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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第四章 ヴァイスランドの英雄達
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第四章♯17『フェアリーテイル』

 フリッツ達が落ちた洞窟は、どうやら元は遺跡の一部だったようだ。ところどころに、かつての名残として磨かれた石材が残っている。上層の遺跡とは違い、ここは普通に風化しているようだ。


 しばらく歩くと、通路の終わりが見えた。もしかしたら出口がすでに崩落してしまっているのではないかと考えていたが、ひとまずその心配はしなくて良さそうだ。


 通路の先には広大な空間があった。フリッツ達が出たのは、地面から少し上にある場所で、遠くまで見通せた。


「なんだ……ここは」


 空間と呼ぶのも憚られるような広さ。天井に開いた穴から日光が射し込んで、幾筋もの光が雨のように降り注いでいる。

 最も驚くべきは、空間のほとんとを占める巨大な湖だ。対岸を見渡すことはできず、見渡す限り広がっていた。


 沖には小島があり、射し込む光を浴びて植物まで育っている。それだけでなく、小島には人工物らしき建物もあるように見える。何千年も前からそこにあるのだろうか。


「こんな湖が地下にあるなんて……」


 あまりに浮世離れした光景に、言葉を失う。この広さだと、断絶の森の地下はほとんどこの地底湖だったことになる。自分が別の世界に踏み込んでしまったような気がして、恐ろしくなった。


「フリッツ、ここから降りられるよ」


 ウィルベルの側には石造りの階段があった。崩れかけてはいるが未だ原型を留めるそれを下りて、湖の淵に立つ。

 何もない水瀬に、ひとつ異質なものがあった。木製の小舟が浜に打ち捨てられていたのだ。小舟の中にはオールとロープだけがあり、船底に穴などは開いていないようだった。


「これに乗れってことか?」


「多分、あの小島に行くんだね」


 ウィルベルが小島を指差して言った。フリッツは小舟のヘリを持って、湖に向かって押す。踏ん張ると白い砂に足が沈み込んだが、一瞬の抵抗の後、小舟はするすると動き始める。波ひとつない湖に、小舟が浮かんで波紋を生じた。


 先に飛び乗ったウィルベルの手を借りて、フリッツも小舟に乗る。オールを手にとって、小島に向けて漕ぎ出した。舟を漕ぐ音以外は何も聞こえないまま、湖の上を滑るように進む。


「フリッツ、見て」


 ウィルベルが舟から湖を覗き込みながら言った。フリッツも手を止めて覗き込むと、またしても恐ろしい気分を味わうことになった。

 湖の透明度は信じられないほど高く、どこまでも見通せる。にも関わらず、底だけは知れない。真っ暗な虚が口を開いていて、覗き込むとそのまま飲み込まれてしまいそうだった。


「神話の時代……水元龍アパスは世界の穴に蓋をし、そこで悠久の眠りについた。世界が流れ出てしまわぬように」


 ウィルベルが歌うように口ずさんだ。決して大きな声では無かったが、この湖の上だとよく響く。


「ここが……その穴だって?」


「ふふ……どうかな? でも、この光景を見ていると、そう歌った詩人の気持ちも分かるね」


 水元龍アパスが断絶の森を作った理由。それは本当にエルフとの契約の為だけだったのだろうか。この湖を守るために、地上を覆う森を作ったのではないだろうか。そう思わせるほど、この湖は不可思議な場所で、ウィルベルが口ずさんだ古い詩には説得力があった。


 水中には何も無い。魚の一匹もいなければ、水生植物も、埃でさえ無かった。長い時間をかけて、ゆっくりと純度を高めてきたのだろう。そんな水の上を、フリッツ達が何千年ぶりかに揺らしている。自分が冒険譚の主人公にでもなったような気分だ。


 そう思いながらオールを漕いでいるうちに、目標の小島が近づいてきた。近くで見ると、やはり島の奥の方に建物がある。日光を受けて輝くその場所は、まるで天国の入り口のようだった。


 一足先に小島に上がったウィルベルにロープを渡し、手頃な木に繋いでもらう。別に岸まで泳ぐことはできる距離だが、この湖に直接入ることを想像すると背筋が凍る思いだった。


 小島に上って、辺りを見渡す。地面には芝が生え、そこらに花が咲いている。周りを美しい蝶が飛んでいて、木々にはリスなどの小動物も生息していた。


 まるで生の感じられない湖とは対照的なこの小島。だが、隔絶された島で生きるしかない動物たちを見ていると、この場所がまるで牢獄のように感じられた。あらゆる要素から断絶された世界だ。


「ねえねえ、人間さん。迷ってしまったノ?」

「ねえねえ、人間さん。どこへ向かっているノ?」

「ねえねえ、人間さん。何を探しているノ?」


 突如、少女のような高い声で話しかけられた。だが相手の姿は見えない。悪意のある声色ではなかったが、場所が場所なだけに油断できない。上層の石像のような、侵入者への試練かもしれない。剣の柄に手が伸びる。


「あれあれ? 怖がってル?」

「あれあれ? 怒ってル?」

「あれあれ? 驚いてル?」


 再び、三つの声。そのとき、頭上からパタパタと羽音がした。そちらを見ると、三つの小さな影がある。蝶のようなその影はフリッツ達を囲むように飛び回って、ころころと笑い声を上げる。


「フェアリー……?」


 ウィルベルが驚いた表情で、飛び回るそれらに訊いた。

 よく見ると、飛び回っていたのは赤、黄、青、それぞれの色の帽子を被った十五センチくらいの少女だった。


「うんうん。あたリ!」

「うんうん。正解ヨ!」

「うんうん。その通リ!」


 フェアリー達が羽からキラキラと粒子を出しながら舞う。


「フリッツ、大丈夫。悪戯はするけど、危害を加えるようなことはしてこないはずだから」


「そ、そっか」


 ウィルベルに言われて、柄から手を離す。ニコニコ笑いながら飛んでいる彼女たちを見ていると、警戒するのがバカらしくなった。

 それにしてもフェアリーとは、いよいよ御伽噺らしくなってきた。


「私達は水元龍に用があって来たの、案内してくれる?」


「うんうん。婆さマ」

「うんうん。鐘ヲ」

「うんうん。待ってル」


 フェアリー達が頷いて、小島の奥へと進んでいく。ウィルベルと顔を見合わせて、肩を竦めてから彼女達を追って駆け出した。




 元々たいして大きい島でもない。目当ての場所にはすぐ辿り着いた。そこは遠くから見たあの建物だった。石造りの大きなアーチ。屋根はなく、開放的な教会のような建物の祭壇があるべきたころには、代わりに巨大な鐘があった。鐘の表面にはレリーフが刻まれていて、龍と人の姿が描かれていた。


「さあさあ。鐘ヲ!」

「さあさあ。二人デ!」

「さあさあ。鳴らス!」


 フェアリー達に急かされ、とりあえず二人で鐘に繋がる紐を掴む。鐘は見るからに重そうで、こいつを鳴らすのは大変そうだ。二人で息を合わせて引いていく。


 徐々に鐘の揺れが大きくなっていき——ゴーン! と教会のものよりも遥かに荘厳な音が響いた。近くにいたフリッツ達は、音圧に吹き飛ばされそうになりつつも、耳を抑えてなんとか耐える。フェアリー達は、いつのまにかフリッツ達の服に潜り込んで、同じく耳を抑えていた。


 鐘の音で水面が揺れる。空間全体に音が反響して、まるでフーガのように聞こえた。一通り音が止んで、また静寂に包まれようとしたとき、今度は水中から歌が聞こえてきた。不思議な調子だ。子守唄のようにも聞こえるし、鎮魂歌のようにも聞こえる。


 その歌の主はどんどん近づいて来て、とうとう水面を破りフリッツ達の前に姿を現した。


 サファイアのような鱗に、ロイヤルブルーの瞳。四本の角を待つ美しい龍だった。上半身しか見えないが、体躯は邪龍よりもふた周りほど大きいだろう。邪龍と戦い、龍に対しての恐怖を植え付けられたフリッツが、神々しさのみ感じるような姿。


 原始の四翼。水を司る元龍アパスが目の前にいた。


 フリッツは言葉を失い。そして悟ったのだった。

 これは御伽噺なんかじゃない。まぎれもない現実で、そしてこれから御伽噺になるような出来事だ。

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