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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第四章 ヴァイスランドの英雄達
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第四章♯4『夜天の雷霆』

 邪龍が吠える。

 天地を震わせるような咆哮に、体が押しつぶされてしまいそうだ。


(ビリビリきやがる……!)


 フリッツ達の後ろで、消火隊が門まで逃げ切るのを目の端で捉える。邪龍の注意を引くという点だけ見れば、これで十分だ。だが、この状況から簡単に逃がしてくれるほど、邪龍は甘くはないだろう。


「ねぇ、フリッツ……君は逃げてもいいんだよ?」


 邪龍の前に並んだウィルベルが、困り顔でフリッツに言った。

 今になって、フリッツを巻き込んだことを悔いる気持ちが出てきたのだろうか。先程フリッツに怒鳴った人物だとは思えない言い草である。


「何をいまさら……ここで逃げるなら、とっくに逃げてるよ」


 フリッツにしても、そもそもウィルベルが心配だからここに立っているのだ。ウィルベルが立ち向かうというのなら、フリッツもその横に並んでやる。

 フリッツの言葉に、ウィルベルは微かに笑みを浮かべる。


「……さあ、来るよッ!」


 ウィルベルの声と共に、邪龍が首を持ち上げ深く息を吸い込み始めた。

 邪龍が何をするつもりなのかは、考えるまでもなく分かる。灼熱のブレスを吐き出すつもりだ。だが予備動作は緩慢、避ける余裕は十分にある。

 フリッツはウィルベルと別れるように走って、ブレスの射線から外れる。ウィルベルもフリッツとは逆に駆け出して、邪龍を挟み込むような位置に立った。

 次の瞬間、邪龍の口に目一杯溜め込まれた炎が、先程までフリッツたちがいた場所を焼き焦がす。


「くっ……」


 もちろん、直撃はしていない。かすりすらもしていない。にも関わらず、余波の熱に焼かれてしまいそうだ。フリッツの視界は、赤とオレンジが混ざった色に支配された。

 全身に熱を感じながらも、決して立ち止まらない。一瞬でも動きを止めれば、そこを狙われてしまう。そして一撃でも貰えば、もう立ち上がれないだろう。


 フリッツは駆ける勢いをそのままに、剣を低く構えて邪龍の後脚の腱を狙って突き立てる。


 ——ガキィ!


 まるで岩を突いたかのような衝撃が手に伝わってきた。手の痺れを払いながら、鞭のようにしなる尻尾の一撃を間一髪躱す。衝撃を受け流すのに失敗していれば、尻尾が胴に直撃していた。


(硬すぎる! 刃が通らない! ——だけど!)


破術ルイーナ三十六番『土塊掌テラプグヌス』!」


 フリッツが相手の気を引いているうちに、ウィルベルが魔術を編む。もう何度も繰り返した、いつもの戦法だ。


 ウィルベルの詠唱に伴って、邪龍の下の地面が盛り上がり、その腹を突き上げる。衝撃の瞬間、骨を砕くような鈍い音が聞こえた。邪龍はすぐに飛び退き、フリッツ達から距離をとる。

 刺突を通さないほど硬質の鱗を持つ邪龍でも、弱点への打撃はさすがに堪えたようで、涎を垂らして唸っている。


 フリッツには邪龍に傷を負わせられるような攻撃はできない。つまり現状、ウィルベルの魔術だけが頼りだ。フリッツに出来ることは、邪龍の気を引き続けることだけ。


 危険は承知で邪龍の懐に飛び込み、脚に一撃を加えていく。傷を付ける為ではなく、あくまでも気を引くために。細心の注意で、腕に伝わる反動をいなす。

 邪龍の方は、腹の下で動き回るフリッツを踏みつぶそうと、必死に足踏みをしている。だが、その体躯の大きさゆえにフリッツを捉えることができない。


 致死の一撃を、すんでのところで躱し続ける。かつてないほどの集中力で、邪龍の動きを見切る。極度の緊張の中で、フリッツは自らの感覚が研ぎ澄まされていくのを感じていた。


 そうしてフリッツが時間を稼いでいる頃、ウィルベルの手の中では次の魔術が編み上がっていた。


(これを撃てるのは一発。これで仕留める……!)


 左手には、紫電で作られた槍が握られている。だが、人狼退治の時に使用したものとは格が違う。槍の全長は自らの背丈ほどもあり、穂先が地面に触れるたびに、触れられた場所が灰すら残さずに消える。

 とてつもない破壊を、一振りの槍に練り上げた、若き天才による渾身の魔術。


 ウィルベルの準備が整ったことに気づいたフリッツが、射線上から退避する。

 それを確認したウィルベルは、雷鳴を伴うそれを大きく振りかぶって、


「——『雷霆ケラウノス』!!」


 放った。

 邪龍に向かって一直線に、それこそ雷のような速度で飛んだ槍は、天に向けて青い残光を引きながら邪龍を貫く。そして胸から背にかけて、ぼっかりと大穴を開けた。


 焼け爛れた傷口から、細く煙が立ち昇っている。


 邪龍は動きを止め……ゆっくりと地に崩れ落ちた。ピクリとも動かず、舌をダラリと垂らしている。その眼は光を失い、生気は感じられない。


「はっ……やった、のか」


 フリッツが呟く。

 数秒の間の後、邪龍が完全に沈黙したのを確かめたフリッツは、魔力の消耗から膝をついたウィルベルに駆け寄った。


「ウィルベル……君が倒したんだ!」


 ウィルベルの肩を掴んで、グイグイと揺さぶる。

 きっと大きなことを成し遂げる人間だとは思っていたが、まさか邪龍を倒してしまうなんて!

 そんな場面に立ち会えたことに、興奮を抑えられない。


「……フリッツうるさい。ちょっと休ませて」


「ええ!? ああ、ごめん! でもこんなの、本当に凄いことだよ!」


 英雄達ですらなし得なかったことをやってのけたのだ。ウィルベルを真の英雄と呼ぶことに異を唱える者はいないだろう。


 ——だが、この時のフリッツは知らなかったのだ。まだ理解できていなかった。

 なぜ、三英雄が邪龍を殺せなかったのか。なぜ、"不死の"邪龍と呼ばれているのかを。


 だがそれも仕方あるまい。心臓を潰される形で、胸から背までを貫かれて、死なない生物などありえない。そう思ってしまうのも無理はない。だが、フリッツ達が相手にしているのは、唯一の例外。


「——ガアアア!!」


 邪龍は咆哮と共に、ゆっくりと立ち上がる。致命傷に違いない傷口もそのままに。心臓など無くとも、人は殺せると言わんばかりに。


「嘘……だろ」


 理解不能の状況を前にして、動くことが出来なかった二人に邪龍が尻尾を振る。

 咄嗟にウィルベルを庇うことができたのは、我ながらよくやった。


「ぐっ……!?」


 邪龍にとっては、起き上がりざまの戯れのような一撃だっただろう。しかし、フリッツの体は簡単に吹き飛ばされ、地を転がった。口の中が切れたのか、内臓が潰れたのか、血の味がこみ上げる。


 倒れ伏すフリッツの視界の先で、邪龍がウィルベルに鼻先を近づけている。


 ウィルベルはまだ動くことができないようで、呆然と邪龍の眼を見ている。何かを呟いているのか、口が動かされているが、その声はフリッツには届かない。


(そんな……! ウィルベルだけは! ウィルベルだけは……!)


 身体中から血を流し、言うことを聞かない体を懸命に動かして、フリッツはウィルベルに届くはずもない手を伸ばす。


 そんなフリッツに一瞥もくれず、邪龍が大口を開く。

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