ウィルベルとお酒
10万文字記念!(10万文字=単行本一冊くらい)第四章♯9〜♯10の間のお話。
フリッツ達に充てがわれた部屋は、それはもう立派なものだった。見た目こそシンプルで落ち着いているのだが、体が沈み込むようなソファや、運ばれてきた食事など、そのどれもが一級品と呼べる代物だった。
本日正式に七賢決議会からの勅令を受け、明日にでも断絶の森へ向けて出発する予定のフリッツ達は、長引くであろう旅に向けて英気を養っている最中なのである。とはいっても、ウィルベルはどこにいようがいつもの調子なので、フリッツだけが贅沢を満喫しているのだが。
深い藍色のネグリジェを纏い黙々と本を読んでいるウィルベルを見ながら、フリッツは用意されていた酒を飲む。
もちろんこれらも最高級の品で、エールからウィスキー、ワインなど、ありとあらゆる種類が揃えられていた。テーブルにグラスを並べて、それらのお酒を注ぎ、飲み比べのようなこともしてみた。
今は窓際で赤ワインを飲みながら、ほろ酔い気分に浸っているのだ。開けた窓から吹いてくる夜風が、火照った頬に気持ちいい。外を見渡すと、光の階から放射状に伸びる大通りと、それらを繋ぐ横道がまるで輝く蜘蛛の巣のようだ。
「なあウィルベル。君は飲まないの?」
気分が良くなったフリッツは、そう誘いかける。
この絶景と、最高の酒。これらを前にして、いつものように本を読んでいるなんてとても勿体無いことだ。
「飲まないんじゃなくて、飲めないの」
ウィルベルがそう答えた。
ヴァイスランドでは、十二歳から飲酒ができる。ガサツな傭兵の養父に育てられたフリッツは、十歳になる前から酒を飲まされていたのだが。それはさておき、ウィルベルだってもう年齢的には飲酒をしても問題ないはずだ。
「弱いの?」
フリッツは目撃したことがないが、世の中には酒が飲めない下戸という人種がいるということは聞いたことくらいある。酒好きの周りで育ち、自らも一端の酒好きになった身としては信じられないことだが。
「一口飲んだら記憶がなくなるくらい」
ウィルベルがページをめくりながら言った。
そんなことになってしまうのなら、まあ仕方ないかなあ。だが、一人で黙々と飲むよりも、誰かと一緒に飲むのが好きなフリッツとしては寂しい。どこかに一緒に飲んでくれる人はいないものか。
ぼんやり考えながら、グラスにワインを注ぐ。
ウィルベルは本に目をやったまま、テーブルに置いてあったグラスを手に取り、それに口をつける。
(ん……?)
おかしい。ウィルベルが用意した水のグラスはまだテーブルに置いてある。じゃあ今ウィルベルが持っているグラスは? フリッツは水なんて入れた記憶はない。というかあのグラスは……。
「うっ……」
ウィルベルが呻いて、グラスをテーブルに置いた。胸元を抑えてぷるぷると震えている。フリッツは心配になって、彼女の近くへ寄って様子を確かめる。顔が赤くなって、息遣いも荒い。
ウィルベルが置いたグラスを手にとって確かめる。一見、水。だが少しだけ濁りがある。そして、芳醇な香り。口に含むまでもなく分かる。これはフリッツが注いだ白ワインだ。
どうやらウィルベルは、水と白ワインを間違えて飲んでしまったらしい。しかもこの白ワインはかなり度数が高く、フリッツでもクラッときた一品だ。
「おーい。大丈夫? ほら水飲んで、水」
元はと言えば、テーブルの上に酒の入ったグラスを大量に置いたフリッツにも責任がある。ウィルベルが楽になるまで介抱してやるつもりで、水の入ったグラスを差し出した。
ウィルベルはそれを乱暴に受け取って、ゴクゴクと飲み干す。空のグラスをフリッツに押し付けて、ジロリと睨む。
「……そこに座りなさい」
ウィルベルが低い声で言った。彼女が指差すその先は、
「えっ、床?」
「座りなさい」
鬼気迫るウィルベルに圧倒されて、おずおずと床に座った。ここからだと、ソファに腰掛けるウィルベルを見上げる形になる。ウィルベルは本を畳んで脚を組み、フリッツを見下ろす。眉が顰められ、怒っているようだ。。なんだかいたたまれなくなってきた。
「何か言うことは?」
ウィルベルが処刑人のようなことを言う。フリッツはさしずめ、死刑執行直前の罪人か。
「ご、ごめんなさい」
「……大体君ねえ、いつもお酒を飲んでばっかり。少しは節制というものを身につけて欲しいんだけど」
ウィルベルは腕を組んで、嗜めるように言う。その顔は赤くて、目が潤んでいるから、酔っ払っているのだと分かる。
「最近はこれでも控えてる方なんだよ?」
「昨日……いや今日か。今日助けにきてくれたのは感謝してるけどね。あの時だって、君すごーく酒臭かったよ?」
「あのときは、直前にすごい飲んでたから……」
「ほーら! 控えてないじゃない! そんなんじゃそのうち病気になるね」
鬼の首を取ったようにウィルベルが言った。
言っていることは正論なので、何も言い返すことができない。
「気をつけます……」
「それに君ねえ。ベアトリスがいくら魅力的だからって、あんなに露骨に鼻の下を伸ばされると、私の方が恥ずかしいよ」
ウィルベルの怒りの矛先がどんどん別の方向へ向かっていく。
腕を崩して、膝を指先で叩く。捲れ上がったネグリジェから真っ白な脚が覗いて、慌てて目をそらす。もしウィルベルに勘付かれでもしたら、更に説教が長引いてしまうだろう。
「ベアトリスは鈍感だから良かったけど、あんな視線を街のお嬢様方に向けでもしたら速攻逮捕だよ。絞首刑だよ」
好き放題言われて、フリッツも堪忍袋の緒が切れた。酔っ払いの言うことだと聞き流していたが、フリッツも酔っ払っているのだ。お互いに自制は効いていない。
「くっ……ウィルベルだって、ちょっとかわいいって褒められただけですぐデレデレになるくせに!」
「う、うるさい!」
酒の勢いに任せて、つい思っていたことが口をついた。フリッツの指摘を受けたウィルベルは、言い返されたことに動揺した様子だったが、すぐにまた言い返す。こうなってしまえば売り言葉に買い言葉で、もう止まらない。
「ウィルベルはチョロすぎるんだ! ちょっとお世辞を言われただけで浮かれちゃってさ!」
「お、お世辞じゃないかもしれないでしょ! それにかわいいって言われて嫌な気持ちがする方がおかしいと思うね! そもそも焚き火すら満足にできない男にそんなこと言われたくありませんね!」
「た、焚き火って、どれだけ前のことをほじくり返すんだよ!」
「それに私はちゃーんと気づいてるんですからね。フリッツが時々私のこといやらしい目で見てること!」
「見てませーん! 可愛げのない旅仲間のことなんて、色目で見てませーん! というか見れません!」
「見れませんとはどういう事よ! それはそれで失礼だとは思わないの!? まともなデリカシーがないからどこの街に行っても女の子にモテないのよ!」
「そ、それは今関係ないだろ!」
もうかなり前のことだが、内心気にしていた所を突かれて胸が痛い。
「いいや、関係あるね!」
「……そこまで言うなら上等だ! 僕の方だって、君に言いたいことがたくさんあるんだ! 今日は全部言わせてもらうよ!」
「あーら! 女性に対してその言い草、騎士に憧れるぼうやとして情けなくないんですかね! アルヴィンさんが見たら失望するわね!」
「な、なんだと!」
ヒートアップした二人の不毛な言い争いは、ウィルベルが寝落ちするまで続いた。フリッツが舌戦でウィルベルに敵うはずもなく、ボロカスに言い負かされたフリッツは、すやすやと眠るウィルベルをベッドに運んだ後ひとり枕を濡らしたのだった。
翌朝、いつものように早起きをしたウィルベルが、この夜のことを綺麗さっぱり忘れていたことは言うまでもない。




