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龍姫の叙事詩  作者: 桜庭楽
第四章 砂塵のコンチェルト
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第四章♯2『迫り寄る脅威』

 ――ヴァイスランド、ルクセン。




 帝国進軍の報せを受け、大急ぎでストラを後にしたウィルベル一行は、ルクセンの大聖門をくぐっても歩みを遅らせることはなかった。

 街を行く人々の表情にも不穏な気配への微かな焦燥が感じられる。

 いよいよ本格的に戦争が始まるというのだ、無理もない。三年前に邪龍が民衆の心に残した恐怖の爪痕はいまだ根深い、浅からぬものだ。しかしだからこそ、救国の英雄達への信頼によって、現在のこの小康状態は成立しているともいえた。


 一行は目抜き通りを進み、ヴァイスランド中枢部の光の階へ。

 ウィルベルは変わらぬ急ぎ足で螺旋階段を上った。もちろんシャルとロトも同じだ。

 しかし、彼女達は初めて訪れたヴァイスランドの心臓に、キョロキョロと辺りを見回して落ち着かない様子だった。


「ウィルベル様、ただ今帰還されました!」


 ウィルベルの姿を認めた衛兵が塔内に響き渡るような声を張り上げた。それに呼応するように、塔の各所からは安堵の色が混じったざわめきが聞こえてくる。


「エマさんは上に?」


「はい! アルヴィン様、ギルバート様もご一緒のはずです!」


 そう問いかければ、若い衛兵は背筋を伸ばして答えた。ウィルベルはそれに頷き、


「ありがとう……こっちの二人は私の仲間よ、気にしなくていいわ」


 衛兵が怪訝そうな顔をしていたので、彼からすれば素性の知れぬ子供達であるシャルとロトについて軽く告げておいた。

 本来ならば光の階の行政区には許可のない者は――たとえウィルベルやフリッツであっても勝手に立ち入ることは望ましくないが、今回は非常事態ゆえに制止させることもない。

 まだ萎縮している様子の姉妹を連れて、上階への螺旋階段を上っていく。そして玉座の間の扉を開けば、下の衛兵から聞いた通りエマ、アルヴィン、ギルバートの三人が集まっていた。


「ウィルベル・ミストルート、ただいま戻りました。まずは報告をさせて頂きたい」


 毛足の長いカーペットを踏みしめ、ウィルベルは開口一番そう切り出した。エマは肘をついて組んだ手の上に顎を載せて、


「おかえりなさい、ウィルベルさん。こちらもお話ししなければならないことがありますから、 どうぞお掛けになって。お連れの方も」


 そう促した。ウィルベルが三人の対面に腰掛けると、シャルとロトは逡巡の後、ウィルベルを挟み込むように両隣にちょこんと座った。


「こちらの二人は帝国の騎士、右槍のシャルと左弓のロトです。噛んで含める時間はありませんが、訳あって行動を共にしています」


 ウィルベルの突拍子もない発言に絶句するギルバートとアルヴィン。エマだけは変わらずニコニコと微笑んでいた。


「……相変わらずだな」


 一瞬の沈黙の後、ギルバートが一体何がどうなってそんなことになるんだ、と言いたげな視線を送ってくる。しかし、姉妹に向けて敵意を発したりはしなかった。


「ストラ女王と謁見し、かの国と同盟を結ぶことには成功しました」


 ウィルベルは懐から封蝋のなされた書を取り出し、それをエマへと差し出した。彼女はそれを開いて内容に目を通し始める。

 書かれているのは、ストラが北部諸国連合に加わる事とストラ女王直筆の署名だ。


「ふむ。ひとまずご苦労様でした、ウィルベルさん。さて……もうお聞きでしょうが、帝国軍が侵攻を再開しました。平原地帯と砂漠地帯の間辺りが大戦場になる見込みです。フリッツさんはすでにそちらに」


 やはりフリッツは先に向かっていたようだ。ウィルベルの方はストラで思わぬ時間を消費してしまったから、遅れたのは仕方ないことではあるのだけれど。


「ヴァイスランドからの援軍が明朝出発する予定だ。ウィルベルくんにはそれに同行し――」


 アルヴィンの言葉の先を折って、額に汗を滲ませる衛兵が玉座の間に飛び込んできた。彼の放つただならぬ雰囲気に緊張が漂う。

 つい先日、ローレライやストラで同じような状況を経験したばかりだ。ウィルベルは嫌な予感がして思わず眉をひそめずにはいられなかった。


「帝国の部隊がルクセン近郊に迫っています!!」


「なんだと! 数は!」


 すぐさまアルヴィンが聞き返す。

 案の定、悪い予想が的中して頭が痛くなった。


「も、目視で二万です!」


 二万……とウィルベルは小さく零した。

 ローレライを襲撃した部隊のような少数ではなく、立派は大軍ではないか。まったく思いもよらない数だった。


「――非常事態宣言を発します。残っている全兵士に臨戦態勢を取るように通達をお願いします。文官達には市民の避難をさせてください」


「ハッ!」


 エマの指示を受けた衛兵が走り去る。玉座の間には張り詰めた空気だけが残った。その中で最初に口を開いたのはギルバートだった。


「二万の軍勢がどうしてルクセンの側まで来ているのだ。南部の部隊が破られたとでもいうのか?」


「……いや、もしそうだとしても行軍の速度が速すぎるぞ。おそらくこちらの戦力不足を狙った二面作戦だ」


 アルヴィンはしばし一考し、そう分析した。

 ウィルベルもその考えに賛成だ。なによりも、フリッツがそう簡単に負けるとは思えない。もしくは、そう信じたいという気持ちが大きかった。


「――確かにこれは不測の事態ですが、幸いなことに状況はそれほど悪くはありません。戦線編成の遅れの影響で、ルクセンにはまだ一万五千の兵が武装をした状態で残っています。これは帝国にとっても予想外のはずです」


 エマが力強く喝破した。それによって沈んだ雰囲気がパリッと引き締まった。


「ああ、ギルドの連中も招集しよう。腰の重い奴らだが、ルクセン侵攻となれば跳び起きるだろう」


「うむ。防衛戦ならこちらに分がある。それになりより、このタイミングでウィルベルくんが戻ったことも大きい」


 まさに僥倖。数々の要因が重なって、悲観しなければならないほどの状況ではない。ウィルベルもそう思い至った。

 しかし、ギルバートは顎髭を撫でながら、気遣わしい視線をウィルベルへと向けた。


「……大丈夫なのか、ウィルベル」


 クラマからボロボロになって戻ったウィルベルの姿、ギルバートはあれを回顧して、気掛かりに思っているのだろう。

 一方のウィルベルの方はといえば、失くした腕が疼くような、そんな感覚を覚えていた。ウィルベルはそっと、失くして久しいような気がする左腕の切断面に触れた。


 ――今ならば、ギルバートの憂慮は思い過ごしだと自信を持って言える。


「はい……大丈夫ですよ、師匠。次は負けませんから……シャル、ロト、一緒に来てくれる?」


「もちろんです、ウィルベルさん」


 二人とも力強く頷いてくれた。

 エマがスッと席から立ち上がった。自然と彼女に注目が集まる。


「アルヴィン、防衛戦の指揮をお願いします。ウィルベルさん達は遊撃を、帝国の指揮官を討ち取ってください」


 エマの指示にウィルベル達は頷き、席を立って玉座の間を辞そうとする。


「俺も行こう」


「いや、ギルは残れ。光の階を無人にするわけにはいくまい。ここでエマ様と塔をお守りするんだ」


 連れ立って席を離れようとしたギルバートをアルヴィンが制した。ギルバートはアルヴィンの言葉を受けて、まったく承服しかねるというような、かなり不満そうな表情を浮かべた。


「師匠、本当に大丈夫です」


 ウィルベルが師匠を宥めるように言えば、まだ納得のいっていない、渋々といった様子ではあるものの、


「……分かった。十分気をつけなさい」


 そう言って席に腰を下ろした。

 それを見届けたエマが手を叩いてこの場をまとめにかかった。


「ヴァイスランドの存亡は南部だけでなく、こちらの一戦にも掛かっています……皆さん、奮戦をお願いします!」

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