せないような威圧感を出しながらも、枯れ木のような印象を受ける男。
「お前か……お前が殺したのか」
「そうだ」
男はこともなげに答えた。冷たく燃える瞳で、リリベルを抱えるウィリアムを見つめていた。弔いのつもりか、手には青紫色の花を握っていた。
「……殺してやる」
「無理だ……人に龍は殺せない」
男が花に口づけをしながら寄ってくる。そして、その花をリリベルの胸に落とした。くすんだ青紫の花びらが、リリベルの墓標のように揺れる。
「我が名はニーズヘッグ。龍殺しの龍。その娘は禁忌を犯し、故に殺されねばならなかった……哀れなことだ」
ニーズヘッグはリリベルの前に跪き、瞳を閉じて続ける。
「お前たちの娘は見逃してやる。それが私に許された、唯一の情けだ」
そう言い残すと、ニーズヘッグは颯爽と立ち上がってその場を後にしようと歩き出した。一瞬呆気にとられたウィリアムだったが、すぐに怒りが湧き上がり、声を張り上げる。
「待て! 何処に行く!」
「まだ何か用か」
ウィリアムの叫びにニーズヘッグが立ち止まる。しかし振り返ることはなく、遠くを眺めていた。
「言っただろう……殺してやる。お前が僕を殺さない限り、いつまでも追うぞ!」
「好きにしろ。人を殺すのは人だ、私の役目ではない」
ニーズヘッグの言葉は冷たい。憎しみも、悲しみも、すべて何処かに置いてきたかのような声色だ。
「お前を殺すためなら……僕はどんなことでも」
ウィリアムの言葉にただならぬものを感じたのか、そこで初めてニーズヘッグが振り向く。その前で、ウィリアムはリリベルの首に唇を近づけた。ニーズヘッグの目が驚きで見開かれる。
「……愚かな」
口に入ってきた冷たい血を飲み下す。瞬間、体の内側が焼けるように熱を持ち、ウィリアムは川に倒れこんだ。全身が痙攣し、上手く動かせない。視界が赤く染まり、世界の色が失われていく。
「があああ!!」
のたうちまわっていると、ウィリアムの体に変化が訪れた。背中が大きく裂け、そこからドス黒い血が溢れる。その血は川に混じることはなく、ウィリアムの体を覆っていく。
血は徐々に固まり、ある形を作っていく。爪、牙、翼、そして角。少しずつ龍の形に近づいていく。
そんなウィリアムを、ニーズヘッグはただ眺めていた。
愛した娘の亡骸を抱きながら、痛みに悶えている男。その姿の、なんと憐れなことか。救わなければならない。この者たちを、この苦痛から救ってやらなければならない。
腕を広げ、仮初めの姿から本来の姿へと回帰する。ウィリアムとは対照的に、なんの苦痛もなく、光の糸に包まれて龍へと変化していく。
漆黒の翼に紅蓮の瞳。その姿の恐ろしさから邪龍と呼ばれながらも、誰よりも憐れみ深い龍は、眼前の人間を救うために牙を剥いた。
憎い憎い憎い。
痛い痛い痛い。
リリベルの血を啜ったウィリアムは、激情に支配され、自我を失いかけていた。だがその一方で、遠く離れた心の地平で、ある真実を悟っていた。
人と龍が交わってはならないと定められた理由。それはきっとこれだったのだろう。人と龍が愛し合えば、必ず悲劇を生む。その悲劇はさらなる悲劇を生む。ニーズヘッグは、悲劇の連鎖を断ち切るために存在しているのだ。
だが、それに気づいたところで何も変わりはしない。ウィリアムは最愛の人を奪われ、そして命を奪った男が目の前にいる。それだけあれば十分だった。
そのためであれば、ウィリアムが消えても構わない。
そう思いながら、煮えたぎる血の海に身を投げたのだ。
落ちる間に浮かんだのは、リリベルの笑み。そして、娘のことだ。僕は夫として、父として、何もしてやれなかった。
許してくれ。許してくれ。許してくれ。
そこからのことは、記憶が飛んでいてよく覚えていない。
ふと気がつけば、自分は黒い龍の肉を貪っていたし、また別の時は、小さな男の子の前で若い両親を踏み潰していた。自分が何をしているのかも分からないまま、ただただ憎しみに駆られて動いていたのだ。
だがある時、三人の若者に敗れた。折れた翼で本能に従って逃げ、何処かも分からない場所で死んだように眠っていた。
どれほど眠っていたのか、そもそも生きているのかも分からないような状況で、夢を見た気がした。夢の中で、いつか見た花と同じ青紫色の光に包まれていた。そこはとても暖かく、ひと時だけ昔のことを思い出すことができた。
自分が愛した人。自分の罪。そして二人で罪を犯してまで果たそうとした使命。
夢が覚めた後、惹かれるように東へ飛んだ。そこに行けば使命を果たせるような気がした。そしてなにより、救われるような気がしたのだ。




