第四章♯1『分岐路に立った青年少女』
どうか、どうかこの物語を読んで欲しい。でもその前にひとつだけ。
これはウィルベル・ミストルートの物語ではなく、フリッツ・ローエンの物語なんだ。
今から綴るのは、僕と彼女にとっての一番最初の試練について。僕が彼女と過ごした大切な時間の、はじまりになった出来事だ。
僕には文才ってやつがないから、うまく書けるか分からないけど。書いておかないと消えてしまうだろうから、精一杯書くよ。ウィルベルのために、そしてなにより自分のために。
◆◆◆
——昼過ぎ、ルクセン近郊
「ウィルベル、見えてきたよ。あれがヴァイスランドの中心、央都ルクセンだ」
そう言ってフリッツが指差す先には、白い壁に囲まれた円形の大都市がある。都市の中央には白亜の塔、通称『白光の階』がそびえ立っていて、それを含んだ美しい街並みは『光の都』として讃えられているほどだ。
ブラオエを出発し、モニカとセーナとも別れ、ついに終着点が目に見えるところまで来た。
「すごく綺麗……あの大きな塔は何?」
ウィルベルが言っているのは、白光の階のことだろう。とても目立つし、ルクセンの象徴と言ってもいい。旅人にとっては灯台のような役割も持っていて、遠くからでも見ることができる。
「あれは王宮だね……っていっても元だけど。今は政府庁として使われてるよ」
王政の崩壊以降は、ヴァイスランドの現統治組織『七賢決議会』の議場として用いられている。
「王政が崩壊したのって、十五年前だったっけ」
軽めに馬を走らせながら、ウィルベルの質問に答える。
「ああ。まあ崩壊っていうよりは、先王が退位したときに跡継ぎがいなかったから、共和制に移行したって感じだけど」
「丁度、邪龍戦争が終わったときなんだね」
「ああ、そうだよ。あんまり知らない?」
「うん。学院では魔術以外のことはあまり勉強しなかったから……」
ウィルベルが時々、誰でも知っているようなことを知らない理由がやっと分かった。
王政の崩壊や邪龍戦争の終焉についての話題なんかは、庶民ならばみんな知っているような話だが、世俗から離れた学院ではあまり語られないようだ。
「えーっと。邪龍戦争の対応で、先王はたくさんの兵士を死なせてしまってね。民衆の不満が溜まってたのと、指導者として三英雄の人気が高まってたのもあって、革命が起きて余計な血が流される前に退位したって話だよ」
フリッツが知っている限りの内容を伝える。と言っても、フリッツも誰かから聞いただけで、当時の実際の状況は知らない。
「へー、良い王様じゃない?」
「うーん、どうなんだろうな。異種族迫害の勅令とか出してるし、あんまり良い人じゃないんじゃないかな?」
「たしかにそうかもね」
「……央都に着いたら、どうするんだ?」
「うーん。しばらくは学院と提携してる学校にお世話になるつもり。西区にあるって聞いてるんだけど、見つけられるかな」
「ルクセンは広いからな〜。まあ憲兵さんとかに聞けば教えてもらえるだろう」
ウィルベルと当たり障りのない会話をしながら走っているうちに、ルクセンの大聖門がすぐそこに迫っていた。
馬を降りて、旅人向けの厩舎に繋ぎに行く。
道幅が広いのもあって、ブラオエほど混んでいるわけではないが、それでも人の往来は多い。その中には獣人など、珍しい種族の姿もあったりして、央都らしい景色が広がっていた。
その景色を背景にして繰り返した他愛ない会話は、間近に迫った別れの時からできるだけ目をそらすためのもので、内容なんてのは頭に入ってこなかった。それでも、時間が止まってくれるわけではない。
「——さて、ウィルベル」
ルクセン大聖門の前で、フリッツはウィルベルと向き合う。
周りの人並みは途端に色を失って、フリッツの眼に映るのは彼女だけだ。
なんとなく言い出しづらくて、先延ばしにしてきたが、これ以上逃げることはできない。フリッツには、ウィルベルに言わなければならないことがある。
「僕の仕事はここまでだ」
絞り出すような気持ちで言ったフリッツの言葉に、ウィルベルがコクリとうなずく。
それに対して、ウィルベルが何かを言おうして口を開きかけるが、フリッツが先に言葉を紡いで、それを制した。
「だから——ここで、さよならだ」
全身全霊の力で、なんとか声を震わせずに言い切ることができた。
油断をすると余計なことを言ってしまいそうだった。だから、何も考えずに言い切った。
「……うん」
ウィルベルが少し傷ついたような表情をしたのは、フリッツの錯覚だろうか。その表情を見て、またなんともいたたまれなくなって、薄っぺらでも言葉を続ける。
「えっと……一ヶ月くらいかな、一緒にいれて楽しかったよ。あ、もう危ないことしたらダメだぞ」
「……私も楽しかったよ、君といられて」
「あっ、これ返すよ」
フリッツはマントを外して、ウィルベルに差し出す。学院の校章が入ったこれを、無関係の人間が持ち続けているのはよくないだろうと思ってのことだ。
ウィルベルは少し躊躇ってから、フリッツの手からマントを受け取った。そして深く息を吸い込んで、フリッツの目を見る。
「今までありがとう……さようなら」
ウィルベルの目には一片の曇りすら無かった。フリッツは堪え切れなくなって、思わず目をそらしてしまう。
「ああ、さようなら。ウィルベル」
フリッツは、出来る限りいつも通りの調子で言って、ウィルベルに背を向ける。
そのまま彼女から離れて、できるだけ人混みに紛れこもうとすした。振り返ればウィルベルと目があってしまうような気がして、前だけを見て歩みを進める。
心のどこかでは期待していたのかもしれない。いや、間違いなく期待していた。それは認めざるを得ない。
フリッツがウィルベルと一緒に居続けられる未来を。ウィルベルがフリッツを求めてくれる未来を。
だがそんなものはフリッツの理想に過ぎない。
ウィルベルの未来に、自分の姿はないのだ。それは自分が一番よく分かっている。彼女はきっとこれから先、偉大な魔術師になるだろう。その横にフリッツの席はない。
ウィルベルには英雄と呼ばれる器がある。しかし、フリッツにはそれがない。物語の主人公として、脇役としてすらふさわしくない。それだけのことだ。
それは分かりきっているのに、諦めきれない自分がいた。だからこそ、せめて退き際くらいは自分で決めたかったのだ。惨めに、情けなく手を伸ばしてしまう前に、手が届かなくなるくらい遠くに行ってしまう。
これが、フリッツ・ローエンの選択。三日間、悩みに悩み抜いて出した、最善の答えだった。
後悔はしていない。少なくとも、今は。だから、何十年後かになって、ふとウィルベルとの旅路を思い出して、感傷に浸るくらいのことは許してほしいものだ。
「ありがとう……ウィルベル」
誰に向けたわけでもなく溢れた言葉は、雑踏に消えた。
そして少年もまた、雑踏へと消えていった。
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