第四章♯11『断絶の森』
央都を出発して三日。フリッツとウィルベルは断絶の森近くで、森に入る準備をしていた。
小高い丘から見渡した森に果てはなく、見渡す限り深く深く続いている。背の高い木、低い木が重なって、地上にぶ厚い膜を形成しているかのようだ。あの様子だと、森の中はほとんど日が当たっていないだろう。
また、無断で森に踏み入ればエルフ達の洗礼を受けることになる。だが、フリッツ達の目的は森荒らしではない、早いところ事情を説明して探索の許可をもらわなければならない。協力を取り付けられでもしたら有難いのだが、そこまでうまくいくかは分からない。できればエルフの集落に立ち寄って、モニカやセーナたちと顔を合わせておきたい。
これからの算段を立てながら、馬から馬具を取り外していく。何日の間、森に入っていることになるか分からないから、木に繋いだままにしておくわけにもいかない。コイツらとは学院を出た時からの付き合いだが、ここでお別れだ。名残惜しいが仕方がない。
「達者でやれよ〜」
茶色の毛を撫でてやると、ぐりぐりと鼻頭を押し付けてくる。コイツも別れを惜しんでくれているのだろうか。
この辺りの平原は馬の餌になる草も多い、この二頭にとっても生きやすい環境のはずだ。
「そろそろ行きましょうか」
ウィルベルが荷物を背負いながら言った。
背嚢には二日分の食料と野営用品が入っている。安全性をとるか、機動性をとるかは難しい判断だった。結局、動きやすさを重視して荷物は少なめだ。
考えうる限り万全の準備を整えて、森に立ち入る。馬たちがフリッツを追いかけながらも森に近寄ろうとすらしないのは、野生の勘というやつだろうか。平原に二頭を残して、森に踏み込んでいく。
予想通り、森の中は薄暗かった。苔や草で覆われた地面を、足を取られないように注意して進む。生き物の気配はせず、純粋な静寂だけがあった。動くものはフリッツとウィルベルだけだ。
「本当に、未開の地って感じだね」
うねった大樹の根を踏みながら、ウィルベルが言った。
「ああ……ここにエルフが住んでるってのも信じがたいな」
森の中は歩くだけで一苦労だ。とてもじゃないが、こんなところに住もうとは思えない。
更に森を進む。
しばらく歩き続けると、川を見つけた。そこからは川に沿って進んだ。太陽が見えないから、現在のおおよその時間を把握することもできない。もう何時間歩いているのか、見当が付かない。辺りの景色に変化が無いことも、感覚の鈍化のひとつの原因だ。
途中、何度か休憩を取りながらも、森の奥へ向けて歩き続ける。
空を覆う木々から僅かに溢れていた陽光が赤く染まってきて、もう夕方になってしまったことが分かった。つまり、半日近く森の中をあてもなく進んできたことになる。
森が真っ暗になってしまうのではと危惧したフリッツだったが、その心配は杞憂だった。地面や木の幹に張り付く苔が淡く発光を始めて、最低限の視界は確保されたのだ。だが、その様子は浮世離れして不気味で、自分が未知の世界へ踏み込んでしまったことを嫌でも実感させるのだった。
まだまだ歩き続け、ちゃんとまっすぐ進めているのかも怪しくなってきた頃、ウィルベルが急に足を止めた。
疲れたのかと思ったフリッツだったが、どうやらそういう様子ではない。
「フリッツ、何か近づいてくる」
ウィルベルがサーベルを抜いて臨戦態勢に入る。フリッツも剣を抜いて、二人で背中合わせになる。
感覚を張って耳を澄ませると、川の流れる音に混じって、何かが草を掻き分けるような音が聞こえた。そして確かに、その音は徐々にこちらに近づいてくる。今まで生き物の気配を感じなかっただけに、緊張が高まる。
バサっと派手な音を立てて木々を揺らし、音の主が森を飛び出して川辺にその姿を晒す。
ヌラヌラと光るその身体。大きな顎。無数の脚。
「ひゃっ……」
その姿を見たウィルベルが悲鳴をあげて一歩後ずさった。そして凄まじい速さでフリッツの背に隠れて、ガタガタと震え始める。
「む、むりむりむりむり!」
取り乱したウィルベルが、フリッツを背後からガッチリとホールドする。フリッツは身動きができない。
フリッツとしても、その姿には戦慄を禁じ得なかった。苦手な者にとっては邪龍よりも恐ろしいであろうその姿。
フリッツ達の前に現れたのは、全長四メートルはあろうかというムカデだった。人間ほどもある赤い頭を持ち上げて、こちらを威嚇している。ゾワゾワと動く脚は、背筋が粟立つような生理的な嫌悪を感じさせた。
「虫は無理ぃぃ!」
「ぐえっ!」
目に涙を浮かべたウィルベルに背中を突き飛ばされ、つんのめりながら大ムカデの前に躍り出る形となる。顔を上げると、そいつと目があった。冷や汗が背中を流れる。
フリッツは別に虫が苦手なわけではないが、こんなサイズは流石に許容できない。というか、どんな虫好きだろうとコイツの前では硬直するだろう。
「うわあ! 気持ち悪い!」
だがフリッツが逃げるわけにもいかない。フリッツの後ろには頭を抱えて震えるウィルベルがいるのだ。
まさか邪龍にも勇敢に立ち向かった彼女が、こんなに役立たずになるとは思っていなかったが、この件に関して嫌味を言ってやるのは後だ!
(デカかろうが、虫は虫だろ!)
そう自分を鼓舞して、剣を構えた瞬間。木々の間から飛来した矢が、大ムカデの頭を貫いた。ムカデは一瞬身震いした後、地面に倒れる。長く太い体をくねらせ、のたうち回る姿は、この世のものとは思えない。傷口からは青緑色をした謎の液体が溢れていて、あまりの気持ち悪さに思わず目を逸らした。
「——ここから先は禁域だ。迷い込んだのなら川を下って去れ。森を荒らしにきたのなら、我々がお前達を狩るだろう」
衝撃的な光景を前に固まるフリッツ達に、どこから聞こえているのかよく分からないように反響する男性の声で、そう警告があった。 間違いなく、森を守護するエルフだろう。思わぬアクシデントがあったが、なんとか当初の予定通りエルフに会うことができた。
「僕たちは森荒らしじゃない! ヴァイスランドの使者として来たんだ! どうか姿を見せてくれ!」
未だ震えながら頭を抱えて座り込むウィルベルに代わって、フリッツがエルフに答える。相手がどこにいるのか分からないから、ありったけの力で叫んだ。
フリッツの必死さが伝わったのか、ウィルベルの姿があまりにも哀れだったからなのか、エルフはすぐに姿を現してくれた。
フリッツ達を囲むように、三人のエルフが木から降りてきた。女性二人と男性一人。皆背が高く、耳がピンと尖っている。
フリッツはリーダー格と思しき男性のエルフに、首にかけた勅使の証を見せる。
「たしかに白王の勅使印だな……話は聞こう。付いて来なさい」
証を確かめ、男性のエルフがそう言った。
彼らは軽快な身のこなしで森を進む。フリッツは涙目のウィルベルを引きずりながら、彼らの後を追う。




