第二章♯8『濃霧の帳』
真夜中の村長宅は、今までに来た時と比べて廃れているように見えた。なんというか、人が生活していれば自然と発せられるような活気が感じられない。
こういう風に感じるのも、この家が狡猾な人狼の寝床になっているかもしれないと知ったからだろうか。
もし、本当に人狼が村長に化けていたのだとすれば、フリッツ達は二度も命を危険にさらしていたことになる。油断していたところを襲われていれば、そこで終わっていただろう。
そうならなかったのは、村長に化けた人狼が慎重な奴だったからなのか、村長がただの人間だったからなのか。それを確かめるためにここに来たのである。
窓から中の様子を窺う。しかし、暖炉の火が消えていて何も見えない。
厳しい冬に暖炉の火を絶やすものだろうか? 一度疑いだすと、なにもかもが怪しくみえてくる。
後ろに控えていたウィルベルとエドガーに頷きかけて、ドアを叩く。……返事はない。真夜中なのだから、すぐに返事がある方が不審か。
もう一度、呼びかけながらドアを叩く。
少しすると、扉の向こうで何が動く気配がした。
「……どなたですかな」
低く嗄れた声で返事があった。間違いなく、昼と夕方に会った村長の声である。
「フリッツです。少しお話したいことが」
「…………」
返事が無い。
聞こえていないのかと思い、もう一度声を掛けようとした瞬間だった。突如視界が村長宅のドアから、夜空に切り替わる。
「……がッ!?」
「フリッツ!」
ごろごろと地面を転がるフリッツにウィルベルが駆け寄ってくる。ウィルベルに腕を持って起こされながら、チカチカする視界で何が起こったのかを確かめる。
先ほどまで立っていたはずの場所を見ると、玄関のドアが無くなっていて、そのドアは近くに転がっている。その光景を見て、ドアごと吹き飛ばされたのだと理解した。
ぽっかりと口を開けた玄関の暗闇から出てくるのは、半人半獣ともいうべき姿の村長だ。
「奴らはしくじりよったか。……ふん、まぁいい。ワシが直接食い殺してやる」
ボキボキと、おぞましい音を立てながら村長の体が獣へと変わっていく。その体毛は通常の個体とは違って長く銀色だ。目元を覆うように垂れた銀毛の間から、真紅の双眸に睨まれる。
「来るぞ!」
フリッツたちを庇うように立ったエドガーが言った。その向こうでは、銀の人狼がフリッツ達に飛びかからんとして、下肢に力を込めているところだった。
膝をついて、急いで立ち上がる。ウィルベルはすでにエドガーの斜め後方に位置どって、エドガーの援護にまわっている。
人狼が飛びかかったのに合わせて、エドガーが人狼に杭を打ち込む。その杭は人狼の右前腕を貫通した……が様子がおかしい。傷を負ったはずの人狼が微動だにしないのだ。
「みんな気をつけて! 霧隠れの魔術よ!」
ウィルベルの声を聞いて、咄嗟に声の方を向く。だが、ウィルベルの姿は見えない。エドガーの姿もだ。気がつくと、あたりにはいつのまにか真っ白な濃霧が立ち込めていた。
これでは周囲の様子がまったく分からない。とりあえず、このままここにいるのはまずい。そう判断して、できるだけ姿勢を低くして、一直線に走る。
一度霧を抜けてから振り返るが、霧が濃すぎて人影すら見ることができない状態だ。
「ウィルベルー! エドガー! 聞こえるかー!」
その声に返事はない。くそッ……と悪態を吐く。
こうも分断されてしまっては、せっかくの数の有利を活かせない。急いで合流しなければ。だが、うかつに動くのも得策ではない。
「フリッツ……?」
どうするべきかと、うんうん唸っていると、聞き馴染みのある声が聞こえ、ウィルベルが霧の中から現れる。
「ウィルベル! 無事か!」
「うん」
言葉の通り、特に着衣が乱れた様子もなく、怪我もなさそうだ。あとはエドガーだが、あいつは一人でも平気だろうからこの際無視して無事を祈っておこう。ウィルベルと合流できただけ良かった。
ウィルベルの無事をしっかりと確かめている最中、霧の中から足音が聞こえ、次いで人影が見え始めた。
ウィルベルと二人で警戒態勢に入る。あの人影はエドガーか、それとも村長か。人影が一歩、また一歩と近づくにつれてその影がより具体的な形になってゆく。
そして霧の中から現れたのは、
「フリッツ? 良かった!」
なんと二人目のウィルベルだった。見間違いではない。現にウィルベルは隣にいるし、前にもいる。……実は分裂する特技でもあったのだろうか。そんな現実逃避をしたくなる状況だ。
「……フリッツ。あれは変身効果のある幻惑系の魔術よ。惑わされないで」
最初に出てきた方のウィルベルが言う。
「偽物はそっちよ! フリッツ、私を信じて!」
後から出てきた方のウィルベルが言う。
二人を見比べてもまったく同じ姿で、声も同じだ。どちらも本物に見える。そしてどちらも、自分が本物だと主張している。
もしかしたら、ニーナやラウラなどウィルベルをよく知る人物なら見分けられるのかもしれないが、少なくともフリッツにはまったく見分けがつかないのだった。
「フリッツ。まさかどっちが偽物か分からないなんて言わないよね? 私はあんなこと言わないでしょ」
「フリッツ! 騙されちゃダメ! いますぐそいつから離れて!」
二人のウィルベルが選択を迫ってくる。も、もうダメだ。本当に分からない。とりあえず両方のウィルベルから距離をとって、もっと注意して見分けようとしてみる。
フリッツのその姿を見て、先に出てきたウィルベルは首を振って呆れた様子だ。
あっ、この呆れ方、こっちが本物っぽいぞ。そう思ったのもつかの間。
「はぁ……もういいわ。——四元の黄 ヴァーユの調べ 吹きて枯らせ、巻きて昇れ 理の骨を海へと運び、高らかに凱歌を鳴らす 巴術三十二番『回風塵笛』」
最初に出てきた方のウィルベルが、おもむろに詠唱を始めた。そして、その完了と共に、ウィルベルを中心とした旋風が起こり、周囲の霧を吹き飛ばす。それと同時に、後から出てきたウィルベルの姿もぼやけ出し、その姿が文字通り霧消すると、後には憎々しげな表情をした村長が現れた。
本物だった方のウィルベルはフリッツを見て、ほらね、というように肩をすくめてみせる。彼女はすでに抜刀して、村長に切っ先を向けている。
「私の姿で気持ち悪い演技をして、タダで済むとは思わないでね」
どうやら自分の姿を真似られたことにかなりご立腹のようだ。
ともかく、どちらが本物か分かった今、やることはひとつだ。本物のウィルベルの横に並んで、剣を構える。
「ええい、クソ! 馬鹿正直に相手なんぞしてやるか!」
村長が再び獣の姿になり、踵を返して逃げようとする。
「逃げるんだったら霧を張ってすぐ逃げるんだったなあ、爺さん。悪いがここで死んでもらうぜ」
それを塞ぐように立ち塞がったのはエドガーだ。彼も無事のようでなによりである。
「さあ、村長。もう詰みだ」
三人で囲み、逃げ場を無くす。
追い詰められた村長は破れかぶれにウィルベルに襲いかかるが、その動きを予期していたフリッツとエドガーに横から斬られ・刺され、その爪がウィルベルに届くことはなかった。
狡猾だった獣も、最後はあっけない幕引きである。
これがカルテドルフでの騒動の結末だ。




