第四章♯1『南部戦線① 司令部テント』
スークラ砂漠北端とヴァイスランド領の中央平原、その境界となる場所に、北部連合軍による防衛線が張られていた。
フリッツが到着する前から集結していた兵士の数はおよそ四万。内訳はヴァイスランドの正規兵三万とシラの騎士部隊が六千、ローレライの近衛兵が五百と、各地からの志願兵が三千。
そこにフリッツが連れてきたオトラキアの戦士二千を加えた、総勢四万千五百。それが対ユーヴィク防衛線の戦力だった。
現在大急ぎでルクセンからの増援が組織されていて、ストラと南部諸国の参戦も予想すれば、総勢八万の軍勢へと拡大する見積もりである。情報通りに帝国軍が後方部隊を放棄して進軍しているとすれば、その数は七万〜八万、数の上では並んだことになる。
砂埃がうっすらと舞うような野営地に張られたテントの中、フリッツは机の上の地図とにらめっこをしていた。
斥候からの情報によればあと一日足らずで帝国軍と衝突する。今のうちに考えられる限りの事態に備えを用意しておかなければならない。
フリッツが頭をひねっていると、すでに戦装束のセーナがテントに入ってきた。それに続いて二人の男も入ってくる。
「お兄ちゃん、来てもらったよ。アルチュールさんと、フェリックスさん。ガロンさんは少し遅れるって」
一人はシラの騎士たちの長であるアルチュール、もう一人はヴァイスランド軍を束ねる司令官フェリックスだ。
彼はフリッツより少し上ぐらいの年齢にも関わらず、すでにあちこちの戦場で武勲を挙げている優秀な軍師だ。フリッツも名前だけは知っている人物だった。短い茶髪にメガネをかけていて、体格もどちらかと言うと小柄であり、真面目な学生のような雰囲気の人物だった。
「二人とも来てくれてありがとう。とりあえず、ガロンが来るのを待つからしばらく椅子に掛けていてほしい」
フリッツに促され、二人が席に着く。後はガロンを待って会議に出席する者は全員揃う。ここに集まっているのは各勢力の代表者達だ。数が少ないローレライの近衛兵隊はヴァイスランドの、志願兵部隊はシラの指揮下に入ってもらった。
「久しぶり……というほどでもないですが、久しぶりですね、フリッツさん」
こんな煤けた場所でも優雅な佇まいを保つアルチュールが言った。彼とは一度シラで顔を合わせている。あれからそう長い時間は経っていない。
「ああ、まさかこんなに早く帝国が動くなんて。予想ではまだ時間があったのに……」
フリッツの呟きにはフェリックスが答える。彼は丸い眼鏡の奥の茶色の瞳を細め、
「帝国軍が後方部隊を切り捨てたのが予想外でした。無理筋な行軍のようにも思えますが、こちらの準備も不十分ですから、はい」
部隊が置かれている状況を端的に言った。彼の言う通り、こちらの準備が万端ではないのが一番の問題だった。
「せめてウィルベルがいてくれれば助かったんだけどな……きっと良い案を出してくれただろうし」
「彼女は何事を為すのも疾い。きっともうこちらに向かっているか、あるいは他に必要なことをしているでしょう」
フリッツのため息混じりの嘆きに、アルチュールが目を瞑って答えた。
「我々は我々にできることを全霊で為すまでです、はい」
「ああ……そうだな。みんなで力を合わせよう」
そう決意を新たにしたところで、厳つい巨体がぬっとテントへと入ってきた。
「済まぬ、待たせた」
オトラキア指導者、国父ガロンである。彼は獲物である斧を脇に置いて、どかっと椅子に腰を下ろした。
「よし、じゃあ始めようか」
フリッツの合図を受け、セーナが机の上の地図に白と黒の駒を置いていった。
「これが斥候の情報を元にした、帝国軍の現在位置だ。このペースで行けば明日の正午にはお互い視認できる距離に来る」
フリッツが地図の上の駒を滑らせるように動かした。
「そこから両軍進撃したとすると、ぶつかるのはココ。スークラ砂漠の北端にある広野だ」
「身を隠せるもののない砂漠ですね、はい。見通しは良いですが小細工の余地はなさそうですが?」
フェリックスは地図を眺め、そう見解を述べた。彼の発言通り、地図に評価されているのはだだっ広い砂漠でしかないが……。
「そうでもないさ」
しかし、フリッツはフェリックスの話を否定した。
「と、いうと?」
「……この季節の広野には強風の吹く時間帯がある。すると砂漠の砂が巻き上げられて、数メートル先も見えなくなるんだ」
この地方でのみ起こる砂塵という現象だ。以前バッカスと共にこの辺りを旅した時に遭遇して、立ち往生を余儀なくされた経験があった。
「フム……しかしそれは敵だけの話ではない。砂塵の中で見通しが悪いのはこちらも同じだぞ」
「つまり、それを利用する策があるということですか?」
ガロンの言葉にアルチュールが続いた。皆の視線がフリッツに集まるが、
「……いや、さっぱりだ」
降参、というようにフリッツはかぶりを振った。
「え、ないのですか、はい」
「だから一緒に考えて欲しいんだ! 皆……何か思いつくことはないか?」
フリッツが一人で頭を捻っても良い案は浮かばなかった。だからこうして皆を集めて会議をしようと思ったのだ。集めた三人は皆、フリッツよりも司令官としての経験が豊富な人物でもあるからだ。
「目くらましの外から一方的に攻撃するとなると、セオリーでいえば弓か魔法ですが……」
「儂が見た限りだとここの戦力は殆ど接近戦用の武装をしとったな」
アルチュールが言わんとすることに、ガロンが頷く。
「弓兵はヴァイスランド正規軍にいるにはいますが……戦局を傾けるほどではないかと、はい」
「うーむ……」
やはりそうなるか。遠距離からの攻撃にはフリッツも思い至ったが、あいにく軍の構成がそれにそぐわない。急造の部隊ゆえの問題でもある。
「あ、あのっ……お兄ちゃん」
「どうした、セーナ」
「わたし弓を使えるし、魔法だってお姉ちゃんの側で見てきたよっ!」
セーナが胸の前で手を握って言った。普段おとなしい彼女にしては珍しい剣幕だ。
「あ、ああ。でも一人じゃ限界があるだろ……?」
フリッツがそう答えた時――、
「二人だったら……多少はマシかしら〜?」
いつのまにかテントの入口に女がいた。そして、その女が突然話に加わってきた。
「誰だ貴様!」
ガロンはすぐさま斧の柄に手を伸ばし油断なく構えている。他の面々も闖入者に警戒を露わにして、事態は一触即発だ。
そんな男たちをよそに、セーナがあっと目と口を丸くした。
「あ、あなたはっ」
「お久しぶり、お嬢ちゃん。面白そうなことしてたから寄ってみたんだけど、ここにアイツはいないのね〜、残念」
その女――ところどころに怪しげな小瓶やら植物やらがぶら下がった真っ黒なローブに身を包んだ女は、退屈そうにテントの中を見回して言った。
「知り合いなのか、セーナ!?」
フリッツが驚いて聞けば、セーナは微妙に首を振って答える。
「う……うん、多分? この人の名前はオズさんって言うんだけど……」
「ウィルベル・ミストルートのお友達で〜す! そんで魔女で〜す」
オズは大きなとんがり帽子を揺らして戯けてみせた。その様子にアルチュールが眉をひそめる。
「その風貌から察するに……黒魔術に傾倒した魔女ですね?」
アルチュールは半ば抜刀しながら言った。その言葉にまたテントの中に緊張が走った。
彼女が本当に禁忌の魔女なら会話などしている場合ではない。一刻も早く追い払うべきだ。
しかし当のオズはそんな殺気をひしひしを受けながらも、アルチュールの言葉を否定しない。
「ご明察、ハンサムさん」
「禁忌の魔女があのウィルベル殿の友人とは信じがたいですね、はい」
「……いや、そうとも限らないぞ……ウィルベルは変わってるから」
フェリックスはそう言うが、フリッツの見立てだと必ずしもオズが嘘をついているとは言い難い。ウィルベルの性格だと、紆余曲折を経て魔女と仲良くなるということもないとはいえない。
フリッツの呟きにオズが眉をひそめた。
「その物言い……あんたがフリッツ・ローエン? なんか案外普通の男ね。もっとイッちゃってる感じかと思ってたわ」
「どういう意味だよそれ……というより、一体何のために現れたんだ?」
あくまでも慎重に、油断なく、フリッツがオズに問いかける。その返答次第ではガロンやアルチュールが斬りかかるかもしれなかった。
「んもぅ、察しが悪いなぁ〜。手伝ってやるって言ってんの」
オズは腰に手を当てて指を振った。
「魔女が人助けなんぞ聞いたことがない。一体何のためにそんなことをするというのだ」
ガロンがそう唸った。
彼の反応いたって正常だ。フリッツもウィルベルの名前とセーナの反応がなければ、この魔女のことなど欠片も信じなかっただろう。
「別にあんたらの為じゃないわよ? ただ通りすがったついでに、大事な友達に貸しを作っとこうってだけ……そんなに嫌がるなら私はもう帰っちゃってもいいんだけど?」
オズの口ぶりには余裕があった。本当にただの善意のつもりなのか。しかしそう簡単に信じていいのだろうか。相手は魔女だ。おとぎ話にも出てくるような、邪悪の体現者だ。
「……セーナ、こいつは信用できるのか」
隣のセーナに耳打ちする。セーナは自信なさげといった様子ではあるが、
「わたしには分からない、けど……お姉ちゃんは信用してた、と思うよ……?」
そう答えた。
アルチュール達はフリッツに目配せをした。フリッツの判断に従うということだろう。
「そうか……」
詳しい事情は聞く必要があるが、少なくともウィルベルがオズのことを信用していたのであれば、話を聞くだけの価値はあるかもしれない。
「――分かった、とにかく話を聞こう」




