第二章♯17『晦冥の杯』
プロフメーレを占拠し、最下層の囚人達を解放した後のこと。首都の方にいるアルチュールから文が届いた。そこには王族の拘束に成功、つまりクーデター成功の旨が記されていた。革命派の勇士達は一足早く牢獄で祝宴を開いているのだった。
その喧騒を離れ、ウィルベルは一人見張り台に立っていた。星空と、その下に広がる漆黒の平原。そのさらに向こうにはぼんやりと灯る首都の光がある。あちらでも同じようなどんちゃん騒ぎが行われているのだろうか。
革命はこれで終わりではないが、少なくともウィルベルの出る幕は終わった。後はこの革命を起こした者の仕事だ。それが市民にとって幸か不幸かは分からないけれど。
大地を舐めるような夜風が黒髪を攫う。その生温かさは夏の到来を感じさせるものだった。
「そろそろ出てくれば? 私と話したいんじゃないの?」
「――えー、ばれちゃってた?」
「貴女くらいの魔力を持っていたら、いくら隠そうとしてても分かるよ。特に私はその辺り敏感だから」
ウィルベルは欄干に背中を預けて振り向く。すると見張り台へ続く城壁の上、暗がりとしか形容しようがない闇からぬっと人影が現れた。
「分かってたならすぐ教えてくれれば良いのにぃ。息を殺してて損した。案外意地が悪いねぇ」
「何の用なの……オズ」
ウィルベルがちらりと視線を向けると、オズは小さく舌を出しながらにやけていた。
「用がなきゃ会いにきちゃダメ? 私たちオトモダチでしょ」
低い嗄れ声で話すオズが隣に並ぶ。波打つ金髪が闇の中で妖しく輝き、彼女の不気味さを増すことに一役買っていた。
「私まで火刑になるのは御免よ。見逃してあげてるからって図に乗らないで」
「わーこわいこわい。アンタって子供とかに嫌われそうだね」
「…………」
茶化すオズに沈黙で答え、ウィルベルは持ってきていたワイングラスを彼女に突き出した。オズは面食らいながらもそのグラスを受け取る。
「襲うわけでもないのに尾けまわして……何か用があるなら聞いてあげる。無いなら消えて。次に会ったら殺すから」
「……ほんとにこわい。アンタの方がよっぽど邪悪じゃないさぁ」
殺気全開のウィルベルにオズが頬を引攣らせた。二人は向かい合って乾杯をしたが、これほど緊張感のある乾杯も中々無いだろう。
オズは葡萄酒を一口含み――、
「……用がないのは本当だよ。純粋にアンタに興味があるだけ。英雄で、魔術師で、歳も近いから」
「なにそれ。友達になりたいっていうこと?」
「そういうこと。ほら私って魔女でしょ? みんな私のこと嫌うもんだからさ〜、魔女以外の知り合いとか全然いないんだよね」
「私は魔女の知り合いはいらないんだけど……」
禁忌の魔術を使う罪人、それが魔女だ。関わってロクなことがあるはずがない。オズ個人に対して憎しみや怒りがあるわけではないが、魔女を相手にするのはとにかく良くない。
そんなウィルベルの思考を汲んだのか、オズがぐっと体を近づけて腕に絡みついた。
「まあまあそう言わずに。同じ魔術師として意見交換とかしようよぉ、絶対楽しいね!」
「貴女の魔術って禁術じゃない!」
「知っといて損はしないっしょ。安心してよ、私は魔女は魔女でもイイ魔女だからさぁ〜、ひひひ」
オズは不気味な笑い声を出しながら微笑んだ。その姿は安心も信用も不可能なほど怪しいものだったが、
「……じゃあちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「禁術に関することならなんでもこい!」
豊かな胸を張るオズに、尋ねてみたいことがひとつだけある。プロフメーレで覚えた違和感に関することだ。
「……この牢獄で飼われてた魔物のこと知ってる? キマイラとケルベロス。あれって……」
ウィルベルが言葉を濁すと、オズはなるほどというような表情を浮かべた。
「……あー、あれは確かに禁術の産物だねぇ。おおかた生物合成の得意な魔女が創って、役人だかに売りつけたんじゃないの。本物だったら聖道教会の連中が黙ってないっしょ」
聖道教会――どの国家にも属さない、大陸最高の宗教権力だ。その活動目的は秩序の維持。それも国家間のではなく、この大陸のだ。西の山脈の向こうに広がっていると言われる魔大陸、そこからやってくる魔物を駆逐するのが教会の業。その目的の為には手段を問わない無慈悲さでも知られている。
役人たちがこの教会に目をつけられるようなことをするとも思えないし、教会がこんな事態を見逃すとも思えない。もう何百年もの間、教会は魔大陸からの魔物の侵入を防いでいるのだから。
「やっぱり……でもあんな化物がバラまかれでもしたら……」
「だーいじょぶだーいじょぶ。あの手の合成獣って大抵長持ちしないし、大量生産も難しいもんだからさ。それに、そんなこと出来る魔女がいたら私が知らないはずないし」
不安そうに眉根を寄せるウィルベルを尻目に、オズはグラスの中身を喉に流し込んだ。
「それよりさ! アレ教えてよ、あのビリビリってやつ。私あんな魔術見たことないんだよね」
またオズがぐいっと顔を近づける。その顔は仄かに赤らんでいるように見えた。まさかもう酔っているのだろうか。ウィルベルも酒には弱いがここまでではない。
さらに近づいてくるオズから逃れようと身を逸らしながら、
「あ、あれは私専用だから教えない……教えても出来ないだろうし」
「そんなのやってみないと分からないでしょ! 良いから教えなよ〜」
「ちょ、肩を掴むな……! 分かった! 教えるからそんなに揺さぶらない!」
遠慮なく揺するオズをなんとか突き放す。
雷光の魔術はウィルベルに流れるヴァイス王家の血の特性によるものだ。教えたところでどうにもならないだろうが、このままあしらい続けるほうが疲れそうだ。渋々ながら、実演を交えて教えてやることにする。
「う、うぅ」
瞼の上から鋭い朝日を浴びて目が覚めた。欄干に小鳥が止まって、首を振りながらこちらを見つめている。
下半身に重さを感じて目をやれば、太腿の上でオズが眠っていた。大胆に寝顔を晒し、大いにヨダレを垂らしていた。
昨日は確か……オズに雷光の魔術を伝授しようとして……それで…………だめだ、思い出せない。オズと一緒に、特別な資質が無くても使えるように魔術を改良しようとしていたことはなんとなく覚えているが、そこからどうなったのかはもう闇の中だ。
「……おい。起きろ」
「ふえ……うう」
「…………」
――バチィ!
「どわあ!!」
耳元で雷撃を走らされたオズが飛び起きる。ボサボサの髪を揺らして、寝ぼけながらもウィルベルに抗議の視線を向けた。
「な、なんてことすんのさー……起こし方ってもんがあるだろぉ。人の心がないのかねえ、ベルは」
「こっちは脚をよだれでベトベトにされてるんだ。感電させなかっただけ感謝してもらいたいくらいよ」
「ふぃ〜……あー体が痛い」
パキパキと背骨を鳴らしながら伸びをしているオズに、ウィルベルは問いかける。
「オズ、貴女これからどうするの」
「どうって?」
「どこに行くつもり?」
振り向いたオズに再び問いかける。それを聞いてどうするつもりなのかは自分でも分からなかった。
「んー、とりあえずマギア=カリュクスを見つけないとねえ」
「あれを何に使うの? その返答次第では止めなきゃいけないのだけれど」
オズの答えにウィルベルは眉をひそめる。
現在どこかに隠されているマギア=カリュクス。それが隠されているのは、以前の管理者が危険だと判断したからだ。つまり、わざわざ探し出す必要はないものだ。
「心配しないでってぇ……悪用はしないからサ。そう言うアンタはどこ行くの」
ひらひらを手を振って言うオズ。悪さをするから魔女なんて呼ばれているのではないのか、矛盾しているような気もするがこれ以上問い詰めても無駄だろう。
「……峰の国と谷の国。それからヴァイスランドに戻るつもり」
北部諸国も残すところあと二国。もうクラマで負った傷も十分治ったし、フリッツ達の方も心配だ。
真剣なウィルベルの表情を見て、オズはいつもの不気味な笑い声を上げた。何よ、とウィルベルがオズを睨む。
「ひひ……いよいよだねぇ。今度こそおっ死ぬんじゃないの? 気をつけなよ、せっかく出来たオトモダチが死んだら私も悲しいからね」
「別に友達になったつもりはないわ。特に貴女がそのとんがり帽子を被ってるならなおさらね」
オズが手に持っている帽子を指す。とんがった帽子は異端の証。教会に見つかり次第処刑となるのだ。
「これを捨てる時は……私が死ぬ時か生まれ変わる時だね。これでも魔女って身分が気に入ってるもんだから」
少し自嘲気味に言ったオズは帽子を深く被った。
たとえ異端の道だとしても、自らそれを選ぶと言うならウィルベルには止めることはできない。少なくとも、オズはウィルベルの前では悪事を働いてはいない。宗教者でもないウィルベルが積極的に魔女を断罪する理由はないのだ。
というのは屁理屈だが、どうせ誰も見ていない。
「そう……残念。やっぱり次会うときも敵のままみたい……でも今夜のよしみで遺言くらいは聞いてあげることにするわ」
「ひえー、英雄様は凄みが違いますなあ……悪い魔女はさっさと退散しましょ」
オズは箒を片手に見張り台の欄干に腰掛けた。
「さよなら、オズ。悪いことはしないでね」
「善処する〜」
ぐらりと体を傾けて、背中から落ちていったオズが視界から消える。そして箒に跨った彼女は明けの日差しの中を悠々と飛んでいった。
「悪い奴じゃないけれど……やっぱり悪い奴だよね」




