第三章♯12『錆びた金貨』
高級品の香がもくもくと焚かれた部屋で、ダリウス・ジンは椅子に腰掛けながら苛だたしげに机を指で叩いていた。
竜人の娘を持っていった女と、まんまと女を逃し、2日経っても未だに行方の手ががりすら見つけられない無能な部下達に苛立っているのだ。
(一体幾らの損失だ?)
追っ手を出すのもタダでは無い。この調子で追いかけっこを続けていれば、竜人を売ったところで当初の利益の何分の一になるのか。金のことだけを考えるのであれば、そろそろ手を引くべきだ。それは理解している。
だが、ダリウスには諦めるわけにはいかない理由があった。
それはあの女だ。竜人なんぞはもうどうでもいい。あの女に地を這わせ、あの顔を屈辱で歪めさせるまでは気が治らない。
実のところ、天才商人と呼ばれた彼を動かしていたのは、金への渇望では無かった。ダリウスが執着していたのはもっと別のもの。気に食わない相手を跪かせることだった。金はそのための手段に過ぎない。
(——私を敵に回したことを後悔させてやる)
あの女にどんな屈辱を味わわせてやるか、暗い思案にくれていると、扉が控えめにノックされた。
「……入れ」
今度は一体なんの失敗報告か。開口一番、聞き飽きた謝罪の言葉が発せられると予想していたが、小間使いの口から発せられたのは信じがたい言葉だった。
「先日竜人を奪った女が、ダリウス様を訪ねてきました。一人、男の連れもいますが、どうされますか」
(あの女が自分から来ただと? また奴隷売買を止めろだなんだののたまうつもりか。それとも竜人の娘を高値で売りつけようという魂胆か)
「かまわん。男も通せ」
「仰せのままに」
小間使いが部屋を退出していく。
女の狙いは知らないが、まあなんでもいい。わざわざ向こうから出向いてくれたのであれば、探す手間が省けたというものだ。
◆◆◆
使用人に先導されるまま、商館の中を進む。今のところ襲われそうな雰囲気はしないが、それでも気は抜けない。
横を歩くウィルベルも、一見落ち着いた様子ではあるが、辺りを警戒しながら歩いている。
モニカとジャンには、セーナの守りと、あとは新聞の準備にまわってもらっている。出来上がった記事を見せてもらったが、なかなか信憑性のある書き方をしていた。だが、やはりジン商会に打撃を与えるには不十分ということで、最後の仕上げのためにここに来たのだ。
使用人が、豪奢な扉の前で歩みを止める。ノックの後に、扉を開いて、フリッツ達を中へ促す。
部屋の中は、濃密な香で充満していた。ずっとこの部屋にいたら頭がクラクラしてきそうだ。執務机に腰掛けているのが、ダリウス・ジンだろう。
「ようこそ、今日は一体何のお話で?」
「前と同じよ、ダリウス・ジン。奴隷売買を今すぐ止め、その事実を公表しなさい」
「……それはお断りしたはずですが?」
「あなたにその選択権はない。潔く自分から公表するか、他人から公表されるか、どちらかを選ぶだけ」
そう言って、ウィルベルがダリウスに新聞を差し出す。ダリウスがそれを開き、内容を確かめる。それを読むダリウスの表情は、自分にとって不利な内容が書かれているにも関わらず、笑みに変わっていった。
「クク……ハハハッ! こんなものを作ったところで、何も変わらない! 学習しなかったのか小娘、この街では金が全てなんだぞ!」
ダリウスがおかしくてたまらないといった様子で新聞を床に叩きつける。椅子から立ち上がって、それを踏みにじる。
「奴隷売買に関わった者は縛り首? 知っているとも! たとえ政府に突かれようとも、私は私の首の代わりに金を吊るせば良い! せっかく拾った命をわざわざ捨てに来るとは。まったく愚かしすぎて目も当てられんよ!」
ダリウスが息を切らせながらまくし立てた。息を吐いて、乱れた身だしなみを整える。そして、満足げに椅子に倒れこんだ。
「フゥ……地獄の底で後悔するんだな、小娘」
「後悔するのはあなたよ、ダリウス・ジン」
「あぁ?」
ウィルベルか最初と変わらぬ、冷たい調子で言った。ただの虚勢ではないと感じたのか、ダリウスが背もたれにもたれかかったまま目を遣る。
ウィルベルが手を開いて、その中にあったものをダリウスに見せる。
「……なんだそれは……石か?」
「そう。あなたも知ってるでしょ——リンカイト」
「なッ……!?」
「このリンカイトは中央広場の警報用リンカイトと接続してる。今までの会話は、大音量で放送されていたの。広場のまわりにいた全員が証人」
ウィルベルの言葉を聞いて、ダリウスの手が震えている。
「は…ハハ。騙されんぞ……そんなことは不可能だ! 極端に大きさの違うリンカイトを接続するには魔術師による回路の増幅が必要なはずだ。この街にそんなことをできる人間は——」
そこまで言って、ダリウスはウィルベルの胸にある魔術学院の校章に気がついたようだ。目を見開いて呆然としている。
「私の言葉が真実かどうかは、じきに来る憲兵が教えてくれるでしょう」
ダリウスは言葉を失っている。額を伝う汗が、彼の狼狽をなによりも象徴していた。
「……地獄の底で後悔しなさい」
「き、貴様ああァァ! おい! この娘どもを今すぐ殺せ! 今すぐにだ!」
吐き捨てるように意趣返しをしたウィルベルに、ダリウスが激昂する。
唾を飛ばしながら、部屋にいる部下に命令を出すが、ダリウスの指示に応えるものはいない。
「な、何をしている!? はやくしろと言っているんだ!」
黒服の男達は皆、ダリウスの指示に従うべきかどうか悩んでいるようだった。
「……金で雇われてただけで、奴隷売買うんぬんは知らなかったって言えば、縛り首は免れるかもな」
そんな男達に向けて、フリッツが言った。その言葉を受けて、男達の行動は決まったようだ。
もともと金で雇われてただけで、忠誠心なんかありはしない。金も払えず、まして罪人として裁かれる主人にいつまでも付き合っている義理はない。傭兵という人間の性質は、同じ傭兵であるフリッツがよく知っている。
もう彼らが、ダリウスに付き従う必要はないのだ。
今頃は、モニカとジャンが街中に新聞を配っているだろう。今日の夜には、ジン商館の悪事は街中に、抑えようもないほどに流布しているはずだ。
「お前だけはァ……お前だけは殺してやるぅぅ!」
ダリウスが目に狂気を浮かべ、ガタガタと机の引き出しからナイフ取り出す。腰だめに構えて、ウィルベルに向かって突進する。
フリッツは咄嗟にウィルベルの前に出て、ダリウスの腕をとり、ナイフを弾く。そのまま腕を締め上げ、膝をつかせる。
「ぐッ……うぅ」
大商人ダリウス・ジンと言っても、金と権力を失えばただの中年だ。ナイフを持っていようが、戦闘訓練を受けている者の相手ではない。
ただでさえ、一人で平気だと言うウィルベルに無理矢理付いてきたのだ。ウィルベルがダリウスに不覚を取るということはありえないだろうが、最初から最後まで横で突っ立っているだけではフリッツの存在意義が疑われることになる。
ともあれ、これで一件落着だ。
憲兵が商館に乗り込んできたのは、それから少し後のことだった。




