第四章♯9『勅令』
「あっ、この本知ってる」
フリッツが一冊の本を手に取った。背表紙にはかすれた文字で『龍姫の叙事詩』と書かれている。年季が入っているのだろう、ところどころ傷んだ本を慎重に扱う。
「……龍の神話だね。建国史の一部の」
ウィルベルがフリッツの手の中の本を覗き込んで言った。
「えっ、これそんな本だったの? おとぎ話だと思ってたよ」
「まあ、半分おとぎ話みたいなものだよ」
ページをめくる。子供にも読めるように配慮された文体で、ヴァイスランドの歴史が綴られていた。ところどころには挿絵もあって、龍や人が描かれている。
「ヴァイスランドの土地はもともと龍たちのもので、建国の英雄たちが勝ち取った。長く続いた戦争も、相互不干渉の約定の締結と共に幕を閉じた」
ウィルベルが滔々とあらすじを述べる。それはたしかに、フリッツの記憶にある本の内容と同じだった。最も、この本はそこまで歴史書的な側面は強くなく、物語調で書かれているのだが。
「それ全部覚えてるの……?」
「さすがに龍に関わる部分だけだよ」
ウィルベルが微笑む。
龍が登場するのは最初だけだ。人と約定を結んだ龍は、人の歴史から姿を消す。そこから先は、長い長い人の歴史が綴られている。
だが、そのどれもが実感を伴う歴史ではなく、空想上の出来事のように感じられる。
「これから、これに書かれてるような龍に会いに行こうっていうんだもんな。なんか不思議な気分だ」
ページをめくりながら、フリッツが呟いた。
水元龍とやらがこの神話に登場するのかは知らないが、それに並ぶような存在が登場しているのは間違いない。おとぎ話の中に入り込むような感覚は、現実味と競り合って、自分の中でも折り合いがついていない。
「あら? 私が言った時には信じようともしなかった癖に、随分すんなり受け入れてるのね」
ウィルベルが意地悪な笑みを浮かべて、フリッツを非難するように言った。
「そ、そりゃあの時はウィルベルの力のことだって知らなかったし……」
そうだ。ウィルベルに会うまでのフリッツなら、たとえ三英雄に言われたとしても、伝説の龍が存在するなどという話は信じなかっただろう。ウィルベルの翼を見て、自分の理解を超えたことが存在することを知ったのだ。だから、龍のことも信じられる。
本を元の位置に戻して、ウィルベルの方へ顔を向けて言った。
「さて、そろそろ戻ろうか。それとも他に見たいものとかある?」
「ううん。戻ろう」
フリッツの提案に、ウィルベルが頷く。
書架の間を通り抜けて、来た道を戻る。カウンターにいたベアトリスさんに軽く挨拶をしてから図書館を出て、螺旋階段を上る。
部屋の前に戻ると、守衛の騎士達に話しかけられた。
「フリッツ様、ウィルベル様。つい先ほど、七賢決議会からお二人に正式に勅令が出されたそうです。詳細は、王の間のアルヴィン様からお聞きください」
若い騎士は簡潔に告げた。
エマとの謁見から、まだ一時間ほどしか経っていない。
「随分、決定が早いな」
「非常事態だからじゃない?」
守衛の騎士に導かれて、今度は王の間を目指して螺旋階段を上る。階段を上るにつれ、静けさが増して浮世離れした雰囲気になってくる。
途中、窓の外を見ると雨はもう止んだようだった。曇ってはいるが、じきに晴れるだろう。
本日二度目、王の間の扉をくぐった。
「ああ、二人ともよく来てくれた。勅令のことはもう聞いているね?」
扉の近くに控えていたアルヴィンが二人を迎えてくれた。その言葉に、ウィルベルが答える。
「はい」
「大したことではないんだが、しきたりにうるさい連中というのはどこにでもいてね。形式的に勅令の儀礼を受けてもらわなければならない」
アルヴィンが辟易とした様子で言った。
いかにも儀礼などを重んじそうな彼もこんな態度をとるのだなと、フリッツは少し意外に思った。
「儀礼……?」
「そう身構えないでくれ。エマ様が勅令文を読み上げる間、跪いて聞いていればいい」
アルヴィンに促され、ウィルベルと並んでエマの前に跪く。
王の間にはアルヴィンとエマしかいなかった。会議があったからには、七賢決議会のメンバーが集まったはずだが、皆すぐに帰ってしまったのだろうか。
エマがフリッツたちの様子を確かめてから、手に持っていた勅令文を読み上げる。長い口上。これもアルヴィンのいう儀礼の一部なのだろう。
王の間での儀礼ということもあって、フリッツもなにやら神妙な気分になってくる。
凛としたエマの声が、王の間に響く。高い天井は、音を反響させるためのものだろう。彼女の声が耳に馴染みよく入ってくる。
「——啓示に従い、水元龍と見えよ」
その言葉で、エマが勅令文を締めくくった。勅令文を丸めて、アルヴィンに渡す。そして、フリッツ達に立ち上がるように促した。
「期待していますよ。ウィルベルさん。フリッツさん」
エマが笑みを浮かべて言った。先ほどまでの硬質な声色とは打って変わって、優しい調子だ。
「「はい!」」
ウィルベルと声を揃える。
いよいよ、というほど待ったわけではなく。邪龍の襲撃から丸一日も経過していないが、またウィルベルとの冒険が始まる。
フリッツは、思わず心が踊ったのだった。




