第四章♯20『罪の記憶・1』
追憶編
ルクセンの大通りは、たとえ深夜だろうと賑やかだ。いくつもの飲み屋や、そこから溢れた酔っ払い達、決して上品とは言えない喧騒が都を包む。特に最近は異端者騒ぎで治安も悪化しているのだ。
そんな喧騒からは離れた都の一角で、二人の男が対峙していた。
「ウィリアム、本当に行くつもりか」
暗い路地に男の声が響いた。男の声色は冷たく、とても友人にかける言葉とは思えないほどだ。ウィリアムと呼ばれた男は、ボロのようなものを纏って闇に紛れている。しかし、どことなく気品ある佇まいは隠せていない。服装とは違い、彼が下賤な生まれでないことは明らかだ。
「ああ。話しても信じてもらえないだろうけど、必要な事なんだ。誰かが、罪を犯さなければ」
ウィリアムが語る。彼のその言葉には覚悟が滲み出ていて、彼が本気でそう言っているのだということは誰しもが感じるだろう。もちろん、ウィリアムに対峙している男もだ。
彼は最後の確認として、分かりきっている質問をしたのだ。そして、ウィリアムも男が何と答えるか分かりきっていた。
「だとすれば、お前は敵だ。たとえお前に王の血が流れているのだとしても、俺はヴァイスランドの騎士として、お前を殺さなければならない」
男は毅然とした態度で答える。書生風の風貌をしてはいるが、たしかに騎士用のコートに身を包み、胸には優秀な成績で士官学校を卒業したことを示す勲章がぶら下がっていた。
彼の言う通り、ウィリアムはヴァイスランド王家の血を引いている。しかし、それでもこの罪が赦されることはない。
「そうだね……今日でお別れだ。だから、こうして会いにきたんだ」
「……龍の娘を連れてか」
男がウィリアムの奥に広がる暗闇を睨みつける。どれだけ息を潜ませても、優秀な騎士の感覚は騙せない。
「ぜひ、彼女にも会ってもらいたくてね……リリベル、おいで」
ウィリアムに呼ばれて、闇の中からもう一人の影が現れた。ウィリアムと同じくボロを纏っているが、その上からでも分かるほど腹が膨らんでいる。出産はそう遠くないだろう。
彼女の姿を見て、男は気が遠のくようだった。
人と龍は交わってはならない。
かつての戦争が終結するときに、当時の白王と火元龍アグニが交わしたとされる約定だ。数多ある龍との約定において、もっとも古いものに数えられ、またもっとも犯すべきではない罪として定められている。
目の前にいるのは、その罪を犯した大罪人。
龍の罪は龍が、人の罪は人が裁くという約定に従い、ウィリアムは人間に殺されなければならない。そしてリリベルは、龍に殺されなければならない。
そうなることを承知の上で、彼らはそんな罪を犯したのだ。いくら愛し合っているとはいえ、正気の沙汰とは思えない。それとも、男が愛のなんたるかを理解できていないだけか。
「たとえお前の言うことが真実だとしても、白王はお前達を許さないだろう。もちろん、お前達の子もだ」
彼らの子は禁忌の子。生まれるべきではない子供だ。
たとえ大義があるのだとしても、赤ん坊を殺すような真似は誰も望んでいないだろう。
「……この子には申し訳ないと思っています。それでも、我々がやらなければならないのです」
男の責めるような声に、リリベルが答えた。よく通る凛とした声だった。その娘の言葉に、男は苛立ち混じりに言う。
彼らに何を言っても「やらなければならない」としか言わない。要領を得ない答えに腹が立った。
「それはもう聞き飽きた! もういい……さっさと行け。だが覚悟しておけ、次に会った時、俺はお前達の敵だ。容赦はしない」
男は二人に背を向け、さっさと路地から大通りに向かって歩き出す。その男の背中に、ウィリアムが最後の言葉を送った。
「ありがとう……そしてさらばだ、我が友ギルバートよ」
◆◆◆
ウィリアムとリリベルがルクセンを発って二ヶ月後、二人はヴァイスランドの北部にある魔術学院まで来ていた。人と龍の追っ手をかわしながら、どうにかここまでやってきたのだ。
「この子をお願いします、ハーブル先生」
雪の舞う石門で、ウィリアムがそう言った。リリベルが腕に抱えたそれをハーブルに渡す。何重にも毛布にくるまれて、産まれて間もない赤ん坊の顔が覗いていた。
「ウィリアム! ワシにこの子をどうしろと言うのじゃ! 親はお主らじゃろう!」
受け取った重みに顔を顰め、ハーブルが怒鳴る。その声に驚いて、赤ん坊が泣き出してしまった。ハーブルは慌てて赤ん坊をあやす。子育ての経験もない独り身の男に、小さな赤ん坊は手に余った。
「僕たちではもう守れません」
そう言って、ウィリアムがボロをはだけさせる。それを見て、ハーブルはギョッと目を見開く。ウィリアムの左腕が、肩からごっそり無くなっていた。乱暴に不潔な包帯を巻いたその姿は、惨めな逃亡兵のようだ。
「お願いします。ハーブル様」
リリベルが涙を浮かべて跪く。指を組んで神に祈るように、お願いしますと繰り返している。
赤ん坊を抱きながら、ハーブルが掠れた声で訊く。
「お主らは……どうするのじゃ」
「僕たちは一度ヴァイスランドの外に逃げます。龍たちの追及はどうしようもありませんが、王の追っ手はとりあえず撒けるはずです」
ウィリアムが右腕でリリベルの肩を抱きかかえて言った。よく見ると、リリベルも傷だらけだった。元は美しかったであろう群青の髪は乱れて、ボロの下のあちこちに包帯を巻いている。
「そしていつか……この子を迎えに、帰ってきます」
必ず、とウィリアムが加えた。二人は手を取って、出発の準備を始める。二人で寄り添っていなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
「この子の名は……?」
背を向けた二人に、ハーブルが問いかける。ウィリアムは少しだけ振り返って答えた。
「……ウィルベル、と」
そう言い残して、二人の姿が雪の中へと消えていく。後にはハーブルと、腕の中の赤ん坊だけが残った。
赤ん坊をいつまでも雪の中に置いておくわけにもいかない。ハーブルは急ぎ足で門の中へと戻った。結界を通ると寒さが和らぎ、赤ん坊の鳴き声も少しはマシになった。
門から校舎までの中庭、そこには小さな人影があった。赤茶色の髪を三つ編みにした女の子だ。この学院の生徒で、非常に優秀な成績をおさめている教え子だ。
「先生、その子は?」
女の子が背伸びをしてハーブルの腕の中を覗く。少し屈んで赤ん坊の顔を見せてやると、目を輝かせて頬を撫でる。
「門の外に捨てられていたのじゃ。ワシ達で守ってやらねばならん」
「まあなんてこと。可愛い子なのに。お父さんとお母さんはよっぽど困っていたのね」
女の子が無邪気に笑う。その姿を見て、ハーブルはこの赤ん坊にもいつかこんな表情をさせなければならないと思った。決して、両親が背負った罪を悟らせてはならない。何も知らせず、幸せに育ててやらなければならない。
「さあ、おいでカーラ。風邪を引いてしまうよ」
カーラを連れて、学院の中へと入る。
この子には「ウィルベル」以外にも名前が必要だ。まさか父親の姓であり、王族を表す「ヴァイス」を名乗らせるわけにもいかないし、母親に姓の概念があるのかは分からない。
彼女が健やかに育てるように願いを込めて、ハーブルは名前をつける。
ウィルベルにとって、「始まりは霧」であるべきなのだ。誰もその正体を語れず、また探ることもできない。ハーブルが口をつぐむ限りは、ずっとだ。そう願って「ミストルート」の名をつけた。
そしてそれ以降、その赤ん坊はウィルベル・ミストルートとなり、ロンドフ魔術学院の生徒となったのだ。




