第四章♯2『勇敢を呪う嫉妬』
「おい兄ちゃん、さすがに飲みすぎだぞ!」
「うるせぃ! もっと持ってこ〜い」
手元のジョッキをふらふらと掲げてフリッツが言う。昼過ぎから日が暮れるまでずーっと、浴びるように酒を飲み続けていた。
そんなフリッツの様子を見て、酒場の主人は呆れているようだが、知るか! 潰れるまで飲み続けてやる。
「……なんだ兄ちゃん、女にでもフラれたのか?」
「フラれ……違うわ! 良いから持ってこいやぁ!」
「もうダメだって言ってんだろ! 部屋を貸してやるからとっとと寝ろ酔っ払いが!」
やけにガタイの良い主人の剛腕に、首を持たれて奥へ連行される。フリッツはじたばたと抵抗するが、悪酔いした客の扱いなど、酒場の主人には慣れっこだ。容易く部屋のベッドに投げられる。
「ぐえっ……」
「おい、そこで吐くなよ! あと代金は明日きっちり払ってもらうからな!」
主人はそう言い残して、部屋のドアを閉じた。
フリッツには立ち上がる気力も残っていなくて、投げられた姿勢のままベッドに転がる。
窓からは夜の街特有の喧騒と、刺すような月光だけが入ってくる。フリッツはそれをボーッと眺めながら、ウィルベルのことを思い返す。
別れの直後こそ打ちひしがれていたフリッツだったが、今となっては良い思い出だったと胸を張って言える。後腐れもなく迷いを断ち切ったことに対して、達成感すら感じているのだ。
まるで今生の別れのように別れたが、ウィルベルとはいつかまた会えるだろう。そんな気がしている。
そんな気分にさせてくれる酒は、やはり偉大だ。嫌なことがあったときは酒に溺れるに限る。
フリッツはなんだかひとつ大人になったような気がした。それがおかしくて、ベッドに横たわったまま笑みを噛みしめる。
わずかに熱を帯びた頭に、夜の空気が心地いい。こんなに爽快な気分は久しぶりだ。
ドクドクと鳴っている鼓動を感じているうちに、フリッツはいつのまにか深い眠りに落ちた。
◆◆◆
「ん……んぁ?」
フリッツはベッドの中で目を覚ました。気持ちよく眠っていたにも関わらず、パチリと目が開いたのだ。酔いはもう抜けていた。
「なんだ……?」
やけに外が騒がしい。酔っ払いが喧嘩でもしているのかと思って、窓を開けて外を見る。
夜風が頬を撫でる。その風の中に、あってはならないものの気配を感じた。
(何かが焼ける匂い……か?)
「……ッ!?」
フリッツが目にしたのは夜空だった。音、匂い、ありとあらゆる不穏な兆候。これがそれらの元凶だと即座に理解した。それは人間の本能に刷り込まれた恐怖だ。
「空が……赤い!?」
夜空と呼んでいいのか、それすらも疑問に思える。血をこぼしたように燃える空が眼前に広がっていた。
衝撃的な光景を前にして、フリッツにも警戒のスイッチが入った。五感が研ぎ澄まされていき、目の前の状況を分析し始める。
音、悲鳴。匂い、人が焼ける匂い。
(なんで、央都でこんなものを感じる!? いやそんなことは後だ、一体何が原因だ!? 他の国の侵攻!?)
ただの大規模な火災だという選択肢は、はじめから無かった。長年戦場に身を置いてきたフリッツには感じとることができた、央都を襲う悪意を。
何者かがこの事態を引き起こしたのは間違いない。
だが他国の軍というのはありえないはずだ。央都はまさにヴァイスランドの中央に位置している。国境からここまで、誰にも知られずに軍を進めるなんてことができるはずがない。
結局いつも通りのことだが、フリッツが考えたところで事の真相は分からない。頭より先に身体を動かすのだ。剣を下げて部屋を出る。
「おい! 兄ちゃん!」
奥の宿から広間に入ったところで、主人に呼び止められた。
広間には主人の家族らしき女性たちと、数人の客が集まっていた。
「おっさん! 一体何が起きてるんだ!?」
「分からねえ……西区の方で騒ぎが起きてるらしい。ここは真逆の東区だ、このまま騒ぎが収まるまで大人しく隠れていよう」
冷静さを失っていない主人が、怯える娘の肩を抱きながら言う。
「こんなのは……まるであの夜じゃないか」
「ああ英雄様、英雄様。どうか助けてください」
「なんだってこんなことに……」
広間に集っていた者たちが、口々に言った。
だが、そのどれもが、フリッツの耳に入ってこない。
「おっさん、今"西区"って言った……?」
「あ、ああ。逃げてきた連中が言ってたのを聞いただけだから、本当かどうかは分からねえが……」
「くそッ……!」
フリッツが外に続くドアに向けて駆け出す。
「お、おい兄ちゃん! 悪いことは言わねえからここにいろ! ヴァイスランドには英雄様がいるんだ! その人達がことを収めてくれるのを待てばいい!」
「そんなの待てるか! 今、僕が行かないと!」
ウィルベルは言っていただろう、今動かないと後悔する時が来ると。フリッツにとってのそれが今だ。
今日の昼、別れの間際にした会話の中で、彼女は言っていた。しばらくの間は"西区"の学校に身を寄せると。
なんとも運が悪い。それとも必然なのか。答えは出ない。出るはずもない。
フリッツに出来ることはひとつだけ。ウィルベルの元に走ること。今を後悔なく生きることだけだ。
ドアを押しひらく。夜風に乗った焼けた匂いは、また一段と濃くなったように感じる。
「兄ちゃん、本当に行くのか」
「ああ……代金は今度払いに来るよ」
そう言い残して、フリッツは街に飛び出した。そして、匂いの元、赤い光の元を目指して走る。
◆◆◆
「大人しく隠れてりゃいいのに……死ぬぜ、あいつ」
フリッツが去った後の広間に、誰ともなくそう呟いた。
それは勇敢を呪う嫉妬だ。自分の無力を知らしめられ、他人の無力を信じたくなった人間の言葉である。
「いや、あいつは死なない……守りたい奴のために戦う男は、強いからだ」
酒場の主人は、そうした人間を真っ向から否定した。自らも弱い心を持ちながらも、それでも明確に否定する。
時に人間は、自らの心を凌駕するのだ。それができる人間が、英雄と呼ばれるのだ。
これは一度でも戦場に身を置いた者なら、誰しもが知る歌の一節。幾千幾万もの無名の戦士たちが、英雄のなり損ない達が歌ったものだ。
「それに、あいつは金を払いに来ると言った。俺は人を見る目には自信があるんだ。……あいつは約束を破るような人間じゃねえさ」
ブックマーク登録・ポイント評価等をよろしくお願いします。




