第四章♯10『目指す先は遠く』
——光の階、客間。
王の間でエマから正式な勅令を受けた日から一日。フリッツたちは今日には断絶の森へと出発をする予定で、準備をしていた。アルヴィンからは、もう少し休んでも構わないと言われたが、じっとしているのは我慢ならなかったのだ。激動の日々を過ごしすぎて、ゆっくりとした時間に馴染めなくなってしまったのかもしれない。
装備を点検しながら、身につけていく。学院で貰った装備は、まともな手入れもしていなかった割には、傷みも少ない。これを纏っていなければ、あのとき邪龍の一撃で死んでいたかもしれないなと、今更ながら思った。
最後に、勅使の証として与えられた霊銀のペンダントを下げて、準備完了だ。
「ウィルベル。出発の前に寄っておきたいところがあるんだけど、良いかな?」
同じく準備をしていたウィルベルに声をかける。
ウィルベルは装備の手入れを欠かさなかったから、フリッツのものとは違っていまだ新品のような輝きを放っていた。そして、フリッツと同じく霊銀のペンダントを下げている。
ウィルベルは黒い髪を束ねながら答えた。
「もちろん良いけど、どこに?」
「ツケてもらってる酒場。支払いがまだなんだ」
「ツケって……君ってそういうことするタイプだっけ」
「いや、まあちょっと理由があってね……」
訝しむウィルベルに、正直に理由を話せば良いものを、なぜか言葉を濁してしまった。
ウィルベルは、ふーんと言いながら準備を進める。
フリッツは机に寄りかかって、ウィルベルの様子を眺める。彼女の髪は絹の糸のような柔らかさで、僅かに青みがかった黒色という珍しい色をしている。きちんと飾れば貴族にも羨まれるだろうに、ウィルベルはそれをいつも適当にまとめていた。フリッツにはそれが、少しもったいなく感じられるのだった。
「よしっ、準備できたよ」
ウィルベルがサーベルを腰に下げて、ブーツで床を小突く。
「じゃあ、行こうか」
机から離れて、ウィルベルと共に客間を出る。そして、螺旋階段を下る。途中、すれ違う騎士や文官から最高位の敬意を表する礼をされ、フリッツとしては恐縮する思いだった。
たかだか一夜で、龍を撃退した新英雄と、その英雄が七賢決議会からの勅令を受けて旅に出るという噂は、誇張を含む形で広まってしまった。
ウィルベルはともかく、邪龍の足元でちょろちょろしていただけの自分まで英雄扱いを受けるのは、ズルをしているような気持ちになって仕方がないのだった。
光の階の出口で、アルヴィンが待っていた。こちらを見つけると、甲冑を鳴らしながら近づいてくる。
「もう出発か?」
「はい」
アルヴィンの言葉に、ウィルベルが答える。
「そうか……こんな大役を君たち二人に任せっきりにしてしまうのは心が痛むが、私がここを離れるわけにもいかないのでな」
そう言ったアルヴィンの表情は本当に悔しげだった。
本来であれば、どこの馬の骨とも知らぬフリッツ達ではなく、アルヴィンやギルバートが啓示の達成に動くべきだろう。だがそれが出来ないのは、いつまた邪龍が央都に攻めてきてもおかしくないという状況ゆえだ。
アルヴィンの悔しさは、フリッツには推し量れない。
「いえ、龍に会うのは私本来の目的でもあります。必ず務めを果たして、戻ってきます」
ウィルベルがきっぱりと言った。
その言葉で、アルヴィンの不安や悔しさも、少しは晴れただろうか。
「……うむ、期待しているとも。だが無理だけはしないでくれ、死んでしまえばそこで終わりだ」
そう言った彼は、どこか遠くを見つめていた。
その先にいるのは、散っていった戦友達か。死ねば、終わり。当たり前のことだが、アルヴィンの言葉だからか、格別の重みをもってフリッツに響いた。
「胸に刻んでおきます」
フリッツが言った。それを聞いたアルヴィンは満足げに頷く。
「では、しばしの別れだ。ウィルベルくん、フリッツくん、幸運を」
アルヴィンは、フリッツとウィルベルの肩を叩くと、光の階の中へと戻っていった。それを見送って、フリッツたちも足を進める。
目指すのは、東区の酒場。
あの酒場を飛び出してから、まだ一日と少しだが、主人はフリッツのことを心配しているだろうか。もしかしたら、死んだと思われているかもしれない。
しばらく歩くと、目当ての店の看板が目に入った。『溺れたウンディーネ』という特徴的な名前の店に入る。まだ午前中なだけに、客は疎らだ。
「へーい、適当なとこに座ってく……ああああ!」
酒場の主人が、フリッツの姿を認めた途端、大声を上げる。客たちが、何事かとフリッツ達の方を見た。
「あの……お代を払いに来たんだけど」
おずおずと声をかけたフリッツに、主人が駆け寄って来てガッシリと肩を掴む。
「兄ちゃん生きてたのかよ! 俺はてっきり邪龍に踏み潰されて死んだもんだと……」
ガタガタを揺らされながら、まくし立てられる。
豪腕に揺さぶられて、脳まで揺れてしまいそうだ。
「あ、あの、お代」
「こっちの娘が兄ちゃんの言ってた娘か! とんでもねえ美人じゃねえかオイ!」
話を聞かない主人の矛先がウィルベルへ向かう。褒められたウィルベルは満更でもなさそうだ。前にもこんなことがあったような気がするが、ウィルベルはちょっとチョロすぎやしないだろうか。
「お代を……」
「良かった良かった! いや〜、俺は信じてたぞ!」
「おだ…い」
ひとしきり感動の言葉を述べて、散々フリッツを揺すって叩いて、主人が話を聞いてくれるようになるまでに長い時間を要したのだった。
「はああああ!? じゃあ兄ちゃん達が今噂の新英雄だってのか!?」
フリッツが邪龍襲撃の夜のことと、これから断絶の森に向かうのだということを説明すると、主人がまたしても大声を上げた。
先ほどは迷惑そうにしていた客達も、今度は興味津々といった様子で目を向けてくる。
「僕っていうか、ウィルベルなんだけど……」
フリッツの訂正は聞きとどけられることはなく、主人は腕を組んで唸っている。
「……なら支払いはまだで良い」
突拍子もなく、主人がそんなことを言い出した。
「えっ? どうして?」
「兄ちゃん達、また危ないことをしなけりゃいけないんだろ? だったら、今度もちゃんと生きて帰って、払いに来い」
主人がグッと親指を立てて言った。
あの時と同じだ。こんな事を言われては、途中で死ぬわけにもいかない。
「……分かったよ。絶対、払いに来る」
フリッツは主人の言葉に頷いて言った。主人も大きく頷く。ガッシリと握手をして別れを告げ、『溺れたウンディーネ』を出る。
「簡単に死ねないね、フリッツ」
ウィルベルがクスリと笑いながら言った。
「ああ、ウィルベルもだよ」
「うん。二人とも、死ねない」
ウィルベルが、確かめるように言った。
目指す先は、エルフが護る断絶の森。深く迷い込めば、生きては帰れないという未開の地だ。その深部にいるであろう水元龍のもとへ、できる限り早く向かわなからばならない。
大きく息を吸い込んで、大聖門への道を歩く。




