第四章♯8『ベル素』
「ウィルベル。せっかくだから、光の階の中を見て回ろうよ」
フリッツがそう提案した。ウィルベルは首を傾げる。
「……勝手に出歩いて大丈夫なのかな」
「幽閉されてるわけでもあるまいし、大丈夫だって。ほら、行こう」
ウィルベルの手を取って、ソファから立ち上がらせる。二人で連れ立って部屋を出ると、扉の両脇に、おそらく内勤用であろうサーコートに身を包んだ騎士が立っていた。その若い騎士に声をかける。
「あの〜。ちょっと建物の中を見てきても良いですか?」
「はい、もちろん。案内をお付けしましょうか?」
「いえいえ! お構いなく!」
騎士の申し出を断り、部屋から離れる。
フリッツはどうも、ああいう若い騎士が苦手だった。彼らのキラキラした目で見られると、劣等感を感じずにはいられないのだ。最も、彼らがフリッツを見下すようなことがあるわけでもなく、完全にフリッツの自意識過剰だということも、苦手意識に拍車をかけているのだった。
部屋を出てしばらく進むと、塔の中央に位置する大螺旋階段の踊り場に出た。この螺旋階段は塔を貫き、最下層と最上階までを結んでいる。
光の階は大きく分けて三階層になっていて、下から順に騎士隊舎や客室、王宮、教会となっている。教会は高位の聖職者しか立ち入ることを許されておらず、ほとんど使われていないらしい。
教会が王宮よりも高層にあるのは、王の権力が神から与えられたものであるということを象徴しているのだ。
「そういえば、ここには大きな図書館があるらしいよ。行ってみようか?」
「央都の図書館……楽しそうだね」
フリッツの提案に、ウィルベルも乗り気だ。正直なところ、フリッツは図書館を観光するような趣味はないが、きっとウィルベルが喜ぶだろうと思ったのだ。
「よし、じゃあ決まりだ!」
図書館は地上に近い場所にあって、一般向けにも解放されている。フリッツ達が今いる場所からは少し下ったところだ。幅の広い螺旋階段を降りていく。
「あっ、ここじゃない?」
しばらく降りていると、ウィルベルが右手を指差した。その先には、たしかにたくさんの書架が並んでいる。その手前には談笑スペースを兼ねたカフェが併設されていて、多くの紳士淑女が会話に花を咲かせていた。
そこを通り抜けて、見上げるような書架の迷路に入っていく。隣を歩くウィルベルの足取りも軽い。キョロキョロとしながら、奥へ奥へと進んでいく。
「何か探してる本でもあるの?」
「そういうわけじゃないけど、こんなにたくさんの本を見るの初めてだから目移りしちゃって」
「本なら学院にもたくさんありそうだけど」
「あるにはあるけど、魔術書ばかりだから……こんなに色々な種類の本はないよ」
書架に目をやって、並んでいる本の背表紙を眺める。歴史書、寓話、英雄譚、恋愛物、はたまた怪しい呪術書のようなものまで、見境なく並んでいた。
「あれっ? ベル?」
ふらふらと書架の前を彷徨っていると、女性に声をかけられた。
ベル? ウィルベルのことだろうか。
「やっぱりベルじゃなーい! どうしてここにいるの!?」
声をかけてきたのは、金髪に深い翠の目をした女性だった。グラマラスな身体を白衣に包んでいる。特に、胸の部分は服を押し上げ、今にもはち切れんばかりだ。フリッツも健全 な男子として、目がいってしまう。
「な、なんで貴女がここに……!」
その女性を見たウィルベルは戦慄の表情を浮かべていた。側から見ていると、とても知り合いにばったり遭遇した場面には見えない。
「なんでって、私ここに就職したのよ〜! それで? ベルはどうしてここに?」
「色々あって……」
「やだ〜! 相変わらず素っ気ないのね〜!」
そう言いながら、女性が一歩距離を詰める。その分、ウィルベルは一歩下がる。険悪な関係ではなさそうだが、ウィルベルにとっては苦手な相手なのだろうか。
というか、こんなに圧倒されているウィルベルは非常に珍しい。
「あら、こっちのお兄さんは?」
書架に追い詰められているウィルベルから、女性の興味がフリッツに移った。色っぽい視線に見つめられて、しどろもどろになりながら答える。
「フ、フリッツです。その、貴女は……?」
フリッツの問いに、女性が大きな胸を張って答える。
「私はベアトリス・シンカー。今はこの図書館の司書さんだけど、昔は学院の生徒だったの〜」
「えーっと、つまり、ウィルベルの先輩?」
シンカーという名前はどこかで聞いたことがあったな、と記憶の糸を辿っているうちに、ウィルベルがその答えを言った。
「……そう。そしてニーナのお姉さんでもあるのよ」
「そしてベルのお姉ちゃんでもあります!」
「違う」
ウィルベルが即、否定した。その対応に、ベアトリスは傷付いたようにしなをつくる。
たしかに、容姿や言動からはニーナと同じ幼さを感じた。だが決定的に違うのは、ベアトリスがそこそこ大人の女性であるということだ。これはこれで別の破壊力を生み出している。
「えぇ〜、違わないよ〜! そうこと言う子はこうしてやるー!」
ベアトリスが突如ウィルベルの背後に回り、羽交い締めにした。そしてあろうことか、ウィルベルの胸を揉みしだきはじめた。
衝撃的な光景に硬直したフリッツだったが、理性を総動員してその光景から背を向けた。
少女と妙齢の女性が絡み合っている光景は、昼間から繰り広げるには過激すぎる。
「わっ、ちょ……や、やめ」
ベアトリスは必死で抵抗するウィルベルを、熟練の手つきで押さえつけながら胸を揉み続ける。
「う〜ん。あんまりおっきくなってないね」
「うるさい!」
抵抗を続けたウィルベルが、なんとかベアトリスの拘束から脱出する。
「あ〜、久々にベル素を吸収できた〜」
息を荒げているウィルベルをよそに、ベアトリスの方は頬に手を当てて、どこかツヤツヤしている。
ベル素とはなんだろう。ウィルベルから発せられている物質だろうか。
「早く仕事に戻って……」
疲労困憊といった様子のウィルベルの一言に、ベアトリスは目を丸くした。
「あっ、そうだった。私、仕事中だっ! また怒られちゃう〜……あっ、今度ニーナとかラウラのことも聞かせてね! じゃあまたね!」
そう言い残して、ベアトリスが図書館のカウンターの方へ走る。
「なんというか……凄い人だね」
ぴゅーっと走り去ったベアトリスを見て、フリッツが呟いた。ウィルベルは疲れた顔で乱れた服を直している。
「まさかここで会うことになるなんて……」
ベアトリスにベル素を奪われたからなのか、先ほどよりもはるかにやつれた様子のウィルベルが言ったのだった。




